歌仙独吟「ベナレス下る」

2006年夏

mandala(写真)+鰻鱈(caption)



1 
野ざらしやベナレス下る草枕 
(注1)




注1
「焼けねえのがいい。焼けねえまま、空を見ながら、ゆらりゆらりと河を下って海につく。
いいもんじゃねえか」(安引宏他『カルカッタ大全』人文書院、1989年、87ページ)




2 
送り火揺れて川面にひとつ 
(注2)



(注2)
「彼は生まれると寿命のあるかぎり生存する。彼が死ぬと、人々は
彼を、(火葬にするため)規定のままに、この世からまさしく火へと運
んで行く。もともとそれ(火)から彼は(この世へ)来た」
――ウパニシャッド
(『世界の名著1 バラモン経典』中央公論社、1969年、110ページ)




3 
ガンジスの舟は彼岸へ漕ぎ出して  (注3)



(注3)
恒河沙 こうがしゃ 恒河はガンジス河で、ガンジス河の砂の数のように
多いことをいう。<恒沙>とも略される。無数であることの比喩としてもち
いられ、諸仏、菩薩、あるいは仏国土の数などが計り知れないことをたと
える。「浜のまさご」と同じ。(『岩波仏教辞典』)。数学では10の52乗をいう。



4 
聖なる水で洗い清める 
(注4)



(注4)
「水の中にすべての医薬はあり」
――アーバス(水の女神)の歌、『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波文庫)から。




5 
人は道を牛に譲るや路地の奥 (注5)



(注5)
ベナレス(バナラス、バラナシ、カーシ)はシヴァ神の町で、
シヴァに仕える聖牛ナンディンへの敬意もあって、ことの
ほか牛が大切にあつかわれている。mandalaはバラナシ
で取材したあと、コルカタ(カルカッタ)―凝る肩軽か
った―に出て、ホテル・オベロイに泊まり、レストランでビ
ーフ・ステーキを食べた。米国から輸入したチルド・ビーフ
ではなく、インド国産のローカル・ビーフ(地牛)だ。バチあ
たり。mandalaに何かあったら、インドで牛食った報いだ。




6 
バラナシ・ガートはワンダーランド 
(注6)



(注6)
インドで最も聖なる河ガンジスに面するインド最高の聖地バラナシには、
沐浴や火葬のために100以上のガート(ghat, step)が設けられている、
といわれる。L. P. Vidyarthi, The Sacred Complex of Kashi: A Microcosm
of Indian Civilization
, Delhi, Concept Publishing, 1979には、71ヵ所のガート
が、主として利用する人々のカーストや言語グループを付記してリストアップ
されている(176-179ページ)。ガートはまた社交場でもある。ケバいサドゥー
(苦行者)も現れて見飽きない。




7 
如何にして死とむきあうか石の街 (注7)



(注7)
バラナシに巡礼に来て、ガートで沐浴し、バラナシで息を引き取り、ガートで
火葬、遺灰をガンジスに流してもらうのがヒンドゥー教徒のあこがれである。
では、どんな人が巡礼に来るのか。注6のVidyarthiの本(pp. 318-319)による
と、巡礼者の3分の1がカースト最上位のブラーミンで、巡礼者の94パーセン
トが識字層である。ちなみに2001年のインドの識字率は65パーセント。巡礼
者の職業別では農民は16パーセントにすぎない。巡礼者の半数弱は、巡礼
を6回以上重ねているリピーターである。死は等しく人を訪れるが、死を迎える
ための環境整備は俗世での権力と深くかかわりあっている。



8 
たつき細々壁を背にして (注8)



(注8)
「世間その人を嫌わず、その人も世間を嫌わず、歓喜・憤激・恐怖・不安より
解放せられたる者、彼もまたわが愛するところなり」
(辻直四郎訳『バガヴァッド・ギーター』講談社、1980年、第12章の15、205ページ)



9 
今日も噛むベテルの快楽赤い口 (注9)



