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2006年10-12月号 


  笑門来福

こういっては何だけど、歳をとっても軽口の技術は衰えないもんだね。2006年10月3日(火曜日)の朝日新聞(東京)朝刊23面(文化総合)に載った丸谷才一氏の月一連載エッセイ『袖のボタン』の「政治と言葉」には、抱腹絶倒のちょっと手前まで行った。

近代民主政治は言葉によっておこなわれる慣わしだが、安倍晋三著『美しい国へ』の読後感が朦朧としているのは、どうも著者に言うべきことが乏しいからだろう。しかし民衆が政治家に言葉の発揮を要求することが少ない日本の政治では、言葉以外のものがなお効果をもっている。以上のような、なんてことはない道理が丸谷氏のエッセイの結論で、それに、安倍首相の場合は、祖父岸信介、大叔父佐藤栄作、父安倍晋太郎という血筋に頼っているので、言葉などは大事ではない、というオチというか、蛇足のようなものがついている。

実はこのエッセイでもっとも笑えるのは、その前半で、日本のワンフレーズ・ポリティックスの伝統を茶化した部分なのだ。それは満州事変の「五族協和」に始まって、「国体明徴」「万世一系」「八紘一宇」のきな臭い時代、「聖戦完遂」「本土決戦」「一億玉砕」という焼糞時代、続いて、戦後の「曲学阿世」「所得倍増」「列島改造」「不沈空母」と、四文字熟語を中心に解き明かす昭和史のカンどころ、なのである。

丸谷才一って才子なんですね。『笹まくら』『横しぐれ』『年の残り』から『たった一人の反乱』『女ざかり』にいたるまで、みんな読んで楽しかった。なぜ楽しかったかというと、語り口にほどよい工夫がされているからだ。言ってみれば「のどごしの良さ」がこの小説家の売りだ。

話が脱線した。それにしても、このところの朝日新聞の安倍晋三攻撃はすごいね。安倍首相そのものは政治家としては軽量級だ。だから、新聞は安倍首相をスパーリング・パートナーにして、気軽にジャブが出せるのかも知れない。それに自民党のアナクロニズムのすべてを安倍首相が体現している。それを小ばかにしていれば、ともかく一日一日の紙面をつないでいけようなところもある。

安倍ネタで笑わせていただくのは、読者としては、それはそれで結構なことだ。政治指導者を白昼公然とあざ笑うことができるのが、民主政治のうれしいところである。そのむかしホノルル市長のオフィスを訪ねたことがあった。彼のオフィスには地元新聞が市長をネタにしたかなりキツイ風刺漫画の原画がずらりと掲げられていた。お互いに、笑う門には福来る、ということなのだろう。

だけど、笑っているうちに、ふと気がつくと、「国体」が国民体育大会の略語以外で堂々闊歩する時代になっていた、なんてのはいやだね。そこんとこは、ジャーナリズムに早め早めに警報を鳴らしてもらいたい、などと書いて、こっちも退屈な結論になってしまった。

(2006.10.3 花崎泰雄)



  瘋癲国家

詳しいことはまだ何も公開されていないが、北朝鮮が地下核実験をしたと発表し、多くの国家と国連がとんでもない話だと憤慨している。よくやった、とほめた国があったとはどのメディアも報道していない。北朝鮮を抱え込んでいる中国までが不快であるとのコメントを出している。

インドが核保有国になったため、対抗上、パキスタンが保有国になった。イスラエルは核を秘密裏に保有している疑いが濃厚だ。だから、バランス上、イランがイスラム諸国を代表する形で核保有国になってやむをえないではないか、という主張がでてくる。

北朝鮮が核保有国になったら何が変わるか。中国が東アジアで唯一の核保有国であるという有利な立場を失う。韓国や日本が核保有を目指して突っ走る、という話がまんざら荒唐無稽なものではなくなる。少なくとも韓国や日本、場合によっては台湾までもが、北朝鮮の核の脅威を理由に、米軍の核基地を公然と自国領土内に導入する可能性はある。これらの核は北朝鮮に向けられるが、同時に、中国をも取り囲むことになる。

北朝鮮の存続は中国にとって安全保障の柱である。東ドイツが西ドイツに吸収合併されたように、北朝鮮が崩壊して韓国に吸収合併された場合、米韓条約が存続すれば、中国国境まで米韓合同の戦力が迫ってくる。朝鮮戦争のとき、米軍を中心にした国連軍が北進して中国国境に迫ったとき、中国軍の大部隊が朝鮮半島になだれ込んだ。中国は背後にロシアと中央アジアのイスラム国家、太平洋に面して、アメリカが後ろ盾になった韓国、日本、台湾と向き合うことになる。

