１　靍護稲荷神社

去年亡くなった丸谷才一は、とりようによっては深刻なネタを、軽妙な風俗模様や雑学のうんちくに変えて読者を楽しませる手練手管に長けていた。1972年の『たった一人の反乱』から1993年の『女ざかり』まで、何冊かの長編小説を読んだが、最初の『たった一人の反乱』が一番面白かった。1968年から1970年にかけて高揚した学生運動の余韻が手際よく物語に取り込まれていた。

『女ざかり』の方は舞台が新聞社で、そのころ新聞社で働いていた私は、小説家がどんなふうに新聞社と新聞記者を料理するのだろうかと、面白がって読んだ。

新聞記者たちから聞き出した内部事情がネタなのだろう。リアリティーに欠けるところがあった。また、雑学にしてもジェラルド・カーティスの博士論文をもとにした『代議士の誕生』と、当時まだ大学院生だったカーティスと、彼に参与観察を許した自民党代議士の佐藤文生をモデルにした長話などは、いささか陳腐だったけれど。

小説の感想はさておき、『女ざかり』の文中に主人公の新聞社論説委員の女性が伯母といっしょに銀座に出たときのことが書かれている。

　「あら、お宮」
　　とつぶやくと、伯母は
　「銀座だって日本だもの」
　　とたしなめる。

たしかに日本は神社と仏閣がいたるところにある。だが、信仰に厚いのは日本だけではない。タイでは仏教寺院と精霊信仰のピーの祠がいたる所にあり、インドネシアのバリ島はヒンドゥーの大寺院や屋敷内寺院であふれているし、ギリシャの田舎に行くと、ギリシャ正教の祠が道端に建てられている。

とはいうものの地価の高い銀座で、神社はどうやってスペースを確保し、生きのびているのだろうか。中央区観光協会の「銀座八丁神社めぐり」の案内地図を手に、夏のさかり、銀座をぶらぶら歩いてみることにした。

中央通り（銀座通り）に面した銀座6丁目のデパート松坂屋は、ちょうど6月いっぱいで閉店したところだった。営業88年、銀座で最も古い百貨店だった。

その松坂屋の屋上にお宮があった。

屋上の一角に赤い鳥居が立ち、まわりに植込みがあり、その奥に小さな御社が見えた。看板の「靍護稲荷大明神由来記」は次のように言う。

抑も当靍護大明神は今を去ること百五十年の昔、文化十二年は如月の午の日、山城伏見の本宮より勧請して江戸の根岸の里に奉安す。爾来店主店族は素より江戸市民の深き信仰を蒐め今日に至れり。明治十四年の或る夜神守の親爺は神殿附近に於いて白狐を認めたるがその跡に一巻の掛軸遺畄しあるを発見し怪しみて繙けば畏くも三州豊川稲荷大明神の尊像にてありしかば直ちにその由を店主に告げて神霊と共に奉祀して今日に及べりと伝う。大明神は霊験顯にして特に火防の神として世世附近住民の難を救はせ給へる事一再に止らず近き例に徴するも去る大正十二年九月関東大震災亦大正十四年三月日暮里の大火に当たり既に危く見栄たるにも拘らず神域社殿は勿論松坂屋舎宅の凡べて無事なるを得たるは今尚世人の耳目に新たなる所なり。昭和四年己己の春二月十八日、二の午の吉辰を卜し山王日枝神社宮司に請うて神霊を分霊し地上八十尺の本館屋上に奉安して茲に遷座の式を行えり。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（昭和四十年四月十五日誌）

昭和4年の遷座から84年。松坂屋銀座店が閉店した。建物を解体して新しい商業ビルを建てるという。さて、その時この稲荷神社はどこへ移るのだろうか。

２　銀座出世地蔵尊

これだけ暑い日に銀座の歩行者天国を歩いていると、熱いトタン屋根の猫（こんな言い回しをすると歳がばれるか）ならぬ、石焼き芋にでもなりそうな気がする。

銀座・中央通り沿いにはさきごろ閉店した松坂屋のほか、三越、松屋のデパートの屋上にもミニ神社仏閣がおかれている。デパートには何でもあります、というわけだ。

そこで、松坂屋に続いて、デパートの屋上めぐりのハシゴをする。

まずは三越銀座店。入り口にこんな看板が掛けられていた。

「なになに、銀座出世地蔵尊。銀座八丁神社めぐりになんでお地蔵さん？」

屋上にあがると、なかなか立派な石の地蔵と、小型のお社が二つならんでいる。明治のはじめ近くの三十間堀川あたりで見つかった本尊の地蔵尊はきっちりとミニ寺院おさまり、露天に突っ立っている地蔵の方は参拝用に後でつくったもの。