(注9)
ベテル・チューイング> ヤシ科のアレカヤシ、通称ビンロウジュ Arecacatechu の種子(ベテル・ナット)
の核と石灰を、コショウ科のつる性植物キンマ Piper betle の葉で包み、これを口の中でむ習慣をベテル・
チューイングと呼ぶ。
んでいると口中が朱赤色になり、これを唾液とともに吐く。チョウジ、カルダモン
などの香料を加えることもある。ベテル・ナットはアルカロイドを含み、興奮性の麻酔作用があり、紀元前よ
りインド、東南アジア、オセアニアの各地で咬
masticatory として広く栽培・利用されてきた。インド、
マレーシアではアレカヤシの種核を石灰と煮たり、乾燥・塩蔵したものが商品として売られる。ベテル・ナット
は日常の嗜好品としてだけでなく、来客の接待、結婚式の交換財、祖霊崇拝儀礼の供物、悪霊払い、厄よけと
いった社会的・宗教的目的にも使われる。ベテル・ナットを砕いたり、石灰を入れるのに種々の器具が使われる
(平凡社世界大百科事典)。




10 
乳酸菌はおなかに優し (注10)



(注10)
ダヒーは牛乳を乳酸菌で凝固させたもので、ヨーグルトの一種。インドでは
これをそのまま指ですくって食べたり、サラダに入れたり、インドの国民
飲料ラッシーにして飲む。ラッシーとは日本にもある飲むヨーグルトだと
思えばいい。味は違うが、感じは似ている。だが、バラナシの路地でダヒー
を味見するには、ちょっとした勇気がいる。



11 
ボクの夢ラジャを夢見る道の端 (注11)



(注11)
「あたかも陶師が土隗より、
望みのものを造るごと、
人は自ら造りたる
宿業(さだめ)を受くるものなるぞ」

(ナーラーヤナ『ヒトーパデーシャ』岩波文庫,15ページ)



12
市場簡素な菜食の町 (注12)



(注12)
慾ハナク
決シテイカラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ…」
      ――宮沢賢治



13
市中をにおうがごとくたおやかに (注13)



(注13)
インドは世界最大の牛飼育国で、世界の牛の3割強がいる。
ところが、インドの牛肉生産量はわずか世界の4パーセントに過
ぎない(米国農務省統計、2004年)。ベナレスの牛はインドの他
の地の牛より栄養状態がいい。したがって、個体あたりの燃料
生産量は高いと推定される。




14
牛にひかれてシヴァの社へ (注14)



(注14)
シヴァ神を祭る寺院に行くと入口にシヴァの乗り物である聖牛ナンディンの像がしつ
らえててある。寺院の内部に祭られているシヴァのご神体はリンガである。そのご神体に、
ちょうどお墓に水をかけるように、聖水をかけてお祈りする。シヴァはアーリア系のバ
ラモン教のあらぶる暴風雨神・ルドラがインド地元の神の要素を取り入れて出来上がっ
た破壊と創造の神とされている。中国や日本では大自在天の名で知られている。日本の
天神様にも牛の像がおいてある。天満宮は怨霊のかたまりとなって、政敵の宮廷官僚たち
にたたった日本のあらぶる雷神・大自在天こと菅原道真を慰撫するための装置である。



15
主ここに裸足の床にぬめりあり (注15)



(注15)
Richard Lannoy, Benares Seen from Within, Seattle, University of Washington Press, 1999
よるとバラナシの人口は120万人で、その73パーセントがヒンドゥー教徒だ。ヒンドゥー教徒人口の
4分の3が多かれ少なかれ巡礼関連の仕事で収入を得ている。バラナシには約1,400のヒンドゥー寺院
がある。ムスリムは人口の23パーセントを占める。モスクは100以上を数える。年間100万人以上の巡
礼がバラナシを訪れる。



16
路上ノ喜劇ハ輪廻ヲ厭ワズ (注16)



(注16)
「来世での見込みを危険にさらさず、
財産を失うような羽目にもならず、
しかもなお楽しみの多い、
そんな情事をもつこと」
――『カーマ・スートラ』のしるす教養ある人士のつとめ――
V.S.ナイポール『インド・闇の領域』人文書院、1985年、135ページ。




17
神あまた時間空間ユビキタス (注17)



(注17)
When you were born you cried
And the whole world rejoiced.
Live such a life when you die
The whole world cries and you rejoice.
---a verse often quoted in India---
Usharbudh Arya, Meditation and the Art of Dying,
Honesdale, Pennsylvania, Himalayan International
Institute of Yoga Science and Philosophy, 1985, p.113.