そういう銭湯的地政学論議は別にしても、北朝鮮が崩壊すると、まず、難民がなだれ込んでくる。38度線を越えて韓国へ、北の鴨緑江を越えて中国へ。中国ではそれによって中国朝鮮族の人口が増える。韓国は難民の生活を保障し、将来は旧北朝鮮の経済再建という難事業を抱え込む。

とんだはた迷惑な瘋癲国家だが、北朝鮮内部にはそれなりの論理がある。論理の軸は軍である。北朝鮮では軍はすなわち国家である。北朝鮮が崩壊すると軍上層部の特権も消え去ってしまう。したがって軍にとっては現在の体制を守ることが唯一の自己保存の方策である。おとなしくしていれば徐々に周辺大国のいいようにされてしまう。生き延びるためには、一発かましてやるのも方法だ、と軍は考える。

ABCD包囲網でジリ貧に陥った大日本帝国というかつての軍事国家が一か八か的開戦に踏み切ったときと同じような気分に、もし現在の北朝鮮軍部がなっているとすれば、不気味である。

それにしても、「戦後レジーム解体・主張する外交」をめざす安倍晋三日本国首相とその応援団にとっては、おもわぬ追い風が吹いたものだ。

(2006.10.10 花崎泰雄)




  似非坊主横行す

「日本ではキリスト教徒は総人口の1パーセントにすぎない。しかし、最近では結婚式の90パーセントがキリスト教式でおこなわれる。ドレスや接吻などのイメージが好まれているからだ」

最近BBCのサイトでニュースを読んでいて、上記のような内容の記事を見つけた。その記事によると、キリスト教式結婚式の人気上昇のため、西洋人の中にはキリスト教の坊さん(神父あるいは牧師)に扮装して挙式の飾り物になることで、結構な暮らしをしている人もいるそうである。

記事をかいたキャスリーン・マッコール記者が在日6年になる英国ランカシャー出身で札幌在住のマーク・ケリーという男性から話を聞いたところ、結婚式の似非坊主の役どころは英会話講師の賃金などとは比べものにならないうまい商売だという。

マークによると「札幌だけで5つの紹介所があって20人ほどの似非坊主役を抱えている。東京では何百という数字だろう」ということである。「正式な結婚は役所で手続きした段階で成立するので、式場の坊さんは飾りに過ぎず、パフォーマンスによる結婚式の引き立て役なんだ」とマークは記者に説明している。

また、マークがかつて働いていたチャペルは札幌のスーパーマーケット6階のすし屋、お菓子屋、麺処などがある一角にあった。

本物のキリスト教僧侶はこうした似非牧師・神父の横行に眉をひそめているが、マークは「結婚式は宗教ではなくてイメージなんだ」と自身の似非坊主役を弁護している。

日本では一般に仏教は葬式のための宗教で、仏教式の結婚式をするのはよほど仏教にかかわりの深い人だけである。神式の結婚式は前世紀末の1990年代中ごろまでは主流だったが、ある結婚情報誌の調査だと、今ではキリスト教式が結婚式の約7割、神前式と人前(「ひとまえ」ではなく「じんぜん」と読む)式がほぼ同数の1割5分程度を占めているだそうだ。

イスラム教の国に住んでいたころよく「汝の宗教は?」とたずねられた。はじめのうちは「信じる神をもたない」と答えていた。すると「しからば汝はコムニストなるか?」とたずねられることがあった。「いや、どちらかというとキャピタリストである」と答えると、尋ねた方は、さすがに、どうもからかわれているのではないか、と勘違いて気分を害した様子になってくる。というわけで、以来、言い訳の宗教が必要なさいは、私は「仏教徒」と名乗ることにしていた。

日本人の大半がこの程度の仏教徒なのであろう。宗教は遠くなり、一部の民族に見られるイスラム回帰現象と同質な「仏教回帰」はこの国ではとんと見られない。

このような国の民に愛国心という新宗教を教え込むのはなかなか難しい仕事だろう。だから政府は、精神世界に関してはすでにすれっからしになってしまった成人日本人の再教育はあきらめ、うぶな魂をつかまえて愛国心を吹き込もうと躍起になっているのである。権力が音頭をとって愛国心鼓舞運動をやるというのは、歴史をひもとくまでもなく、なんとも粗野な話ではないか。

(2006.11.18 花崎泰雄)




  奇妙な果実

大晦日にはベートヴェンを聴くか、はやり歌大会を見るのがこの国の習いだ。だが、きまぐれにBillie Holidayの古びたレコードをかけてみるのもいいものだ。

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

Pastoral scene of the gallant south,
The bulging eyes and the twisted mouth,
Scent of magnolias, sweet and fresh,
Then the sudden smell of burning flesh.

