1 帰還

2011311日の東日本大震災の死者は日本全国で19,579人。行方不明者が2,577人。死者・行方不明者の合計は22,156人である。最も多くの死者が出たのは、宮城県で10,563人(行方不明者 1,227人)である。岩手県は死者5,136人(行方不明者 1121人)。福島県の場合は死者3,762人(行方不明者 225人)だった(消防庁調べ 201791日現在)。

岩手、宮城、福島の3県は太平洋岸に長い海岸線を持っている。歴史をひもとけば、この3県は繰り返し津波被害を受けている。津波が来るたびに人々は逃げまどい、津波が引くたびに人々はまた海岸線にもどり、普通のくらしをはじめた。

だが、福島県の太平洋沿岸の地域では、これまでと様相を異にした。

震災関連死という不吉な言葉がある。2012年に復興庁が震災関連死を次のように定義した。「東日本大震災による負傷の悪化などにより死亡し、災害弔慰金の支給等に関する法律に基づき、当該災害弔慰金の支給対象となった者」。震災で治療を受けられなかったため既往症が悪化して死亡した人、避難所生活での肉体的・精神的な負担により死亡した人などが災害弔慰金の支給対象になる。2012331日までの東日本震災関連死者は、岩手県で193人、宮城県で636人、福島県で761人だった。

およそ5年後の2017331日現在での復興庁の調べでは、震災関連死者の累計は福島県が2,147人、宮城県が926人、岩手県が463となった。消防庁調べの201791日現在の福島県の震災死者が3,762人で、同年331日現在の関連死者2,147人を引くと、震災による直接死者は1,613人になる。直接死よりも関連死の方が多い。岩手県の直接死者4,673人、関連死者463人、宮城県の直接死者9,540人、関連死者926人と比べて、福島県の関連死の数字は突出している。

福島県の場合、地震と津波の被害に加えて、東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故で、太平洋沿岸部の多くの市町村が放射能に汚染された。津波が来なかった山間部の住民も、放射能汚染に追われて住み慣れた地域を捨て、福島県内の他の市町村や、全国の市町村に逃れた。避難を余儀なくされた地域は太平洋沿岸の12市町村に及んだ。原発事故の約1年後、避難者数は164,865人に達した(福島県ホームページ)。福島県の人口が当時188万人だったから、ピーク時には人口の1割弱が避難のために故郷を離れた。201710月には避難者は54,579人に減少したが、それでもなお人口の約3パーセントがデラシネ状態だ。

旧ソ連邦時代の1986年に原子炉がメルトダウンしたウクライナのチェルノブイリでは今なお原発跡から30キロ圏内以内は立ち入り禁止のままだ。福島第1原子力発電所のメルトダウン・水素爆発事故も、国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)で、チェルノブイリと同規模の深刻な事故を意味するレベル7と事故直後に暫定評価された。

福島では第1原発から汚染半径20キロ圏内と、20キロ圏外であっても放射線量の高い地域に避難指示が出た。福島では汚染地域の除染が進み、20174月までに、福島第1原発すぐ近くの大熊町、双葉町をのぞいて避難指示が解除された。その他の町村でも線量の高い一部の地域の避難指示は解除されていない。

20166月に避難指示が解除された内陸部の川内村では、避難していた人のうち2,196人がすでに村に帰り、なお517人が避難を続けている(20179月現在)。一方、浪江町では町の中心部にあたる地域が20173月に避難指示解除となったが、なお20,681人が故郷に帰って来ていない。20178月現在で、浪江町に住んでいる人はわずか326人である。同じように20173月に避難指示が解除された内陸部の飯舘村では20179月現在、5,475人が避難先にとどまっている。村の住民登録者は6,509人である。

この先、福島第1原発で廃炉作業が延々と続く。村や町は再生できるのだろうか? 故郷に帰りたい人が故郷に帰れる日が来るのだろうか?



2 漁港の風景

福島県浪江町の請戸漁港。海鳥がのんびりと翼を休めていた。



請戸漁港は20173月末をもって町の行政区域の一部が避難指示を解除された浪江町の、当然のことながら、海沿いにある。漁港には6年ぶりに漁船が戻って来ていた。漁港としての本格的な施設はまだ工事中で、漁船が係留できる程度の状態にとどまっている。

福島の農業も、そして漁業も、福島第1原発の爆発事故で被った放射能汚染によって苦しい展開を強いられている。用心と風評被害は紙一重だ。

1原発事故以前は、海で獲れた魚については、その販売にあたって、漁獲水域名、または地域名を記載する決まりになっていた。水域名の記載が困難な場合は水揚港名、または水揚港が属する都道府県名を記載することができるきまりだった。

