1   サンジェルマン・デ・プレ教会のミサ

20191224日。午後4時ごろオルセー美術館が定刻より早く門を閉めた。クリスマス・イブの習いである。

セーヌ川左岸の通りをシテ島の方角へぶらぶら歩く。いつもなら川岸に店を開いている絵や本、お土産の屋台のほとんどが閉じている。それほど寒くはなく、川風も冷たくはない。とはいえ、なんとなくさびしさを感じさせられる。

国立高等美術学校の角を右折してさらに歩き続けると、ほどなくサンジェルマン・デ・プレ教会に着く。パリで最も古い、ロマネスク様式のカトリック教会である。教会の周りの歩道にクリスマス・マーケットがあった。いくつかの店が開いている。

教会と道路を挟んで向かい側のカフェ「ドゥ・マゴ」に入って、少々早めの夕飯、というか遅めのランチを注文する。24日はルーブル美術館をはじめパリの多くの美術館の休館日にあたる火曜日なので、観光客が休館日でないオルセーに集中し、館内のカフェには長い行列ができていてくいっぱぐれた。

  

料理が運ばれて来るのを待ちながら、かれこれ10年以上ご無沙汰している2体のマゴ人形を見上げる。店内の柱の上の方に神棚風に鎮座している。ドゥ・マゴは名高い歴史的カフェなのだが、食事はたいしてうまくない。肉料理に添えられたパンも食後のコーヒーもパリの水準から抜きんでたものではない。代金だけが水準以上である。観光客にとっては、ドゥ・マゴの椅子に座ったというのが値打ちなのだ。ドゥ・マゴといっても渋谷のアレではないぜ、サンジェルマンの本店だぜ、というわけだ。

ドゥ・マゴを出て、道路を渡り、サンジェルマン・デ・プレ教会に入るとクリスマス・イブのミサが進行していた。聖職者がキリストをたたえ、この世の平和をねがい、クリスマスの聖歌を歌い、その歌声に参拝者が時々声を合わせた。日本の仏教のお経と同じで、フランスの聖職者が語るフランス語のクリスマス・メッセージは皆目理解できないが、いい雰囲気だった。日本のお坊さんの読経を聞けば去って行った人のあの世での平穏が思われ、サンジェルマンの教会で聖歌を聞くと――オルガンの響きが良かったせいもあって――クリスマスの気分にひたり心が清められる心地がする。パブロフの条件反射のようなものだ。

やがて、参拝者全員が椅子から立ち上がり、お互いに抱擁しあった。白装束の少年3人が大きな蝋燭を手に現れ、祭壇に向かって進んだ。キャンドルライト・サービスはクリスマス・イブの定番である。それは救済の光なのである。

トランプ氏が米国と世界を洗濯機のようにかき混ぜた。フランスでは2018年から始まった黄色いジャケット運動以来、2019年に入ってもマクロン氏の人気が衰えつづけた。ドイツではメルケル氏の引退が決まった。すったもんだのあげくイギリスは総選挙でEU離脱問題に一応の決着をつけた。香港では若者たちが中国の抑圧に抗議するデモを繰り広げた。オーストラリアでは例年にない山火事が広がっている。北朝鮮は貧困の中でなおツッパリ続ける。日韓関係は膠着。日本国内では「桜を見る会」「カジノ」などの代議士をめぐる醜聞が相次いだ。とはいうものの、日本の若者も世間も取り立てて怒り狂っているようには見えない。これは良いことなのだろうか?



2 シャンゼリゼ

シャンゼリゼ大通りは凱旋門があるシャルル・ドゴール(旧エトワール)広場とオベリスクが立つコンコルド広場の間を一直線に走っている。その大通りのマロニエの並木がクリスマスのころイルミネーションで輝く。

まず、凱旋門方向をながめると、こんな具合である。



ふりかえってオベリスクの方角に向かえば、こんなふうである。



シャンゼリゼ大通りは今年、赤のイルミネーションで決めている。

一方、シャンゼリゼ大通りと接続するモンテーニュ大通りは金色のイルミネーションだ。



シャンゼリゼもモンテーニュもパリを代表する通りである。シャンゼリゼにはルイ・ヴィトン、カルティエ、ロンシャン、それにディオール。モンテーニュ大通りにはグッチ、シャネル、ジヴァンシー、ニナ・リッチ。

オー・シャンゼリゼという歌がかつて日本でも流行した。♪晴れても降っても、昼も夜も、シャンゼリゼには望むものすべてがある♪ 

大意このような歌詞は、ヴェブレンの『有閑階級の理論』を思い出させる。名声の基礎は金銭的な実力であり、金銭的な実力を示す手段が衒示的消費である。要するに体面と見栄の誇示のための無駄遣いである。私は古いセイコーの鉄道時計を愛用している。今でも正確に動く。その私がシャンゼリゼでカルティエの100万円の腕時計を買えば――現実には不可能で、理屈上の話にすぎないが――それが衒示的消費である。