本尊を収めたミニお堂とならんでいるいま一つのお社は三越の守り神・三囲神社。こちらの方は、三越の前身・三井家の守護神で、三越の本支店に祀られている。ご神体は言問橋近くの向島三囲神社に安置されているというから、屋上のミニお社はどちらかというと神棚に近い。

さて、銀座出世地蔵尊の方だが、写真にみられるように大勢の人が寄進している。

三十間堀で見つかったあと、お地蔵さんは地元の人々によって銀座4丁目の空き地へ安置された―ーああ、そのころはまだ銀座といえども空き地があったのだ。

近所の人や通りがかりの人がお参りして供え物もするようになった。やがて、あの地蔵尊は開運・出世から、商売繁盛、ついには延命にいたるまで、いろんなご利益があるという話が広がり、縁日がつくられ、露店が集まってきた。

銀座出世地蔵尊の縁日のにぎわいは明治・大正・昭和の銀座を代表する風俗で、中央区の教育委員会の説明によると、本尊の地蔵は今では中央区民有形民俗文化財に登録されている。

お地蔵さんは関東大震災や東京空襲で行方不明になりながらも、そのつど見つけ出され、1960年代、銀座三越が新築されたさい、その屋上に移された。

３　龍光不動尊

銀座2丁目の中央通りに「銀座発祥の地」の碑が建てられている。江戸時代の貨幣鋳造所である「銀座」があった場所だそうだ。

碑の前に建っているビルは銀座ティファニーだ。そう、あの『ティファニーで朝食を』のティファニーだ。

このあたりから4丁目目の交差点にかけての中央通りには、外国のブランド商品の店が並ぶ。思いつくままに順不同でならべると、ダンヒル、ティファニー、カルティエ、ブルガリ、シャネル、ルイヴィトン。空港の免税店通りのようである。おっと、それからアップルの店もある。

　　

年配者には銀座が外国資本に侵食されている感じがするかもしれない。日本を取り戻せ、と叫びたくなるかもしれない。だが、今の若者はこれらの店を外国資本と感じないだろう。

日本がバブル景気に沸き立っていた1980年代、日本資本がアメリカの不動産を買った。その極めつきが日本の不動産会社によるニューヨーク・マンハッタンのロックフェラーセンターの買収だった。

さすがにあの時は、ニューヨークの人が、いまにマンハッタンがごっそり日本の資本に牛耳られるといったふうな強い反感を口にした。間もなく日本のバブル経済がはじけ、不動産会社はロックフェラーセンターのほとんどの不動産を売却した。

中央通りに面した銀座3丁目の松屋デパートの屋上に龍光不動尊がある。不動尊だから真言のミニ寺院だが、銀座八丁神社めぐりの一つになっている。

由緒書きのよると、1929年に高野山龍光院から迎えた伝鎌倉時代作の不動明王像を屋上に安置した。

松屋は終戦後米軍に接収されPXとして使われた。そのころ屋上の龍光不動尊はどこか別の場所に移されたのか、そのまま米軍PXの屋上にあったのだろうか？　そこのとろは確認していない。

４　幸稲荷神社

俳人鈴木真砂女が80歳を超えてなお、銀座1丁目の路地の小料理屋・卯波を切り盛りし、俳句を作っていたことはよく知られていた。彼女の店は俳句関係者や文人と称される人が良く立ち寄る銀座の有名店だった。当時、週刊誌のグラビアや、新聞に卯波の写真がよく載っていた。

その鈴木真砂女が身辺雑事を綴った随筆集『お稲荷さんの路地』（富士見書房　1994）のあとがきに、この本の題名は「私の店へはいる角の幸稲荷の名を拝借しました」とある。

