その前日

46日、月曜日。公園内の歩道には散った桜の花びらがある。よい雰囲気だ。その向こうで、ゴミ収集車が作業中だった。公園の花見のあとのごみを集めに来たのである。

いつもの春ならゴミ置き場からはみ出すほどのごみがあるのだが、この春はゴミが極めて少ない。三密を避けよ、不要不急の外出を避けよと、花の下での宴会はやめてくださいと、東京の知事さんがテレビで繰り返しアドバイスしてくれたからだろう。

ゴミ収集作業班のリーダーが仲間に告げている。

「明日にでも『緊急事態』が出るだろうから、作業の手順は明日朝に連絡します」

ああ、体がなまる。このままでは新型コロナが消えた後、よぼよぼのジジイの体力しか残っていないだろう。東京の空気を吸い込めば、今にも肺炎になりそうな錯覚におびえてばかりだと、なんだか引きこもりに感染するのではないかと心配だ。

気晴らしの散歩に出た――いや、食料品の調達に出かけた。



2 出た

47日。安倍首相が新型コロナウイルス感染症に関する特別措置法第32条に基づいて、東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪・兵庫・福岡の7都府県を対象に緊急事態を宣言した。



さきの発作的とも思える法的根拠のない全国的な休校と大規模イベント自粛のお願いとは異なって、今回はきちんと手順を踏んだうえでの宣言である。宣言はまだか、まだかとじりじりしている東京や大阪の知事さんたち、医療専門家、遅すぎると不満をもらす野党を十分にじらしたうえでの、千両役者のご登場という場面を作った。

宣言の有効期間は1ヵ月。その間、経済がいかほどまでにやせ細るか。自宅で身動きならない人民の精神状態がどう変化するか。学校へ行けない子どもがどう育つか。降ってわいた社会実験のはじまりだ。



3 三密

三密とは、密教において、衆生の行いが本質的には仏のはたらきと同一であるとの理念に基づき身・口・意の三業を身密・口(語)密・意(心)密とする。身体により手印を結び、口に真言を読誦し、心に本尊の観想をおこなうことにより、衆生と仏とが相結び合い(三密相応)、仏が慈悲心により衆生の行に応え、行ずる者が信心によって仏の顕現を感得する(三密加持)とき、衆生は本尊との合一を達成し、即身成仏を得る。(『岩波仏教辞典』から)



最近よく聞く「三密」とは上記の仏教用語とは何の関係もない。人間を社会的動物と定義したのはアリストテレスだったかな。よって、人は孤独のうちにほとけと相結び合うよりも、人は人と群れ合うことの方を好む。



4 距離

ハグもなし。握手もなし。互いに2メートル離れてお辞儀するだけ。

ソーシャル・ディスタンスだの、ソーシャル・ディスタンシングだの、フィジカル・ディスタンシングだの、新型コロナの時代になっていろんな言い方を聞くけど、つまりは各自が身体間の間隔を取って、身の安全を図れ、ということらしい。道路にある標識「車間距離をとれ」(キープ・ユア・ディスタンス)の人体版だ。



Social distanceは正確には異なる人種・民族・人種間の受容についての心理的な距離のこと。Social distancingは人間同士が感染予防のために安全な距離を保つこと。Social distancingはメディアでよく使われる言葉だが、physical distancingと言い換えたほうがよくはないか、と米国の政治学・公共政策の大学教授が主張している、というワシントン・ポスト紙の記事を読んだ。WHOもこのphysical distancingを使い始めた。社会的に離れ離れになっているのではない。疫病を克服するには社会的連帯が不可欠だ。社会的にはつながり合い、身体だけ適正な距離を保とう、という主張なのだそうだ。

「ソーシャル・ディスタンス」「ソーシャル・ディスタンシング」「フィジカル・ディスタンシング」。この年末、今年の言葉の候補にあがりそうなのはどれだろう。



5 殉職

412日はイースターだった。

都市i封鎖下のバチカンでは、フランシスコ教皇がサンピエトロ寺院の中に一人閉じこもってイースターの祈りをささげた。ロンドンのウェストミンスター大聖堂や、ニューヨークの聖パトリック大聖堂などでも参列者のないままイースターの式典が執り行われた。世界各地のこうした孤独なイースター・ミサの模様はテレビやインターネット放送で家庭に届けられた。キリスト教徒の落胆はいかばかりだったか。

