1 故宮停電緊急疏散

久しぶりに故宮博物院の宝物・珍品を拝見し、郊外の猫空ロープウェイに乗って眼下の茶畑を眺めながら山にのぼり、頂の茶店で地産の烏龍茶などをいただきながら、台北の初夏を楽しもうと、知人と台北でおちあった。あいにくと短い台北滞在は曇天・雨天の毎日で、猫空茶会の方はお流れとなった。

523日の木曜日。故宮博物院に入って間もなくの午前11時すぎのこと。突然、博物館全館が停電した。非常灯だけになった。暗がりのなか、「建物から出てください」と、中国語、英語、日本語でアナウンスがあった。523日は頼清徳氏の台湾総統就任を嫌う中国が台湾周辺の海域で軍事演習を始めた日だった。一瞬、緊張。

というのも、羽田空港から台北・松山空港へ向かった519日、機長が「台北では今日ミリタリー・エクササイズが行われる」とアナウンスした。飛行機が台北上近づくと、着陸許可が出るまでにしばらく時間がかかるので、上空を旋回すると言った。台湾や韓国では防空演習やミサイル飛来時の避難訓が定例化している。日本の津波避難訓練のようなものだ。

博物館のテラスに出て30分ほど待った。人々が建物に戻り始めた。「なぜ停電したのですか」と博物館の職員に尋ねると、「ちょっとお待ち下さい」とスマホを取り出してキーをたたき答えを見つけてくれた。ディスプレーには「電力会社が原因」と表示されている。空襲避難訓練ではなかったようだ。

後日、インターネット新聞『台視新聞』にあたると「故宮停電緊急疏散」と伝えていた。市の下水道工事現場で誤って台湾電力の送電線を切ってしまい、故宮博物院や周辺の住宅など1万世帯以上が停電した。

団体客が少ない時間帯だったので入場者の混乱はなく、みんな静々と建物外に出た。人気のなくなった館内を館員がチェックし、展示物に異常がないことを確認。そののち、訪問者を再入館させた。

何ということもない停電だが、20日の頼総統就任で、中国が台湾に露骨な圧力をかけている時期だけに、停電一つで旅行者はヒヤリとするものを感じる。


2 安検



519日羽田を出て、同日午後台北・松山空港についた。ホテルにチェックインして荷物を置き、街に出て台湾料理の店へ行った。新型コロナの流行があって、海外旅行から足が遠のいていた。久しぶりに台湾でタンツーメンを食べた。とはいえ、今回台北に来たのは麺食が目的ではない。520日の頼清徳新総統の就任祝賀式典を一般参観者に交じって眺めるためだ。米国軍部は中国は2027年までに台湾に攻め込むだろうという情報を流している。軍部が公表する情報には宣伝めいたところがある。軍部の情報はたいていの場合、危機の宣伝でまず当たらない。だが、万一当たった場合は、台湾総統の就任祝賀式典は今回が最後になる。まあ、見ておこうかと台北にやってきたのだ。

就任祝賀式典は520日午前11時から総統府前の広場で行われた。ホテルを出て、MRT(地下鉄)に乗り、台大醫院(台湾大学医学部付属病院)駅で電車を降り、地上に出た。台湾の総統府は台湾新幹線、ローカル線、MRTが発着する台北駅から遠からぬところにある。もともとは日本が台湾を植民地支配していたころの台湾総督府の古い建物を手入れして使っている。総統府のすぐ近くに二二八和平公園がある。日本の帝国主義的支配の象徴である旧台湾総督府の古い建物と、中国内戦で共産党に負けて台湾に逃げ込んだ蒋介石の国民党軍の住民に対する弾圧だった二二八事件の記憶が並ぶこの辺りには、台湾の苦渋の歴史の空気が感じられる。

二二八事件は1947228日に起きた。台北市内で煙草を売っていた女性が台北市の役人から暴行を受けた。これに憤激した台湾市民が市庁舎前に集まって抗議した。これに対して蒋介石の国民党軍の兵士が発砲した。これをきっかけに台湾全土に内乱が広がった。