鈴木真砂女は、幸稲荷について、「江戸時代からの由緒あるもので、銀座に数多くある稲荷神社の札所一番です。銀座八丁は一丁目から八丁目までありますが、銀座もはずれの並木通り一丁目にあって、私の店のお客様は皆さまこのお稲荷さんを目印にしております……近頃はビルラッシュで銀座のお稲荷さんも屋上に鎮座しておるものが多く、土地高騰の今、貴重な土地に赤い鳥居の社は銀座といえど三か所ぐらいだとおもいます」と随筆集のあとがきに書いている。

そういうことで、幸稲荷の路地に店を出していた鈴木真砂女も、商売繁盛を願って毎晩十円をお賽銭箱に入れて拝んでいた、という。

筆者のかつての勤め先が築地だったので、晴海通り周辺にはなじみがあったが、銀座1丁目まで足をのばすことはめったになかった。酒を飲まないから卯波に行ったこともなかった。鈴木真砂女の死後、彼女の俳句も彼女の店・卯波の名も、すっかり忘れていた。

銀座1丁目の幸稲荷を目指したが見つからなかった。

洋品店でお稲荷さんの場所を聞くと、新しくビルを建てるのでお稲荷さんは撤去されたという。やがてビルの屋上あたりに復元されることになるのでしょう、と聞かされた。有為転変、銀座らしい話である。

探し当てた幸稲荷跡では新しいビルの建築が始まろうとしていた。建築現場を囲む塀に、こんな掲示板が掛けられていた。どうやらお稲荷さんは屋上には上らないようである。

銀座西一丁目町会のサイトもついでにご覧あれ。

５　銀座稲荷神社

神社とは、平凡社世界大百科事典によると、次のような施設である。

神道の神々をまつる目的で建てられた建物・施設の総称。社（やしろ）、祠（ほこら)ともいう。本殿、拝殿、それらを囲む瑞垣(みずがき)、鳥居などで構成される。そのほかにも、宝殿、手水舎(ちようずや)、神楽殿、社務所、神苑などを併せている。

同じ百科事典によると、神棚とは、

家庭での祭祀を目的として屋内やその周辺に神霊をまつる棚。①座敷・床の間などに設けられるもの。②台所・寝所などの日常生活空間に設けられるもの（竃神・水神・厠神など）。③ある特定の期間だけまつられる歳神棚、七夕棚、盆棚など年中行事に関与した神棚に分類される。住宅内に神棚が設けられるようになったのは、江戸時代中期に伊勢神宮の御師(おし)が神符を各戸にくばられ、神符をまつる場所として神棚を設ける習慣が一般化したものと考えられる。

大規模施設の神社と縮小版の神棚の間の間を、祠とよばれる施設が埋めている。

七五三の時のように晴れ着を着て出かける施設が神社とすれば、年始に神社まで出かけるのがおっくうなので、近くの空き地の横の神様で済ませるのが祠。昔のテレビで銭形平次の十手がおいてあった場所が神棚である。

銀座2丁目のガス灯通りにある銀座稲荷神社は限りなく神棚に近い祠である。普段は越後屋という呉服店のビルの屋上にあり、銀座8丁目神社めぐりの期間中にだけ、屋上から降ろされて、呉服店横の空間におかれる。神社めぐり期間中に撮影された写真によると、銀座稲荷神社は子どもみこしほどのサイズである。

なるほど、地価の関係もあって銀座の神社の大半はその規模において神棚・祠系のものが多い。

東京都神社庁が1986年に出した『東京都神社名鑑』には、銀座八丁の神社のなかで、同神社庁に所属する朝日稲荷神社と豊岩稲荷神社の2つだけが掲載されている。東京都神社庁とは神社本庁の現地出先組織で、神社本庁とは戦前の国家神道時代の国営神社統括組織が敗戦で民営化されたものである。

先の百科事典を開くと、昔の中国では国家の「祀典」に登録されていないものを黒祠(いんし)――「黒祠邪教」とした。現代中国の法輪功のようなものである――法輪功が宗教活動なのか、それとも健康増進活動団体なのかはっきりしないが。また、以前、大学で韓国籍の同僚から聞いた話だと、日本植民地時代の朝鮮半島では、日本の国家神道とその施設は「淫祠邪教」とみなされていた。江戸時代の日本では切支丹宗は邪宗とされた。