シャンゼリゼ大通りやモンテーニュ大通りにやってきて衒示敵消費を楽しむのは中程度以下の金持ちで、大金持ちは店頭には姿を見せない。店員が商品をもってその邸宅へお伺いするのだ、とパリに詳しい人から聞いた。

以前はこの時期になるとシャンゼリゼ大通りの両側に、貧民でも買い物が楽しめるクリスマス・マーケットが並んだそうだが、2018年から姿を消している。聞くところによると、パリ市当局がクリスマス・マーケットのオーガナイザーに道路の使用許可を与えなくなったからだという。オーガナイザーは大統領府の肝いりで、ルーブル向かいのテュイルリー公園の一角へ出店者を率いて移動し、クリスマス・マーケットを開いている。



3 セーヌ

セーヌ川はパリの中心を流れている。沢山の橋がかけられている。シテ島を中継して両岸をつなぐ橋だけでも「ポン・ヌフ」をはじめ4本ある。

ライトアップされたポン・ヌフが夜目にも著く見えてきた。右岸からながめるとシテ島側の橋のたもとにセーヌの遊覧船の船着き場が見える。気のせいかセーヌが水量を増しているようにも見える。



ポン・ヌフは新しい橋という意味だが、この橋は現存するパリ最古の橋だ。16世紀後半に着工、17世紀初頭に完成した。以後、修理を重ねたが、基本的な構造は当初のままだ。

東京にも「新橋」がある。JR新橋駅の汐留側に立ち食い蕎麦のスタンドがあった。その名を「ポン・ヌフ」と言った。名前と実態のズレが愉快なので、一度立ち寄って食ってみたいと思っているうちに、いつのまにか店は閉じられていた。

セーヌはフランスの平野部をゆったりと流れる穏やかな川なのだが、ときどき氾濫することがある。最近では、20181月。冬の大雨でセーヌが増水して流れが堤防からあふれた。花の都がベニスのような水の都になった。川岸にあるルーブル美術館は低層階を閉じ、美術品を避難させた。

セーヌ川はまた汚染された都市河川でもあった。東京の隅田川と同じ。水質浄化に努めた結果、セーヌ川、隅田川とも現在では改善されてきている。2024年の夏のオリンピックはパリで開催される。パリ市当局はトライアスロンの水泳をセーヌ川で行いたいとしている。そのために、さらなる水質浄化を進める予定だ。東京オリンピックでトライアスロンの水泳が行われるお台場のように、すれすれの水質にやきもきすることになるだろう。



ポン・ヌフの上流に何本かの橋が見える。アポリネールが「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われらの恋が流れる……日も暮れよ、鐘も鳴れ 月日は流れ、わたしは残る」(堀口大學訳)と歌ったミラボー橋はこの中にはない。ミラボー橋はずっと下流にかかる橋で、観光客があまり行かないところだ。

       Vienne la nuit sonne l’heure
       Les jours s’en vont je demeure

アポリネールの「ミラボー橋」には曲がつけられ、シャンソンとして歌い継がれてきた。この部分はそのさわりである。

詩人ギョーム・アポリネールは画家マリー・ローランサンと恋中になり、ローランサンが住んでいたミラボー橋近くに引っ越した。芸術家同士の恋は成就すれば物語性に乏しくなる。胸を打つのは悲恋である。やがて二人は別れ、それぞれ違う人と結婚した。アポリネールは37歳で死んだ。ローランサンは72歳まで生きた。

          ある程の菊投げ入れよ棺の中  漱石

ローランサンの遺言どおりに、棺の中のローランサンの胸にはアポリネールからの恋文が添えられていた、といわれている。ローランサンは自分が描いたナイーヴでセンチメンタルな絵の娘のように人生を送り、死んだ。



4 クリスマス・セール

オルセー美術館でたまたま企画展『オペラ座のドガ』を開催していた。ドガはオペラ座に通って、踊り子の様々な姿を描いた。この作品「エトワール」は、中学校か高等学校の西洋美術史の教科書で見た記憶がある。可憐な絵、という印象だった。