落胆といえば、アメリカの新聞・ニューヨーク・タイムズが、covid-19との戦いの中で倒れてゆくのは医師・看護師・その他の医療従事者だけではない、イタリアだけで病院付きの司祭が60人も死んでいるとイースターの前日である11日に伝えた。病の床に臥す人、死にゆく病人の魂の救済のために、自らの命を犠牲にしたのである。ちなみにベトナム戦争でアメリカは300人の従軍牧師(神父)を派遣したが、殉職した人は13人だった。

フランシスコ教皇はイースターの前夜祭に「恐怖に屈することなかれ」とバチカンから世界にメッセージを出した。



私はキリスト教徒ではないが、こういった話を聞くと、長年の友・花粉症と合併症を発症し、目がかゆく鼻がぐじゅぐじゅしてくる。



6 だんだん行き場がなくなってくる

不要不急の外出自粛や在宅勤務者が増えたので、運動不足や気晴らしのために公園に行く人が増えた。普段にない公園の人気ぶりの映像をテレビ・ニュースが流していた。遊歩道をジョギングする人が目立つ。かれこれするうちに公園にこんなお知らせがたった。



ああ、公園、お前もか!



7 牡丹

散歩の途中のお寺の庭に牡丹が咲いていた。当方、牡丹と芍薬の見わけも定かでない無粋者。たぶん牡丹であろう。



     吉寺にて牡丹を賞す
   人は老いて花を簪すも自から羞ぢず
  花は應に老人の頭に上るを羞づべし
  醉ひて歸り扶路さるるを人々應に笑ふべし
   十里の珠簾半ば鉤に上る

蘇東坡が牡丹で有名な杭州の吉祥寺へ行った時の詩である。老人は花を髪にかざしても恥ずかしいとは思わないが、飾られた花の方がはずかしがっている。酒に酔って人に支えられて帰る姿を見て人は笑っているに違いない。道々の家のカーテンは半分ほど開かれ、家の人がのぞいている。

そのころの中国では、牡丹には花の王、芍薬には花の宰相の異名があった。日本人が桜に浮かれるように、当時の中国人は牡丹の花に浮かれた。

あいにく今年の春は花に酔うこともできぬまま終わることになりそうである。



8 ひたひたと足音が



雨の翌日、再び牡丹の寺に立ち寄った。境内に人影はなく、葬儀用の立派な会館も静まりかえり、駐車場には車がない。深紅の牡丹の花が微風の中でかすかに揺れているだけである。

  閻王の口や牡丹を吐んとす  蕪村

しばらくのんびりと公園の方角に歩いた。公園に隣接して病院がある。ここの駐車場にも車がほとんどない。静かである。

玄関にこんなお知らせが出ていた。



いやどうも。籠城を決め込んでいるのだが、不気味な足音がひたひたと城壁にせまっているのを感じる。



9 後遺症

公園のスポーツ施設が閉じられている。野球場、テニスコート、テニス壁打ち場、弓道場、少年サッカー場、400メートルトラックのある陸上競技場、バスケットボールのゴール。それにバーベキュー場。5月末日まで閉鎖の掲示がされている。

それらのスポーツ施設のすべては私に縁のないものだが、それでも掲示を見ているだけで肥満体になりそうな気がしてくる。



家に閉じこもって食べてばっかりの人が超肥満体になって玄関から出られなくなって、救助に行った人が壁を破って連れ出す外国の映像を見た記憶がある。

そこまではならないにしても、家に閉じこもって、ストレスにまかせて飲み食いしたツケはやがて払わなければならない。肺炎を免れた代わりに、高脂血症、高血圧、痛風、胃炎などを得ることになる。