18
シタール抱いた午後の静謐 (注18)



(注18)
Mandalaはこの写真をベナレス・ヒンドゥー大学(BHU)キャンパスの
中心にあるヴィシュワナート寺院で撮影した。ヴィシュワナート寺院は
1931年に着工、30年をかけて完成した7つの小寺院をおさめた寺院コ
ンプレックスである。この楽師たちが奏でるインド音楽を聴くために、
mandala
3日間ヴィシュワナートに通った。BHUは古典サンスクリット学
やヒンドゥー法学、仏教学の研究センターである。南アジア史専攻の荒
松雄氏は1950年代にこの大学に留学していたことがあり、30年近くたって再訪
したところ、恩師の1人は出家して聖地で乞食の生活をおくっていたそうで
ある(荒松雄『インドとまじわる』未来社、1982年、49-50ページ)。



19
夕間暮れひと降りあるか雨季の空  (注19)



(注19)
「風吹き起こり、電光ひらめく。草木は芽ばえ、天は(水に)あふる」
(「パルジャニア(雨神)の歌」辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫)。




20
ここも米食う人の里なり (注20



(注20
世界のコメ生産国上位10位は、@中国AインドBインドネシア
CバングラデシュDベトナムEタイFミャンマーGフィリピン
H日本Iブラジルである(2001年)。主要米生産国は緯度では
インドネシアから日本、経度ではインドから日本、その間にある
湿潤アジアに集中している。



21
はじらいて寝仏と化す野の娘 (注21)



(注21
「みめうるはしきたをやめの、ほこる姿か目もあやに、ゆあみの
あとの色映えし肌へ見よとやあけぼののは、すっくと立ちぬわが
前に――『リグ・ヴェーダ』580。(『講座東洋思想1 インド
思想』東京大学出版会、1967年、から)




22
最後っ屁よりきつい排ガス (注22)



(注22)
「人々はいやいやながらも、徐々に、少なくとも予見できる将来には、
ベナレスのお楽しみもおしまいになってしまうだろう、と感じ始め
ている」(Richard Lannoy, Benares Seen from Within, Seattle,
University of Washington Press, 1999, p.426.
)。ベナレスは人口
過密になり、下水システムが機能不全に陥り、100万人を超える市民
や何万もの周辺村落の人口の健康を脅かすようになった。すべてを浄
化するはずの聖ガンジスの水も絶望的に汚染が進んだ。誰もがベナレ
スの危機を知ってはいるが、その事実をあえて語ろうとする人はいな
い。Benares Seen from Withinの著者は、環境劣悪化による聖地ヴァ
ラナシの崩壊についてそう書いている。




23
街中を韋駄天のごとミルクマン (注23)



(注23)
11億人のインド人のうち3分の1が、昨年少なくとも一度は
ひもじい思いをした。インドの主要紙『ヒンドゥー』など
が実施した調査でわかった。また、インド人は菜食主義者
であるという一般の通念に反して、6割の人が肉を食べるこ
とも分かった。調査は全国規模で、回答者は約14,000人。イ
ンド経済は約8%成長と好調で、回答者のほぼ半分は100年前
に比べて食生活は良くなったと答えているが、人口のほぼ3分
の1は1日当たり1ドル未満で生活している。
AFP=時事、2006814日)




24
モダン影絵に人は群がる(注24)



(注14)

映画は、インドは映画大国で、年間製作本数は約800本といわれる。
お話は単純にして明快、美女がいて、美男がいて、悪い奴と良い奴
がはっきりしていて、恋あり、笑いあり、涙あり、歌あり、踊りあり、
なんでもかんでも目いっぱいに詰め込んである。東南アジアなどに輸
出している。鰻鱈はジャカルタに住んでいたころ、退屈しのぎにイン
ドネシア国営テレビでインドもののTVドラマを見て、余計に退屈した
ものだ。「踊るマハラジャ」なんて映画が日本で公開されたこともある。




25
愛妾の羽衣求めるお大尽 (注25)



