1 鞆の浦

福山市・鞆の浦の海を見に行った。



海は穏やかで青い。瀬戸内海らしい平穏さである。

鞆の浦の市街地の道路は狭く、バスもトラックも走れない。海岸を埋め立てて道路を造る計画をめぐって、推進派と反対派が裁判で争ったことがあり、全国ニュースになったことがある。いまのところ道路改善の目途はたっていない。



いまひとつは春の鯛網漁。観光名物である。それと、地元の薬用酒「保命酒」。のんびりした海辺の街である。

鞆の浦の背後の山の尾根を走るドライブウェーからの眺めは、抜群だった。瀬戸の島々が春らしくかすんでいた。



2011.5.12





2 尾道水道の夜明け

尾道の千光寺山は海抜100メートルちょっとの低い丘だがその上からの瀬戸内海・尾道水道の眺めは抜群だ。夜景もこの通り、なかなか味がある。



海峡の夜景にしてはいま少し光りが欲しい気もするが、このくらいの暗さも、しっとり落ち着いた感じがある。

夜明けもまたすてきだ。東の方角が赤く染まる。しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の最初の橋である尾道大橋がみえる。




とはいうものの、この千光寺山の上には、奇妙なお城風の建物などがあって、昼間、街から山を見上げると、いささか醜悪である。



2011.5.21





3 鮮魚行商

尾道・千光寺山は標高100メートルちょっとの丘に過ぎない。歩いて登ってもたいしたことはない。山の中腹まで家が建ち並んでいて、みなさん坂道を歩いて上り下りなさっている。ロープウェイもあるが、これは山腹に住んでいる人のためでなく、観光用である。



NHKの朝の連続ドラマのおかげで、尾道に来る観光客が増えた。とはいえ、風光明媚という以外にこれといった看板になるものとてない瀬戸内海の古い港町だから、連続ドラマが終了したこのあとどうなるか。

町の商店街で昔懐かしい鮮魚の行商を見た。手押し車に魚を積んで、客の求めに応じて、その場で魚をさばいている。港町ならではの風景である。



その近くには、廃業したお風呂屋さんの建物を利用した簡易市場があった。看板はお風呂屋さんの時のまま。



そこから歩いてすぐの海岸通りでは、のんびりと釣りをしている人がいた。何がつれるのですかとたずねたら、アイナメと答えがあった。



2011.5.25





4 しまなみ海道

本州側の尾道と四国側の今治を、瀬戸内海の島伝いに結ぶ道路がしまなみ海道(西瀬戸自動車道)だ。瀬戸内海に点々と浮かぶ島々にかけられた橋を渡って行く風光明媚な道路といわれている。実際に走ってみると、島の山間部の道路を走っている距離が長い。島と島の間の海峡は狭いので長い橋は少ない。したがって、海の上を走っているという感じは少ない。



尾道と向島(むかいしま、むこうじまは東京)の間にある尾道水道には2本の橋が並んでかけられている。ながめる角度によっては、橋は1本だけのようにも見える。一つは尾道大橋。1968年に開通した。2本目の新尾道大橋で1999年に開通。本州から四国へ渡る最初の橋だ。



しまなみ海道は自動車専用道路で、島の山間部ばかりを走ることになる。集落は海岸にある。集落の風景を見るためにはインターチェンジから一般道へおりなければならない。集落をみるのはあきらめて自動車道路ばかりをひたすら走る。



ほどなく来島海峡にかかる橋を渡って今治北のインターを出た。しまなみ海道を走ってみるのが今度の旅の目的の一つだったけれど、あっけないものだった。



2011.6.1





5 道後温泉



道後温泉のシンボルはなんといってもこの温泉本館。神社仏閣のような造りで人を驚かす。温泉自体は泊まったホテルの温泉と同じ。



3.11のあとだけに商店街は閑散。



朝方散歩をして、ちんちん電車の駅をみた。



ついでに時計塔。

これといったお話も聞かなかった。

2011.6.8





6 雨にけぶる明石大橋

そろそろ帰りを急がねばならない。

香川県の引田で古い町並を見た。



井筒屋のどっしりとした門構え。



かめびし醤油のベンガラの塀。真っ赤な外壁は」なかなかの存在感だった。

3.11東日本大震災と福島第一の原発事故で、関西電力管内まで節電がおこなわれ、神戸・六甲山頂か見下ろす百万ドルの夜景は、明かりが少なくなって50万ドルくらいに下がったそうだ。つまらないから見に行かなかった。淡路島から神戸に渡る明石海峡大橋もライトアップを自粛しているそうだ。



明石海峡大橋は雨に煙っていた。雨の中、中華街へ行って小龍包を食べて、家路を急ぐ。



2011.6.22

                                    おわり