Here is fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

2006年12月30日、イラクの大統領だったサダム・フセイン氏が吊るし首にされた。吊るし首を決定し執行したのは、かつてスンニ派ムスリムのサダム・フセイン大統領と彼のバース党から迫害を受け、海外に亡命していたシーア派のダワ党の指導者ヌーリ・マリキ現大統領である。

かつて迫害された方がいまになって迫害した方に報復した構図である。しかし、すべてをお膳立てしたのはアメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領とその政府である。そうなると、構図は大いに違って、途上国の内紛を巧みに利用して植民地の拡大を策した19世紀の西欧植民地主義列強の手口と重なり合う。

理屈と膏薬はどこにでもつく。2003年3月のイラク侵攻に先立って、ブッシュ政権は攻撃の理由としてフセイン政権がためこんだ大量殺戮兵器の排除、テロ勢力の掃討、体制の民主化などを掲げた。ブッシュ大統領をはじめ閣僚すべてが、石油との関連については「ナンセンス」と否定した。たとえば、2002年11月、当時のドナルド・ラムズフェルド国防長官は言った。「石油とは関係ない。関係ないったら関係ないのだ」

だが、侵攻してみたら大量殺戮兵器などどこにもなく、サダムとオサマは不仲で、民主化など大きなお世話とわかった。アメリカ国内のイラク侵攻・ブッシュ政権批判勢力は、 “No blood for oil” と叫んだ。2006年秋にはイラク戦争での米軍兵士・軍属などの死者が2001年9月11日テロの死者総数を上回った。

そこで、ブッシュ大統領自らが、2006年11月、アメリカ兵をイラクに駐留させ続ける理由が石油であることを公にせざるをえなくなった。「過激派が石油の蛇口を握るような世界になったら、どうなるかおわかりでしょう」「イスラエル支援をやめろ。さもないと大量の石油を市場から引きあげ、石油価格を1バレル300ドルから400ドルに高騰させるぞと脅迫するでしょう」と。

しかし、過激派テロリスト勢力が石油の蛇口を管理するというのは、政治スリラー小説の筋立てである。市民を馬鹿にした見え透いた屁理屈である。ブッシュ大統領とその周辺が懸念しているのは、イラクをはじめ中東石油産出国でこれまで圧倒的に傾斜してきたドル建て取引から、ユーロ建て取引へ切り替える動きが始まったことだ。これは世界の覇権国家であるアメリカの2つの柱である、圧倒的な核戦力による威嚇と圧倒的なドル支配による金縛り、の一方が崩れることを意味する。

ブッシュ一族は現大統領の曽祖父のころから軍需産業、石油、金融と深く関わる商売をしてきた。曽祖父はオハイオの武器製造の会社を経営した。祖父も引き続き軍需産業にかかわり、東京空襲に使われた焼夷弾などを製造した。父親もCIA長官、副大統領、大統領を務める中で兵器の貿易や、イラン、イラク、サウジアラビア、アフガニスタンのムジャヒディーンへの武器秘密提供にかかわった。

ブッシュ一族はロックフェラー一族とのかかわりが深く、祖父の代から石油産業に関わってきた。また、ブッシュ一族は20以上の金融関連会社とかかわりを持っている。20世紀末のデータによると、上位1%のアメリカ人の資産は、下位95%のアメリカ人の資産すべてをあわせた額を上回った。ブッシュ政権の顔は1%の方を向いている。もし、欧州やロシアや中国がアメリカの支配下にある中東で石油の権益を拡大し始めれば、それはアメリカ帝国の衰退の第1歩となると彼らは考えている。アメリカ帝国の衰退はそこから利益を吸い上げているアメリカ経済の上位1%の人々のふところに致命的な打撃を与えることになろう。

ブッシュ政権は発足まもなくの2001年に、ニューヨークの外交評議会(長らく海外の石油資源に関心を払ってきた)と共同で研究チームを編成して研究報告「21世紀の戦略的エネルギー政策の挑戦」をまとめた。その報告書はフセイン大統領が支配するイラクについて「当面イラクは石油の中東から世界市場への流れの阻害要因となる。サダム・フセインはまた石油を武器として用い、石油市場を操作するためにイラクの石油を使おうとする姿勢を見せている。したがって合衆国は軍事、エネルギー、政治経済、外交評価に関わる対イラク政策の見直しを早急に行うべきである」と提言していた。フセイン大統領はその前年に原油取引をドル建てからユーロ建てに切り換えていた。

かくして、ブッシュ政権とその周辺は、かつてクレマンソーが言ったように「石油の一滴は我が兵士の血の一滴に値する」と考えてイラクに侵攻した。イラクの人々と自国の兵士の流血と引き換えにサダム・フセイン氏を“奇妙な果実”にして吊るし、中東の油田に居座り続ける努力をひたすら続けているのである。

ああ、殷々と鐘が鳴る。

(花崎泰雄 2006.12.31)