1 したたり効果

円安とビザの制限緩和で外国からの観光客が増えた。とくに中国からの観光客がふえ、いわゆる爆買いのおかげで、これまで国内の日本人相手ではらちが明かなかった小売業界の一部は一息ついているとの報道を見聞きする。

百貨店も春節の旅行者の買い物で売り上げが伸びたそうである。中国の経済成長のしたたり効果で、日本の小売業がうるおった。日本がバブルだったころの日本人の買い物熱で、パリ・ロンドン・ニューヨークの小売業者が潤った、あの風景の裏返しである。



生者必滅会者定離。金は天下の回りもの。日の昇る国にも日は沈み、上がった株はまた下がる。



2 下町のほねつぎ

この正月街歩きをしていて、この看板を見た。



「下町」と「ほねつぎ」の関係が何となく面白かった。ていねいなほねつぎ、熟練のほねつぎ、安心なほねつぎ、など、ほねつぎのスキルにかかわる形容詞なら不思議に思わないが、「下町のほねつぎ」となると、「陽気なほねつぎ」「ざっくばらんなほねつぎ」の親戚のような響きがある。

でも、このあたりではこうした言い回しがウケるのかもしれない。そういう雰囲気がいわゆる「下町」である、という固定観念もある。

東京の下町と山の手はその発生時において、その土地の海抜を意味していた。東京湾沿いの低地帯が下町で、武蔵野台地の突先の高台が山の手だった。住み着いた人々の特徴からやがて「下町」「山の手」が文化的・風俗的な区分になった。現代ではいろんな人々がいろんなところに建物を建てて住み、働いているので、伝統的な下町・山の手の違いは見えなくなっている。

アメリカ英語のdowntownuptownは下町と山の手に似ているが、ダウンタウンは町の中心部のビジネス地区で、アップタウンは住宅地帯である。アメリカの大都市のダウンタウンは超高層ビルが林立するところである。『下町ロケット』をDowntown Rocketと英訳すると、ニュアンスが変わってくる。



3 歯医者さんがいっぱい



歯医者さんが増えすぎて、歯科医院の経営が厳しくなっている。

厚生労働省や日本歯科医師会などの資料によると、街にはコンビニよりも多い歯科医院があり、歯科医院の経営不振で貧困歯科医が増えているそうだ。

1970年代から80年代にかけて歯医者さん不測の時代が続いた。「人口10万に50人の歯科医を」の目標を掲げて大学歯学部や歯科大学を新設した。

やがて、歯科医養成機関は過去の4倍にも増え、歯科医は人口10万あたり80人になった。

歯科医の急増に合わせて患者が増えてくれるわけでもなく、歯科医が患者の取り合いになる厳しい経営環境の中で、歯医者さんの生き残り作戦が繰り広げられているそうだ。

アメリカのロースクールをまねた法科大学院もあまりうまく進んでいないようだ。弁護士の収入も激減しているらしい。帯に短し、襷に長し。



4 どこ吹く風かうわの空

東京の六本木。半世紀ほど前はそれなりに洒落た街だったが、いまではその俗悪度は新宿・渋谷と変わらない。人間が多すぎるし、街の建物にスタイルがない。



空を見上げると、女性の顔の大看板があった。どこかで見た顔である。その顔の下にアルファベットで何か書いてあるが、何語なのだろうか。

看板広告を出した人にはわかっているのだろうが、六本木などにはめったに来ない隠居にはちんぷんかんぷんなのだ。

そういえばこのあたりの店の名前もその意味がわからないものが多い。



5 ズボン



2年ほど前までのパリでは、女性がズボンをはくことは法令違反だった。1800年に女性のズボン着用禁止令が出され、200年余そのまま放置されていた。法令は2世紀の歳月を越えて形式上はなお有効だった。

もっとも、そんな馬鹿げた法令に縛られる人はいなかった。しかし、そのような差別的法令が法令集に残っているのは問題であるとして、
2013年に女性の権利担当大臣が正式に、現代フランスの価値観に反するとして禁止令の無効を宣言した。

200年前のパリ当局が女性に対してボンの着用を禁止した理由は、古いことできっちりとした理由の説明は出来ないが、女性がズボンをはいて男性が独占している仕事に参入してくるのを防ぐためであった、と言われている。