10 チューリップのおもて

公園の花壇にチューリップが咲いていた。中央アジアから地中海にかけての地域が原産地。17世紀のオランダでオスマントルコから入ってきたチューリップがもてはやされて、チューリップの球根が高騰する事件があった。ある研究書によると球根1つが今日の米ドル換算5万―15万ドルで取引されるほどの歴史的バブルとなった。1630年代中頃バブルは頂点達し、ならいに従って、1638年にチューリップ・バブルは崩壊した。

 チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
 わが面影のいかばかり麗しかろうと、
 なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
 土のうてなになんか飾ったものだろう?
   (オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮作訳、岩波文庫)



 What though ‘tis fair to see, this form of man,
 What caused Thee, O heavenly Artisan,
  To paint these tulip cheeks and cypress forms
  Here on the lowly walls of earth’s divan?
     (E.H. Whinfield, The Quatrains Of Omar Khayyam

また、

 酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
 眠るばかりで、そこには一滴のさけもない。
 気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
  チューリップひとたび萎めばひらかない。

若いころからオマル・ハイヤームの『ルバイヤート』が好きで、森亮訳、陳瞬臣訳、岡田恵美子訳、黒柳恒男訳、フィッツジェラルド訳、ピーター・オーヴァリー訳、インドで買ったウィンフィールド訳(1882年出版)の復刻版、テヘランの書店が出版したペルシャ語、英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語対比版が手元にある。そこから麗しい詩句を抜き出して紹介したいのだが、小川亮作本とウィンフィールド本、フィッツジェラルド本以外はいずれも翻訳の著作権が続行中なので、それはかなわぬことなのだ。



11 礼拝

インドネシアは世界最大のイスラム教徒が暮らす国だ。新型コロナ感染症の広がりで、首都ジャカルタにある東洋一の規模を誇るイスティクラル・モスクが金曜日の礼拝を中止している。

金曜日の礼拝はイスラム教徒にとって最も大事な義務の一つだが、三密を避けるためモスクが閉じられた。ジョコ・インドネシア大統領は、家で仕事をし、家で勉強し、家で祈ろうと呼びかけている。

おりしも、断食月ラマダンが始まったが、日中の断食時間が終わる日没から夜にかけて、親類や友人が集まっての、恒例の楽しい晩餐会も控える人が多いとか。ラマダン明けに都会で働いている人々が故里に帰省するムディクも、今年は控えるようにとジョコ大統領が呼びかけている。

日本でもお寺が門を閉じている。



近所の公園が込み合うようになったので、人気のない道路わきの歩道を通って、住んでいる練馬区から区境を越えて板橋区に行った。赤塚城跡の一角に東京大仏で有名な寺がある。観光名所なので人が集まりやすく、健康のため門を閉じていた。仏の慈悲心である。

いっぽう、近くの名刹である禅寺は、経営する幼稚園は休園にしたが、寺は開放している。境内には人気がなく、門を閉じる必要もなさそうだ。がらんとした寺の静けさもまた、仏の慈悲心である。





12 免疫

散歩していたら、歩道の向うから3人組が横一列になってこっちに歩いてきた。さて、どうやってやりすごそうか?

政府や東京都からサンミツを繰り返し聞かされるので、このごろでは、なにか汚いものを見るような視線で、他人さまを見るようになった。よくないことだ。



ストックホルムの街の写真を見ると、けっこう人が群れている。スウェーデンは少々変わった新型コロナ感染症対策をとっている。ヨーロッパの多くの国と違って、都市封鎖もせず、店舗に休業を要請することもなく、数十人程度の集まりなら止めようとしない。

そのせいかどうかはわからないが、covid-19による死者は2300人ほどだ。スウェーデンの人口は1000万だから、人口当たりの死者は10万人中23人と高い。東京都の人口は1000万弱で、covid-19による死者は430日現在、120人である。スウェーデンの人口当たりの死者は、東京のそれの20倍近くになる。