(注25)
ベナレスはインド有数の絹の産地でもある。美しく高価なサリーが商店の
店頭に置いてある。「聖ガンジスのほとりでは、粗末な一枚の木綿の布こ
そが相応しいはずである。だが、聖地ベナーレスは、今なお高価なサーリ
ーの産地としても有名だ。無と有と、醜と美と、そして聖と俗とが、ここ
では隣り合わせに実在している」
(荒松雄『インドとまじわる』未来社、1982年、38ページ)



26
岸辺は晴れて満艦飾に (注26)



(注26)
洗濯人は4大カースト第4位のシュードラに属すが、シュードラ・グループの中
で軽視されている。汚れ物を扱わされているのがその理由のひとつだ(J.A.デュ
ボア『カーストの民』東洋文庫、1988年、84-85ページ)。ところで、mandala
はバラナシのホテルで、白の綿ソックスを洗濯に出した。ソックスはねずみ色に
染まって戻ってきた。




27
宮参り青いサリーの腕の中 (注27)



(注27)
インドの人口は、国連の予測によると2050年までに159300万人に増加、
中国を抜いて世界一になる。これからしばらく、インドはこの世もあの世も
こみあう。
インドの
合計特殊出生率は、1950年代が6弱、90年代が3台、
2005
年から10年までの間に3を割り、2025年から30年には2を割ると予
測されている。




28
人はせかせか牛はまどろむ (注28)



(注28)
鯨を殺すな、鯨肉を食べるという野蛮な食生活を捨てろ、という国際的大運動がある。
ところで、牛を殺すな、牛肉を食べるという野蛮な食生活を捨てろ、とインド人が中
心になって、国際的大運動を盛り上げたという話は、どうも聞いたことがない。なぜ
だろうか?



29
これ買えと眠気覚ましの法螺高く(注29)



(注29)

「クリシュナがパーンチャジャニヤ(法螺の名)を、アルジュナがデーヴァダッタを、
恐ろしい行為をなす狼腹(ビーマ)がパウンドラという大法螺を吹き鳴らした。クン
ティーの息子ユディシュティラはアナンタヴィジャヤを、ナクラとサハデーヴァがス
ゴーシャとマニプシュパカを吹き鳴らした。最高の射手カーシ国王、偉大な戦士シカ
ンディン、ドリシタデュムナ、ヴィラータ、無敵のサーティヤキ、ドルパダ、ドラウ
パディーの息子たち、勇猛なスパドラーの息子も、それぞれ一せいに法螺を吹き鳴らし
た。そのすさまじい音は天地を反響させて、ドリタラーシトラの息子たちの心を引き
裂いた」(上村勝彦『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫、1992年、27ページ)



30
頭まるめて発心のとき (注30)



(注30)
ヒンドゥー教徒は剃髪が好きだ。1歳あるいは3歳のとき
剃髪の儀式を執り行い、次に10歳過ぎに早めの元服式の
意味をこめて頭を丸める。それ以後も発心あるときは頭
をまるめる。夫と死別した妻も髪をおろす。




31
行くべえか日は中天に緋の衣 (注31)



(注31)
南アジア史が専門の荒松雄氏が書いたエッセイにこんな話がある。
同氏はベナレス・ヒンドゥー大学で研究していた1950年代、ガー
トへの散歩を日課にしていた。ある日、西洋の観光客を前に、老ヨ
ーギが超絶ヨーガ技法を披露するのを目撃した。ヨーガ行者は観光
客一行を見渡し、両手を頭の上で組み合わせた。するとまもなく、
観光客からどよめきがおきた。毛をそり落とした行者のリンガがむ
くむくと頭をもたげ始めたのだ。ついで、彼は傍らの紐のついた煉
瓦をリンガの先端部分にぶら下げた。ガイドが差し出したお布施を
あっさり断って、行者はガートを下り、船に乗って去った、という
(荒松雄『インドとまじわる』未来社、1982年、55-56ページ)。
Mandalaはそのような超絶シーンにまだ遭遇していない。



32
聖なる水はぬるま湯に似て (注32)



(注32)
“……here I feel everyday as if soon, perhaps today, I will receive
the grace of supreme revelation.” ----Herman Keyserling in The Travel
Diary of a Philosopher
(cited by Rajesh Bedi and John Keay, Banaras:
City of Shiva
, New Delhi, Brijbasi Pinters, 1987, p. 8.)