1970年代の日本でも関西の大学で外国人の教員がジーンズをはいた女性の大学生の受講を拒否して話題になったことがある。

ところで、写真のズボン堂ですが、何のお店だと思いますか――クリーニング店です。



6 立ちション

連休中に渡米した某国首相とは関係ないことだが、戦後、箔をつけるだけの目的で、短期間米国に出かけることを「アメしょん」と言っていた。親の金でアメリカの大学や大学院に留学したが、学位も取れず帰国して、履歴書に「米国留学」と書くのもアメしょんである。同じ言葉に「パリしょん」もある。

何年か前に新聞を読んで笑ったのだが、パリでは立小便取締りの特別班が街をパトロールし、現行犯に違反キップを切っている。かつて有名だったペットの糞が転がるパリの歩道は幾分か改善されたそうだが、立小便の違反はとぎれなしだ。

業を煮やした市の環境衛生当局は、表面をギザギザにし、立小便をするとしぶきがわが身にはね返ってくる立ちション抑止板まで開発したそうだ。



都市はいずこも同じ。写真は東京・丸の内の地下鉄三田線・日比谷駅と千代田線・二重橋前駅の間の地下通路で撮影した。



7 オリンピック2020



どなたはんも、あんじょうおきばりやす。



8 アルコール飲料

この正月の街歩きのとき撮った酒屋さんの取扱銘柄一覧の張り紙。

体内にアルコール分解酵素がないので、少しでも酒を摂取すると不快になる筆者は、できるだけ「さかずき外交」から身を遠ざけてきた。

酒を飲まない人種にとっては、あの例のソムリエとかという人たちの能弁は聞き苦しい。針小棒大な形容過剰に聞こえるが、何かを説明しようと努力していることは認められる。テレビで料理などを味見して、それらしい顔をして「ウーン」とうなって見せるだけのタレントなど訥弁と比べるとまだましではあるのだが。



日本国首相を迎えて米国大統領が催した先月のホワイト晩餐会では、乾杯用に日本酒「獺祭」が用意された。山口県の小さな酒造会社の製品だ。このところ日本国中でブームだ。写真の店にも獺祭の幟があった。

感じとして供給と消費のバランスが取れていないような気がするのだが、どうなのだろうか。



9 簡明直裁

これははたして看板だろうか。



メッセージは「消火器」と三文字だけ。看板であれば、店名ぐらい入っていてよいだろう。広告看板ならブランド名ぐらい表示するだろう。あるいは、せめて「消火器各種」程度のお愛想をつけるとか。

眺めていて、大きな赤文字で「消・火・器」とだけ言い切った気風の良さに感心する。

「炎上事態防止器」では、ちょっとね。



10 忠臣蔵

いまごろになって気がついたのだが、赤穂藩の浪人が徒党を組んで吉良邸に突入し、吉良上野介を殺害した江戸時代の事件については、映画やテレビで見聞きしたことがあるが、きちんとした歴史書で読んだことがなかった。

物語・忠臣蔵は厚塗りされ、フィクションで飾りたてられているから退屈はさせない。モデルになった事件そのものについてのドキュメンタリーがあまり前面に出てこないのは、事件そのものが人間行動の論理を超えた、理解しがたい性格のものだったからだ。

藩主が切腹させられ、藩が取り潰されることになった時、城に籠って幕府に抵抗しようという意見を抑えて、切腹した藩主の血縁者を立てて藩を再興する意見が入れられた。



藩の再興が不可能とわかったのちに、復讐計画の実行に移ったが、復讐の相手は藩主の切腹と藩のとり潰しを決めた幕府要人ではなく、藩主が怪我を負わせた相手だった。

戦う相手が幕府からいつの間にか吉良にかわっていた。ドラマの方はこのあたりのねじれを巧みな装飾でごまかして、見る人に疑問を感じさせないように工夫している。

ところで、吉良邸跡にも、泉岳寺にも、吉良上野介首洗いの井戸なるものがあった。首を切った頭部の血を水洗いした場所だという。ISの首切り殺人には目を背ける、なぜ!と叫ぶ人は多いが、吉良首洗いの井戸は観光名所である。



11 参道

これが看板だ!と主張するな、伝統的と言うか、工芸的と言うか、重々しいというか、そういう看板はいまや少なくなった。

古風な看板があると聞いて、成田山新勝寺の参道まで出かけた。



なるほど、これは古い看板だ。なぜなら、横書きで、右から左へと読む。

このそば屋さんの看板は、店のファサードや紺の暖簾とあいまって、なかなか味がある。



なんの商いか不明だが、こちらの看板も、屋根の上で看板が風雨にさらされ、看板の周辺に、その年月を語るかのような変色があるのも、味なものだ。



「看板の風景」と「続・看板の風景」はこれをもって終了といたします。


写真と文: 花崎泰雄