つい最近の東京新聞には、スウェーデン政府の感染対策リーダーが、アメリカの新聞のインタビューで、首都ストックホルムではすでに人口の25パーセントが検疫を獲得しており、今後数週間以内に「集団免疫」を獲得できる、との見通しを示した、という記事が掲載されていた。ワクチン開発がいつになるかわからないので、当面は自然淘汰方式で集団免疫獲得を目指そうという考えなのだろうか。スウェーデンに親しい人が住んでいるわけではないので、なんという社会実験!とだけ言っておこう。



13 苦渋の選択

散歩道ではないが、私が住んでいる団地からさほど遠くないところにあるとんかつ屋で火事があり、店主が焼死した。新聞が伝えるところでは、店主の遺体には油をかぶったあとがあった。covid-19による外出自粛で客足が途絶え、聖火ランナーに選ばれていたオリンピックも延期され、意気消沈していたそうである。

大企業の内部留保は450兆円に上るそうだが、街の飲食店は長くは耐えられない。今日の売り上げで明日の食材を仕入れる小さな店の苦労をテレビが伝える。

いらっしゃい、でも店には入らないで――切ない風景が散歩道にあった。





14 政府に能力がなかった

散歩道に団地の子どもの人口減で閉校になった公立小学校がある。58日からその学校跡のグラウンドを使った新型コロナウイルスのドライブスルー検査場が機能し始めた。政府の検査能力不足を黙ってみていられなくなった医師会が、地方自治体と協力して検査場を設けた。



4月末のOECD報告書によると、日本の人口1000人当たりのPCR検査実施数は1.8人で、OECD加盟36か国中35番目だった。加盟国の平均が23.1人、ドイツが25.1人、韓国が11.7人。

なぜ、日本の実施数はこんなに少ないのか――なにを隠そう、能力がなかったせいである。つまりは、失政である。そのことを政府の専門家会議が自供した。

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が54日に用意した記者会見資料によると、日本でPCR検査の能力が速やかに拡充されなかった理由は次の通り。

地方衛生研究所には新しい病原体について大量に検査を行うだけの体制が整備されていなかった。SARSMARSのさい日本では患者が少なかったため、PCR検査能力の拡充を求める議論がなかった。そうした中で新型コロナウイルス感染症が発生したため、重症例の検査を優先せざるを得なかった。くわえて、保健所の業務過多。入院先の確保の仕組みが十分に機能しなかった。検体採取者や検査実施者のマスクや防護服などの感染防護具の圧倒的な不足、などなど。

「感染防護具の不足」に「圧倒的な」(tremendous)というトランプ流の形容詞がついているのを見て、さすがに震えあがった。

かくもだらしない政府だったのだ。



15 老子の翼

『老子』第80章にこんな話がある。

たとえば、人口の少ない小国があるとしよう。兵器はあってもそれを使わず、人民に命を大切にさせる。船や車があったとしても、人民がそれにのって遠くに出かけることのないようにする。日常の食物をうまいと思わせ、普段着を心地よいと感じさせ、小さな家に落ち着かせ、日常を楽しく過ごさせる。そうすると、人民は年をとって死ぬまで、他国へ行きたいと思わないだろう。

「国民総幸福量」を掲げて、ひところ世界で一番幸福な国と評判になったブータン王国のことを思い出す。

小生、自宅から半径4キロより外の世界足を踏み出していない。出かけないことに慣れてしまって、出かけたいと思わなくなった。



おお、旅客機が飛んでいく。航空業界は膨大な損失を抱えて失速寸前だという。Covid-19 がおさまっても、すっかり出不精になった顧客にあらためて欲望を起こさせるまじないをしなければ、V字回復は難しいだろう。



16 走れ、走れ

今は昔。高校生のころ体育の授業で長距離走をさせられた。校門を出て道路を走り、川っぷちに出る。そこから堤防の上の道を延々と走る。いまから半世紀以上前の田舎町だから、川沿いにあるのは畠と田んぼと野原だけである。したがって、いくら走っても、1万メートルの上空からシベリアの原野を見下ろしているのと同じで、辺りの風景は変わらない。川があって、土手があって、田畑があって、遠くに山がかすみ、その上に雲が浮かんでいる。うんざりして土手の草の上に腰を下ろして休憩していると、自転車でやってきた教師に「走れー、走れー」と声をかけられた。