信仰の値打は組織が決めるものではないから、何かに感応してありがたいと思えば、それが神となる。志賀直哉の『小僧の神様』などはその部類であろう。

６　八官神社

東京都中央区が出した「銀座八丁神社めぐり」の略図だけを頼りに銀座八丁神社めぐりを始めたのだが、間もなく格好のガイドブックが見つかった――石井研士『銀座の神々』（新曜社　1994年）。いまのところ手近かな所にこれ以上の案内書がみあたらないので、これ以降、書き連ねることはもっぱらこの本の受け売りが中心になる。

銀座8丁目の銀座日航ホテル横に八官神社があると、中央区の「銀座八丁神社めぐり」の略図に書いてあった。だが、やはり略図は略図にすぎず、見つけるに手をやいた。

そこで、「宿泊ではないのですが……」と日航ホテルのフロントで八官神社の場所をたずねた。さすがに客商売で、ホテル用の近隣案内地図を取り出し、黒いフェルトペンで玄関を出て左に曲がり、最初の辻をまた左にまがると間もなく見えます、と親切に道順を書き込んでくれた。

八官神社はビルの壁面に張りついていた。八官神社を探して、すでにさきほどこの通りを歩いたのだが、見落としてしまったようだ。神社の前に商用車でも止まっていたのだろうか。

『銀座の神々』によると、明治のころの八官神社は本殿、拝殿、鳥居、玉垣を備え、宮司が住みこんでいた普通の神社だった。関東大震災、東京空襲、銀座の都市化、ビルラッシュ、銀座定住者の急激な減少で氏子がへり、神社の存続が危ぶまれるようになった。

1982年に神社があった土地に8階建てのビルを建て、本殿を最上階におき、ビルの壁面に拝殿を設けた。本殿の下の7階から地下までを貸店舗にして、その家賃で神社の存続を図ろうとした。

ところがこの改築案を神社建築を神社本庁は認めなかった。

神社本庁の1970年通達によると、神社の要件として①社殿が直接地面につながっていること（盛り土をしてでも）②社殿の上が空であること、が必要だという。根拠は神社の本殿は神の住居であり、その形式は「高天原に千木高知り、底津石根に宮柱太敷立て」という古事記伝来の言葉による、という。

『古事記』など古代伝承に出てくる「国譲り」はこんな話である。

天照大神が送り込んできた使者から、葦原中国（あしはらのなかつくに）を譲るように迫られた大国主命は、立派な建物をつくり自分を祭ることを条件に国を譲った。その建築様式が、かつて大国主命が須佐之男命から教えられていた「底津石根（そこついわね＝地底の岩盤）に宮柱を太く立て、高天原（たかまのはら）に棟飾りの千木（ちぎ）を高くそびえさせて住め」というものだった。

『銀座の神々』にはこんな話が書かれている。八官神社をビル化したさい、二重のパイプをつくり、中のパイプを空にし、外側に土を詰めた。これを地下から拝殿を通して最上階の本殿まで通した。本殿は土で地上とつながり、中空のパイプで拝殿の願い事が本殿に届くという仕掛けだった。

だが、神社のビル化は結局、神社本庁の同意を得られなかった。八官神社は全国組織の神社本庁から離れ、単独で東京都が認可する宗教法人になった。

７　朝日稲荷神社

銀座3丁目の朝日稲荷神社も八官神社と同じようにビルになった神社である。八官神社はビル化をめぐって神社本庁と意見が対立し、神社本庁から離脱した。朝日稲荷神社のビル化の時も、神社と神社本庁は意見が対立したが、ビル化の後も、朝日稲荷神社は神社本庁に加盟したままで残った。

この違いは興味深いだ。どんな事情があったのだろうか。

前回の八官神社をめぐる話題で参考にさせてもらった『銀座の神々』の著者、石井研士氏の研究に今回もまたお世話になる。今回のネタ元は同氏の論文「都市化と神社――銀座の朝日稲荷神社の事例から」（東京大学宗教学年報、1990年）だ。