たとえば、福島沖で獲れた魚を「福島沖」「福島県」とすることも「日本太平洋北部」とすることも可能だった。しかし、この決まりごとは東日本大震災による福島第1原発爆発以後、その区分が行政官庁によって厳格化された。福島沖で獲れた沿岸性魚種の魚についてはすべて「福島県沖」と明記することになった。回遊性の魚については、福島県の陸地から200カイリ以内に漁場があった場合は「福島県沖」とし、200カイリの外の場合は「日本太平洋北部」とすることに改められた。

魚に「産地 福島県沖」とラベルを張っても、それが売れ行きの邪魔にならなくなるまでには、この先長い時間がかかることだろう。

請戸港に係留されている漁船のマストの向こうに高い塔やクレーンが見える。福島第1原子力発電所だ。請戸港は第1原発から6キロほど北方に位置している。大地震が起きる可能性があること、津波の襲来がありうることは理解していたが、今日明日にもそれが起こると恐れていた人は極めて少数だった。津波によって原発が重大事故を起こすことにおびえていた人も多くはなかった。人その日その日を生きるため、潜在的な恐怖と馴れ合う。

 

いま日本国内に42基の原子力発電炉がある。九州電力の川内原子力発電所の12号機と、関西電力の高浜原子力発電所3号機、4号機をのぞいて、201712月現在、38基が、東日本大震災による運転停止や定期検査などで運転を停止している。18基の廃止も決まっている。

一方で、青森県の東京電力東通1号機など3基が建設中だが、東日本大震災の影響で工事は進んでいない。また、九州電力川内3号機など6基が建設準備中である。福島第1原発の惨状の記憶が国民の記憶に残っている間は、これらの建設が進むかどうか、定かではない。

長い目で見れば、用地取得難で新しい原発建設は難しくなり、寿命40年の(延長しているものもあるが)原発は自然消滅へと向かう。こうした状況にあっても、エネルギー関連業界、関連官庁、関連政治家は原発推進の旗を降ろしていない。

国際エネルギー機関(IEA)2014年の資料によると、世界各国の原発依存度(総発電量)は、@フランス76%Aウクライナ45%Bスウェーデン39%C 韓国28%Cイギリス205%Dアメリカ19%Eロシア17%Fドイツ16%Gカナダ15I中国2%の順である。日本は2011年の東日本大震災・福島第1原発爆発事故以降全ての原発を停止していた。日本は設備としてはアメリカ、フランスに次いで世界第3位の電力供給力を持っている。

福島第1原発の惨状を知ってドイツ、スイス、ベルギーなどの政府が原発廃止を決断した。これらの国がどんな理由で、あるいは理念に基づいて、原子力発電に終止符を打とうと決断したのか、日本にはそのことが詳しく伝わってこない。

オーストラリアは世界のウラン埋蔵量の3分の1を保有している。カザフスタン、カナダに次ぐ世界で3番目のウラン生産国だ。しかし、オーストラリアはこれまでに原発を持ったことがない。オーストラリアは豊富に産出する石炭を焚いて火力発電に徹してきた。福島第1原発爆発事故、メルボルンで恩師の大学教授にあった時、「地球温暖化のことでは世界のみなさまに申し訳ないのだが……」と、原発を持たない政策に賛同の意を示していた。

オーストラリアは火山も地震も極めて少ない国の1つだ。逆に、日本には110もの活火山がある。日本の国土の面積は約38万平方キロメートルで、世界の陸地面積の0.25%に過ぎないというのに、世界中の火山の約7パーセントを日本は抱え込んでいる。また、地震についていえば、世界中のマグニチュード6以上の大地震の22パーセントが日本で発生している。

20171213日、広島高裁が愛媛県にある四国電力伊方原発3号機の運転を禁じる決定をした。広島地裁の運転を認める判断を覆した決定である。熊本県の阿蘇山が過去最大規模の噴火をした場合、海を挟んで130キロ離れているが、伊方原発も火砕流の影響を受けないとはいえないというのが、運転禁止の理由だ。

東京電力と関係機関は福島第1原発の建設にあたって、ありうる津波の高さの予測に失敗した。爆発事故を起こした14号機は海抜10メートル。難を免れた56号機は海抜13メートルだった。3メートルの差が明暗につながったのである。では、どのくらいの海抜であれば100パーセント津波から難をのがれることができるのか? 

日本列島は、北米プレート、ユーラシアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート の4つのプレートの上にある。天が崩れるのではないかと案じるのが杞憂だが、日本人が踏みしめている大地はいつ大揺れするか、だれも予測できない。そもそも荒ぶる惑星・地球の営みをコントロールする術などない。その意味で広島高裁の判断を杞憂ということはできない。日本列島は原発立地に適していない。



請戸港の工事現場の南の端から福島第1原発が見える。第1原発の後始末のために、毎日7千人の人が構内で働いている。福島県内の人が半分、県外の人が半分。福島県内人の多くが原発に近い「浜通り」の人だ。原発事故で迷惑を受けた人が、その後始末のために働いている。別の言い方をすれば、原発が運転されていたころは原発関連の大きな雇用が生み出され、爆発後はその後始末でまた雇用が生じた。