大人になって――といっても相当の年配者になって、この昔懐かしい絵のオリジナルを初めて見た。そしてはじめて知った。

この絵をよく見ると左上の幕のあたりに黒っぽい人影が見える。学校の教科書に掲載されていた写真では見落としていた部分だ。

『オペラ座のドガ』展の解説によると、この黒い服を着た人物は男性で、この踊り子のパトロンだという。

エドガー・ドガがこの絵を制作した1876年ごろ、オペラ座はパトロン希望者の裕福な紳士とパトロンをさがす踊り子との出会いの場となっていたそうである。そんなこと、たとえ歴史的背景だとしても、中高校の先生が生徒に念入りに教えることはまずない。

現在のパリにはオペラ座が2つある。ドガが踊り子たちの絵を描いたのはオペラ・ガルニエで、古い方のオペラ座。新しいオペラ座はバスティーユ広場にあるオペラ・バスティーユ。ドガゆかりのオペラ・ガルニエはルーブル美術館からオペラ通りを歩いて突き当りに位置している。



そのオペラ・ガルニエの背面の通りにパリの大手百貨店であるラファイエットとプランタンがある。ラファイエットは3つの建物で構成されている。そのひとつグルメ館をのぞいてみた。クリスマス用のケーキ、ハム、チーズなどを買い求める客で大賑わいだった。

フランスのケーキはおいしそうに見えた。フランスは農業国だから、ノルマンディー地方のチーズはおいしい。ハムもうまいが、日本に持ち込みが禁止されている。ずいぶん前のことだが、フランス政治思想史を専門している先生が、フランスへ行った帰りに、生ハムの片足1本をまるごとスーツケースに忍ばせて持ち帰り、電動のスライサーを買って、当時は豪華絢爛の食品だった生ハムの大盤振る舞いをしてくれた事があった。いまそんなことをしたら大変だ。

ラファイエットの隣のプランタンは、かつて東京・銀座に進出していたが、撤退して今はない。プランタンの本店はのぞかなかったが、ルーブル美術館の地下にあるプランタン・ルーブル店でクリスマス・セールを行っていた。



1年で一番楽しいショッピングの季節である。

とはいうものの、クリスマスイブの24日の宵に、サンジェルマン・デ・プレ教会に詣でたついでに見た教会周辺のクリスマス・マーケットは人影がまばらで、寒々しかった。



ルーアンの大聖堂の写真を撮りに行ったとき、カテドラル前の広場のクリスマス・マーケットをのぞいたが、開店早々の午前中だったせいか、お客さんは少なかった。新宿・花園神社の酉の市などの雑沓とはずいぶんと違う。





5 パリへ

2020116日、米国下院がトランプ大統領の弾劾決議を上院に送った。

東京からパリへ向かったのが20191219日。空港のテレビがCNNの米下院の審議の模様を中継していた。トランプ大統領を弾劾すべきかどうかという議論である。議員が次々に登壇して意見を述べていた。

   

飛行機が飛び立ってもCNNは議会中継を続けていた。飛行機の中でご飯を食べて、あくびをして、一眠りして、目が覚めてもCNNは大統領弾劾の議会ニュースを流していた。画面を見ると、演説が終り、採決を経て、下院の弾劾決議が成立していた。

パリが近くなってきたころ、ペロシ下院議長が当面は弾劾条項を上院に送らないというニュースをCNNが流した。上院の共和党議員の態度を慎重に測っていたのだろうが、下院決議から上院送付まで4週間かかった。

パリに着いたら交通ストが続いていた。空港から市内まで車が数珠つなぎで、普段なら40分のところ3倍以上の時間がかかった。

パリの交通ストは116日現在なお続いている。ストライキが始まってすでに40日以上がたつ異常事態だ。

詳しいことは不案内だが、年金制度の変更をめぐるマクロン大統領案に、交通労組が恵まれたものがより恵まれ、恵まれていない者はより恵まれなくなる、と激しく反対している。フランスの年金制度は業種によって異なり、マクロン政権は複雑な年金制度を一本化しようとした。

16路線ある地下鉄のうち動いているのは2路線のみ。あとは完全停止か、部分運行。地下鉄入り口のシャッターは閉じられたままだ。

公営バスはまがりなりにも動いている。なかなか来ないバスを辛抱強く待つか、自転車で移動するか、あとは自分の足で歩くしかない。

動いている地下鉄もバスも満員で、スリが横行しているとのうわさが広がっている。EUのスリがパリに大集合しているとささやかれている。

そういう日々がもう40日以上続いている。パリの人は辛抱強い。

2018年から2019年にかけて、フランスで黄色いチョッキ運動が盛り上がった。マクロン政権に対する批判の該当運動だった。その余熱がまだ残っているのだろうか。フランスの労働組合組織率は全業種平均で1割程度と言われている。

日本の労働組織率はフランスより少し高いが、日本では久しく交通ゼネストは発生していない。フランスは面白いところだ。

(写真と文: 花崎泰雄)