朝日稲荷神社は東京都がまだ東京市だった戦前に、市有地15坪ほどを無料で借り、銀座3丁目町会が地域の守り神として存続させてきた。

やがて町会は戦後になって、東京都から借地を購入して朝日稲荷神社を宗教法人にした。15坪の土地を160万円余で買った。35人の氏子がお金を出し合ったそうである。

1980年代になって、神社は隣接の広告会社と共同でビルを建てた。

1階から2階にかけての外壁をくりぬいて拝殿にし、ビルの8階屋上に本殿をいた。八官神社と似た構造だが、八官神社のように本殿と拝殿をパイプでつなぐことはしなかった。

当然、神社本庁はこのビル化計画に否定できだった。神社本庁は、朝日稲荷の本社を日枝神社に移し、現在の神社を飛び地境内地とみなすなどの代替案を示したが、町会はこれを断ってビルを建てた。神社本庁が町会の勢いに押し切られたかたちになり、朝日稲荷神社が離脱することはなかった。

『銀座の神々』には、1980年代から1990年代にかけてビル化することによって、なんとか存続をはかろうとする日本各地の都市神社の苦闘をメディアがさかんに取り上げたと書いている。

一方で、過疎地、特に限界集落と呼ばれる地域では村の社が放置され風化している。

８　あづま稲荷神社

晴海通りと銀座通りの銀座4丁目の交差点近くの裏通り、銀座5丁目・三原小路にあるあづま稲荷神社は戦後につくられた。

言い伝えによると、戦後の発展途上の三原小路で火事が頻繁に起きた。いろいろと聞いたり調べたしてみると、三原小路のどこかにかつてお稲荷さんがあったらしいとの情報を得た。

そこで、町内で協議のすえ、あづま稲荷神社をつくった。すると、以後、火事が起きなくなった、そうだ。今では防火のお稲荷さんになっている。

神霊の不満がたたりとなって現れ、社会に災難をあたえるので、神霊を祀ってその不満な心を慰撫しなければならないという古来の心情の表れであろう。菅原道真の怨霊を祀った北野神社と同じ、祀ることで祟る神が逆に守護神になるという例である。

ところで、今日は2013年8月15日。フラッシュニュースによると、韓国の国会議員が靖国神社近くの路上で日本軍国主義に抗議した。日本武道館の全国戦没者追悼式では、安倍晋三内閣総理大臣が式辞で「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」と式辞を朗読した。

先の戦争で、兵士は、子や妻、父母、ふるさとのために身を犠牲にしたのだろうか？　その兵士たちの犠牲と今日の平和と繁栄は、因果関係があるのだろうか。これは慎重な歴史の探求と解釈を必要とする話で、一介の政治家の思い入れにまかせるには重すぎる問題である。

平凡社の世界大百科事典で「祟り」をひくと、宗教学者の山折哲雄が次のように説明していた。

「このような祟りと鎮魂のメカニズムは、道真の事例においてみられるように、それ以降の日本の政治史にもしばしば現れるようになった。とりわけ権力や政権の交替期には政治的に非業の死をとげる人間が大量に生みだされるため、その死霊や怨霊を鎮める儀礼がさまざまな文脈において行われた。たとえば現代の問題としていえば、戦争の犠牲者を靖国神社にまつり、その霊を鎮めることによって国家の政治的罪悪性を免罪し、祟りの発現を回避しようとする企てが支配層によって行われたのもその一例である」

山折はもっと面白いことも書いている。

「かつてニーチェは、原始キリスト教の成立とフランス革命の発生の心理的動機を、社会の水平化現象をひきおこすルサンティマンによって説明しようとした。すなわち逆境にある者、虐げられた者の反抗の倫理、不自由な、持たざる弱者たちによる強者への復讐の感情がそれであるとしたのであるが、これは日本における祟りの発現が、つねに共同体内部における社会病理学的現象として意識されたことと好対照をなす視点であるといえよう。怨恨感情の解放が社会変革への導火線となったというのがニーチェの考えであるが、これに対して日本の伝統的な祟り信仰は、その病原体としての祟りを呪術･宗教的に鎮静させ、最終的にそれを除去することを目ざす点で社会変革のための心理的動機にはなりにくかったということに注目すべきであろう」

「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」という文言は、政治学的見地からみれば、怨恨の解放が社会変革の導火線にならないようにするための支配層の呪文である。