なんともやるせない風景である。



3 国道6

東京・仙台間を太平洋岸沿いに結ぶ国道6号は、福島第1原発の爆発と放射能拡散で原発周辺の道路の通行が制限されてきた。現在では、富岡町の北側の一部と大熊町―双葉町内の国道6号が規制を受けている。第1原発は大熊町と双葉町の海岸沿いにまたがっていて、これらの地域はなお帰還困難区域の指定を受けたままだ。

これらの地域を通る国道6号は屋根つきの4輪自動車であれば通行できる。車の窓を閉め、エアコンは外気を取り入れない室内循環にセットし、決して路上に車を止めて道路に出ないように、というのが通行の心得である。バイクで走ることはできない。ということは、4輪自動車でもオープンカーはダメだろう。

 

国道6号から大熊町や双葉町に入る生活道路はすべてバリケードで封鎖されている。特別の許可を受けた車でないと町内に入ることはできない。完全なゴーズタウンだ。バリケードの前には警備員がいて通行許可証をチェックしている。警備員の服装はごく普通の警備員の服装で、放射能対策用の装備は身に着けていない。居住するには危険性があるが、屋外勤務には危険性のない放射能値なのだろう。

 

大熊町や双葉町の放置された家屋ではネズミが大量発生しているそうである。福島県は数年前に「避難指示区域におけるネズミ対応マニュアル」というパンフレットを出した。

 


国道6号沿いの大熊・双葉両町の風景をながめた。走る車から道路沿いの風景を、遅めのシャッタースピードで撮影した。車の揺れもあって、風景が滲み、流れた。

 

さて、ヒロシマ・ナガサキ被爆に由来する反原子力の機運の高かった戦後日本が、原子力の平和利用のかけ声とともに、原発推進に舵を切ったのは195312月の当時のアイゼンハワー米大統領の国連演説「核の平和利用」(Atoms For Peace)がきっかけである。1949年から始まったソ連の核実験によって、核の米独占が崩れた。そこで、既存の核保有国だけに独占的な核兵器の保有を認め、その他の国には非軍事面での核の平和利用を推進させようとした。

米国はインドやパキスタンなどに平和利用の援助と支援を与えたが、やがて両国とも平和利用の垣根を越えて軍事利用に進んだ。インドはカナダから提供された研究炉からプルトニウムを取り出した。中国の核武装を恐怖と感じたインドは核武装に進み、インドの核武装に脅威を感じたパキスタンも核兵器を持つにいたった。

日本もアメリカの支援で核の平和利用に走り出した。19667月に日本原子力発電が日本初の商業用原子力発電所として営業運転を開始してから半世紀、日本がためこんだ未照射分離プルトニウムは46.9トンになる(国内保有9.8トン、国外保有37.1トン、201781日内閣府発表)。プルトニウムは核兵器の材料になることから国際的に厳しく管理されている。日本のプルトニウム保有量を諸外国は潜在的脅威と感じている。日本核武装への懸念、テロの標的、周辺諸国のプルトニウム生産競争の引き金、などがその理由である。

日本にある発電用原子炉はすべて軽水炉でそこから出た使用ずみ燃料を再処理して得たプルトニウムでは核兵器は製造できないという説と、効率や性能は劣るが核兵器を造ることは可能だという説がある。本当のところは、やってみないとわからない。

東日本大震災・津波・福島第1原発爆発事故があった20113月に先立つこと5か月ほど前の2010103日放映のNHKスペシャル『“核”を求めた日本』が1969925日の外務省『我が国の外交政策大綱』を日本の核政策の底流にある考え方として、紹介したことがある(番組はインターネットのyoutubeで見ることができる。単行本にもなった)。

「核兵器については、NTPに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘を受けないよう配慮する。又核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持ち込みに際し無用の国内的混乱を避けるように配慮する」

『我が国の外交政策大綱』はすでに秘密指定を解除され、外務省のホームページから入手が可能である。外務省はNHKにすっぱ抜かれた資料の説明・弁明のために、いくつかの資料をホームページで公開している。『我が国の外交政策大綱』はその中の1つである。

中国やインド、それに今では北朝鮮も核保有国だ。日本は核兵器を持たない二流国になったし、もし何らかの事情でアメリカが日本にさしかけてくれている核の傘に裂け目ができた場合、日本の安全保障はどうなるのか、と心配する人がいる。「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」という1969年の『我が国の外交政策大綱』の一文が頭から離れない人たちである。「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」「非核三原則により、政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している」というのが今の安倍内閣の考え方だ。政府が原発存続にこだわるのは経済効率(ほんとうに経済的に効率的なのかどうか、これもまた議論のあるところだが)だけではなく、国家の面子や安全保障上の思惑もあってのことだろう。



政治のリアリストを自称する人たちは、ゴーストタウンにネズミがはびこる荒涼とした風景など歯牙にもかけない。

(写真と文: 花崎泰雄)