人間はウィークデーの午後になぜ走るのか。「走れー」と声をかけられたわけでもないのに。家に閉じこもっていると、息苦しくなってくるからだ。

510日の東京新聞の記事。

[北京共同]浙江省と湖南省で4月中旬から下旬、マスクをして1500メートル走などに参加した中学生計3人が相次ぎ突然死した。うち2人は感染を防ぐ効果が高い医療用のN95マスクを着けていた。専門家はN95マスクをして激しい運動をすると酸欠状態になる恐れがあると指摘した。





17 5月の風にさそわれて

517日の日曜日。日差しは強いが緑の木陰には風がある。



多くの県で緊急事態宣言が解かれたことで、緊急事態継続中の東京でも、住民の外出が目立ってきた。散歩道の公園の遊歩道はなかなかの賑わいだ。

その人出を予想してか、公園の広場には献血の車が来ていた。緊急事態宣言下の外出自粛のせいで、献血者が少なくなり、したがって必要なだけの血液の確保が難しくなっている。「献血へのご協力は不要不急の外出にはあたりません」と献血をよびかけている。





18 街路樹

緑陰が恋しくなる季節が始まろうとしている矢先、なぜ街路樹の枝を払って、丸坊主にしてしまうのだろうか。



ウィーン、ウィーンと道路に電動ノコギリの音が響く。樹上に巧みにのぼり枝を払っている人は手動のノコギリで枝を切っている。切った枝をロープで結んで、慎重に地上におろす。地上で待ち受けている職人が、その枝を細かく切断するために電動ノコギリを使う。



その翌日、同じ場所を通りがかったら、街路樹はみごとな丸坊主になっていた。これで暑い夏をしのげるとは、樹木の生命力とはたいしたものである。



19 運・不運

これと言って抜きんでた対策をとったわけでもないのに、日本の新型コロナウイルス感染者とその死者の数が、欧米諸国に比べて際立って少ないことが、かの地のメディアで話題になっている。



その割に、こうして、ああして、こうなった、というコロナ対策の秘訣を安倍政権が世界に向けて披露していないところを見ると、日本の政府でも、その「なぜ」について説明がつかないのだろう。

一方で、目を東アジアに向けてみると、発生源の中国は別として、韓国では死者260人台、台湾は7人、タイは50人台、ベトナムは死者0人、シンガポールは20人台、マレーシア110人台と日本の死者790人台に比べてはるかに少ない。東アジアの国で死者の数が日本を超えているのはインドネシア(1300人台)とフィリピン(800人台)だけである。

東アジアにかぎれば、日本は3番目にcovid-19の死者が多い国である。台湾や韓国、シンガポールに比べると、日本政府の対応は鈍かった。

このところ話題になっているのは、新型コロナウイルスにはABC3タイプがあって、AタイプとCタイプは欧米で蔓延した獰猛なウイルス。Bタイプは東アジアにもちこまれた、どちらかというマイルドなウイルスだという説だ。



日本の死者が東アジアでは多いが、世界では異常に少ない、というのは、ただただ、運がよかったということになるのだろうか。



20 では、また

最近はあまり見かけなくなったが、かつては塀などに「猛犬注意」と掲示する家があった。

泥棒除けなのかもしれないが、考えてみると、よくわからないところのある注意書きだ。そもそも猛犬が人に向かって吠えたり、噛みついたりしないように注意するのは、飼い主の責任である。「注意」は通行人の責任事項ではない。



散歩道の玄関先に猛犬がいた。微動だにしない。近寄ってみるとよくできたレプリカだった。沖縄の家の屋根の上のシーサーと同じ魔除けだったのかもしれない――新型コロナウイルスを睨む魔除けのウォッチドッグ。

525日、政府が東京などの緊急事態制限を解除すると発表した。日本全国が解除されたことになる。めでたい。ということで、「蟄居、時々散歩」もこれでおしまい。近いうちに、また、会おう。



(写真: 花崎泰雄)