蒋介石の軍隊は武力で台湾住民を抑え込んだ。この内乱で2万から3万人の住民が殺されたという説もある。台湾で独裁体制を確立した蒋介石は1949年に戒厳令を敷いた。戒厳令は1987年まで38年間も続いた。国民党が中国本土から連れてきた兵士は質が悪く粗暴で、台湾人は蒋介石の支配下で、日本植民地時代以上の苦しみを体験したとされている。そのころの冗談。<中国共産党マイナス社会主義イコール国民党>。蒋介石支配の時代、二二八事件については市民もメディアも語ることを許されなかった。二二八事件の背景については、@台湾人の国民党政府軍に対する反感と台湾独立の願望A中国共産党が背後で住民を扇動したB台湾の経済的困窮と国民党の暴力的な支配に対する住民の異議申し立て、などの説が唱えられてきた。

個人的な悲劇が経済的苦境や社会的抑圧が立ち込める空気にスパークして騒乱が起きることはよくある。ただ、それが市民の生活の改善につながるかどうかは、その時々の「運」によることが多い。2010年にはチュニジアで野菜などを街頭販売していた露天商が役人にいじめられて失意のあまり焼身自殺した。これをきっかけに、反政府運動が国中に広がり、ベン・アリ政権が崩壊した。いわゆるジャスミン革命。この動きは中東各地に広がったが、民主化革命の達成は難しかった。

台湾の民主化が進んだ1996年に陳水扁・台北市長(のちに台湾総統)が、公園を整備して二二八和平公園と命名した。

さて、MRTから地上に出て、総統府の方角進むと路上に検問所があった。そこで手荷物の検査を受け、総統就任祝賀式典の「外野席」に向かった。


3 就職祝賀大会



頼清徳総統と蕭美琴副総統の就任祝賀式典の台湾での正式な呼び方は「中華民国総統副総統就職祝賀大会」である。「就職」と呼ぶと、日本語では「世襲議員の〇〇氏が▽▽大臣に就職」という印象を与えるが「任務に就くのが就任」で「職務に就く」のが就職だから、語義は同じである。

祝賀式典の会場は総統府前の長方形の広場で、演壇、招待者の椅子席、そしてフェンスで仕切られた一般立見席に分けられていた。私は安検ことセキュリティー・チェックを通過したのち、この立見席から祝賀式典を見た。式典は午前11時から始まることになっていた。一般立見席に着いたのは11時時10分前。会場内のあちらこちらに屋外用ディスプレーが設置され、台湾のポップ音楽の演奏風景が前座として映し出されていた。

K-ポップ、J-ポップ、T-ポップ(タイ・ポップではなく、台湾ポップ)と東アジアは若い世代向けの軽い音楽がはやりだ。私はこの手のポップスを聞くことがないので、KJTの違いやノリなどはわからない。かつては日本の大学入学式ではブラームスの『大学祝典序曲』が流れることが多かった。独立国家を目指す自治の島「台湾」の新総統の就任演説の序曲がそれなりの“重い”音楽ではなく、エレキギターを使ったポップスの演奏であることを面白く感じた。外野立見席の人たちの中には、ポップスに合わせてステップを踏み、軽く腰を振っている者もいた。むかしマルコス・現フィリピン大統領の母親であるイメルダ・マルコス氏は選挙演説の演壇でフィリピンの歌謡曲を歌って聴衆を喜ばせた。いまでは、時の人ドナルド・トランプ氏が演壇で軽く腕をふり、腰をひねって聴衆のご機嫌をうかがう。

そうこうするうちに、上空でパタパタパタと音がする。見上げるとヘリコプターの連隊が大きな青天白日満地紅旗―台湾の国旗―を吊り下げて飛んでいる。その国旗が総統府の建物の方に消えると、こんどはドン、ドン、ドンと大きな音がして総統府前の道路に白い煙が立ち込める。礼砲である。前座のポップ・ミュージックと祝賀式典を始める昔ながらの古典的祝砲の組み合わせだ。

こののち、頼清徳・新総統が演壇にあがってスピーチを始めた。


4 両岸関係



頼清徳・新総統は台湾と中国の関係について要旨次のように演説した(このコラムの筆者は中国語ができないので、演説内容は新聞報道にもとづく)。

まず、頼氏は威嚇的な言葉や武力行使をほのめかすなどの挑発をやめ、台湾海峡の平和を維持し、戦争の恐怖をなくそうと中国によびかけた。台湾海峡を越えた平和と共存、互恵と繁栄が共通の目標となるべきであると新総統は話した。中国が中華民国の存在することを直視し、台湾人民の選択を尊重することを望み、民主選挙で選ばれた台湾の合法的な政府と対抗ではなく対話を、封じ込めではなく交流を進め、協力し合うことを望むとした。