おや、話が妙な方向に脱線してしまった。

９　宝童稲荷神社と成功稲荷神社

銀座にある小神社のほとんどが稲荷神社である。銀座の人々はことのほか稲荷好きだったのだろうか。

いつもお世話になる平凡社の世界大百科事典（第2版）の「稲荷信仰」の項目を見ると、そこに答えが書いてある。

神社本庁（宗教法人）所属の神社は全国で約8万社、うち約3万社（4割弱）が稲荷神社だ。京都の伏見稲荷大社を頂点に、稲荷信仰は日本全国に広がっているが、西日本よりも東日本で稲荷信仰がつよい。とくに関東地方では神社本庁に所属していない「屋敷神」としての稲荷が多い。

これまでめぐってきた銀座の神社には、神社本庁に所属するものは少なく、その多くが地域の守り神だったり、企業の守護神だったりした。したがって、神社の規模もちょっと大きな神棚サイズから、大きくてもせいぜい屋敷神程度のものが多かった。

銀座4丁目の宝童稲荷神社は伝承によると、もともと徳川将軍家の子どもの早死予防のために江戸城内に祀られた神社（屋敷神）で、これを勧請して銀座に鎮座したという。したがって健やかな子どもの成育にご利益がある子育で稲荷とされている。

宝童稲荷は銀座の裏通りの小祠だが、ビルの屋上に上げられたり、企業のビルにおさまって普段はお参りできなくなってしまった神社がある中で、いまでもきちんと大地の上にたっているというのが、地域の誇りである。

銀座7丁目の資生堂ビルのなかに、商売繁盛・事業成功に霊験あらたかな萬金龍神成功稲荷が祀られている。普段は非公開で、銀座八丁神社めぐりの催しの時だけ一般公開されてきた。銀座の資生堂ビルはたてなおし工事の真っ最中だった（間もなく工事完了とのこと）。

１０　宝珠稲荷と豊岩稲荷

故丸谷才一の小説『女ざかり』の文中の、

　「あら、お宮」
　　とつぶやくと、伯母は
　「銀座だって日本だもの」
　　とたしなめる

という会話に触発されて、さて、銀座のお宮とはどんなものなのだろうかと、「銀座八丁神社めぐり」をはじめた。

これまで9回にわたって、“大”銀座にしてはつつましすぎる神社をみてきた。その中で、この10回目の銀座3丁目の宝珠稲荷神社が、銀座の神社の中では、小さいながらも、どこかふと神社らしさにおいを感じさせる、唯一の神社だった。

宝珠稲荷神社はもともと三河の国深溝藩主板倉重昌の江戸屋敷内に、家内安全火除の神として祀られた屋敷神だった、といういわれを持つ。

大正時代に地元の氏子が神社とその土地の寄進を受け、戦後まもなく氏子有志がお金を出し合って隣接地を買い取り、社殿と社務所を建設した。

だが、最も銀座という街を感じさせるのは、なんといっても銀座7丁目の路地の奥にある豊岩稲荷である。銀座通りの一つ裏の通りに、ぽつんと石柱が立っていて「豊岩稲荷神社」とある。

そこからビルとビルの間に、すれ違うのがやっとといった狭くて薄暗い路地が始まっている。時間帯によっては、髪をきれいにセットした和服姿の、このあたりの水商売の人らしい女性が、お参りをすませて路地の奥から現れてくることがある。

路地の奥へと歩いて行くと、お稲荷さんがあった。

ガラス戸が閉まっていて、拝殿の中はよくわからない。

この豊岩稲荷の角を左に曲がって、

細い路地を歩き続ける。

すると、路地のつきあたりにガラスのドアがあって、

「通り抜けできます」と書いてある。

ん？

自動ドアの向こうは、なんと、喫茶店である。お茶を飲み談笑する人々がいる。そのかたわらをぬけて反対側の自動ドアを出る。

と、そこから再び細い路地がのびている。

①そもそも、なぜこんな路地の奥にお稲荷さんがあるのだろうか？
②なぜ路地を遮断するかたちで喫茶店ができ、喫茶店の中に通り抜けの通路ができたのだろうか？
③この路地を歩き続けると、最後はどこに浮上するのだろうか？

調べてみると面白いだろう。土一升金一升の銀座ならではの土地がらみのこんがらがったお話にたどり着くことうけあいである。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（写真と文：　花崎泰雄）