33
帰依し奉る祈る姿のかくも美し 注33



(注33)
*「わがために行作をなし、われに専向し、われに誠信を捧げ、執着をはなれ、一切万物に対して敵意なき者、
彼はわれにきたる……」(辻直四郎訳『バガヴァッド・ギーター』講談社、1980年、第11章の55)。

古来、これがバガヴァッド・ギーターの精髄であるとされてきた。ただし、辻の翻訳はちと硬い。

*「私のための行為をし、私に専念し、私を信愛し、執着を離れ、すべてのものに対して敵意のない人は、まさ
に私にいたる」(上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫、1992年)のほうが、わかりやすい。

ちなみに英文だと、

* Whosoever works for me alone, makes me his only goal and devoted to me, free from attachment, and
without hatred toward any creature---that man shall enter to me. (Swami Prahavananda & Christopher
Isherwood, Bhagavad-Gita: The Song of God, Everyman’s Library, 1975.)

* One who is engaged in My pure devotional service, free from the contaminations of previous activities
and from mental speculations, who is friendly to every living entity certainly comes to Me.
(Swami Prabhupada, Bhagavad-gita As It Is, Bombay, Bhaktivedanta Book Trust, 1978.)



34
心のありか照らすともしび (注34)



(注34)
一粒の水滴は海とかわらず、一灯もまたディワーリーの万灯に等しい。



35
神ありてガート見下ろすシヴァの街 (注35)



(注35)
ガンジス河はバラナシでは北へ向かって流れている。北はシヴァ神の故郷ヒマラヤの
方角である。バラナシの街はガンジス左岸にあるから、石造りの旧市街の建物は東向
きに建っている。朝日が昇るとき、太陽がガンジスを照らし、バラナシの街のファサー
ドを赤く染める。神々しい風景である。人がここで人生の最後を迎えたくなるのがわ
かる。「40年ほど前、ネパールの王族の1人がスイスで亡くなった。その人の遺体は
チャーター機でバラナシに運ばれ、ガンジスの岸辺で荼毘にふされた」(N.K. Sharma,
Caste, Custom & Faith in Hinduism, Varanasi, Saraswati Mudranalaya, no date, P. 157
)。
貧乏人は荷車や人力車、輪タクで運ばれてくる。もともと死にかけている人々だから、
死出の旅路が負担になって、バラナシにたどり着いて「死を待つ家」に担ぎ込まれると、
まもなく亡くなる。ある「死を待つ家」での観察記録によると、運び込まれた人々の4
がその当日に死亡している(Christpher Justice, Dying the Good Death, Albany,
State University of New York Press, 1997, pp. 198-199
)。



36
きのう今日あす煙たなびく(注36



(注36)
「僕はベナレスに来てはじめて、火葬とは人がその終焉に自ら燃え上がり、
浄化されるものであることを知った」
(山田和『インド大修行時代』講談社文庫、2002年、173ページ)

「なにも穴倉ん中で焼いて欲しい奴はそういねえ。誰だって大空の下で焼かれてえやね」
安引宏他『カルカッタ大全』人文書院、1989年87ページ)



<番外>
またしても輪廻

以上で、歌仙「ベナレス下る」はおしまいだ。だが、ふと気づくと、
caption 36がcaption 1へと輪廻しているではないか。「あたかも灯火が吹
き消されるように、完全なニルヴァーナに赴く」(シャンカラ『ウ
パデーシャ・サーハスリー』岩波文庫、1988年、192ページ)とい
う具合にはいかなかった。



バラナシからコルカタに出た。ある朝、3時間ほど外出してホテルに
帰ってきたとき、近くの舗道にホトケが一体転がっていた。ホテルを
出たときは、そこには生きた乞食がゴザの上にすわって、物乞いをし
ていた。まもなく死ぬことになるようには見えなかったのだが。通行
人は道路わきの遺体など見向きもしないで足早に歩いていた。

「生まれた者に死は必定であり、死んだ者に生は必定であるから。それ
故、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない」
(上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫、第227


                               ――おわり――