一方で頼氏は台湾の人びとにもよびかけた。「私たちは平和を追求するという理想を持っていますが、幻想を持つことはできません。中国は台湾への武力侵攻の可能性を断念していないので、台湾は防衛力を強化し、経済の安全保障を構築せねばならない」。

頼総統は総統選挙で勝利した今年初め、次のように言っていた。「台湾海峡の平和と安定維持は、総統としての最も重要な使命であります。現在の憲法制度にのっとり、私は現状維持をしていきたいと思います。相互の尊厳を前提に、対立を対話に置き換え、自信を持って中国との交流と協力を開始します。台湾海峡両岸の人々の幸福を増進し、平和と共栄の目標を達成していきます。しかし一方、中国の言葉による恫喝や軍事的脅威に直面したとき、私は台湾を守る決意も持っています」。

頼新総統の演説の様子は会場に設けられた大型の屋外用ディスプレーに映し出された。この日は風があり、スピーチをする頼氏の身のこなしもあって、しばしば頼氏の前髪が額にかかった。彼はそのつどみだれた髪を手でかきあげながらスピーチを続けた。

頼総統は日本の岸田首相より2歳若い64歳。「安全保障環境の激変。法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序」をお経の文句のように繰り返す岸田首相に比べて、頼総統は中国の風圧を真正面から受けているだけに、聴衆が時々「オー」のかけ声が出た。

中国共産党指導部は引き続き頼清徳・台湾政権に敵意を持っている。台湾を支援する国にも敵意を隠そうとしない。駐日中国大使が、日本が台湾問題を安全保障政策と結び付ければ、日本の民衆が火の中に引きずり込まれると発言する、などと臆面もなく恫喝的外交言辞を続けている。


5 海峡に海路の日よりはあるか?



台北市内に忠烈祠という慰霊の施設がある。忠烈祠は日本が台湾を植民地支配していた時代に建てた台湾護国神社の跡地に建てられている。1911年の辛亥革命からこれまでに中華民国のために命をささげた勇士を祀っている。台湾国防部が管理している。施設には直立不動の儀仗兵がいて、1時間ごとに衛兵当番を交代する。この交代式が台北観光の目玉の一つになっている。写真でお分かりいただけるように、衛兵のそばには白いうわっぱりを着た付き添いがいて、夏の盛りには衛兵の額の汗を拭いてやったりする。

国共内戦で毛沢東の人民解放軍に敗れた蒋介石の国民党軍は中国本土から台湾島に逃げ込み、1949年から1987年までの38年間戒厳令を敷いて台湾を支配した。台湾の国民党軍と中国の人民解放軍は今でも銃火を交えない内戦の冷戦状態を続けている。

台湾には徴兵制度があったが、2018年の蔡英文総統時代に兵役期間が4ヵ月に短縮され、軍は実質的には志願制に移行していた。しかし、中国との緊張がたかまったことで、おなじ蔡英文総統が4ヵ月の兵役期間を1年に延長、実質的に徴兵制度にもどした。

中国は台湾への武力進攻も辞さぬ覚悟だと言う。台湾は侵攻があれば抗戦すると言う。米軍の一部は今にも中国からの攻撃が始まりそうだという言説を流す。日本政府も台湾有事は日本の有事と唱えて自衛隊の南西シフトを実施するとともに民間港湾や飛行場の軍併用の準備を進めている。

一方で、台湾人の半数以上が、中国が攻めてくることはないだろうと楽観的な見通しを持っているという報道が伝わってくる。中国としても台湾に攻め込む谷は相当な理由付けが必要だろうから、武力で攻め込む代わりに、時間をかけて台湾を心理的に追い込む方法をとるだろう。したがって台湾は中国からの脅しに耐え、辛抱強く習近平氏の退陣を待つしかないという議論が流布している。とはいえ習近平後の共産党政権が台湾に融和的になるのか、強硬的になるのか、誰にもわからない。台湾人にしても、民進党政権下で台湾人意識が高まり、台湾人であるとともに中国人であるという考え方が低下している。台湾人のアイデンティティーがこれからどう変わってゆくのかも、中国との関係に影響を及ぼす。

ともあれ、兵役期間を延長された台湾の若者にたいして同情を申し上げる。衛兵交代式を見ればわかるが、衛兵は機械仕掛けの人形のような動作を強制されている。定められたように動け、自らの判断で動いてはいけない。そうした兵士にされて1年間を過ごすというのは、つらいことだろう。

写真と文:花崎泰雄