看板

最も一般的な店の標示で、近世から現代にかけて、日本・中国・欧米諸国を主とし、広く全世界各地で発達したものである。日本では看板、中国では招使(チヤオパイ)・望子(ワンズ)または幌子(ホワンズ)と呼ばれ、英語ではサインボード signboard、あるいはサイン sign、フランス語ではアンセーニュ enseigne、ドイツ語ではツァイヘン Zeichen と呼ばれている。看板は広告塔・はり紙などとともに屋外広告物に含まれ、常時または一定の期間継続して屋外で公衆に表示されるものとされている。看板の表示内容の主体となるのは、店名・業種名・商品名であって、これを示すために文字を用いるのが現代では最も多いが、店をあらわすシンボルやマーク、業種をあらわすシンボル(たとえば理髪店の赤白だんだらの棒、酒造店の杉玉)、販売する商品をあらわすシンボル(たとえば眼鏡屋の眼鏡の絵や模型)など、文字によらない方法もいろいろ見られる。また文字による場合も独特のデザインによるロゴタイプ(たとえばコカ・コーラの文字)を用いて、視覚的印象を強める方法も多数認められる。

以上、これから始まる連載写真の前書きに代えて、『世界大百科事典』第2版(平凡社)から引用。



1 歯科医院

昨年暮れふとした拍子に奥歯の金属製のつめものがはずれてしまった。行きつけの歯科医院に行った。ドクターの話では、つめものの技術が進み、かみ合わせが精緻になったため、ふとした衝撃でとれてしまうことがあるのだそうだ。つめものの進歩に接着剤の進歩が追いつかないのです、という説明だった。

歯科医院をはじめ街のクリニックはおなじみさんが通うところなので、レストランや小売店のような客引きを念頭においた看板はあまり出さない。評判を聞いてやって来る新しい患者に目印を提供するのが主要な役目になる。



東京都港区南麻布でみたこの看板は、最初おもちゃ屋さんかと思った。壁面から突き出た棒に乗ったのんきな白衣の人物のせいだ。ほうきに乗った魔女と同じように、童心をくすぐる。

だが、そのうえに Dental の文字が見える。歯に関係のある商売かなと思っているうちに、白衣の人がまたがっている棒の先、というか根元に、ブラシがみえた。ああ、歯科医院の看板だったんだ、と見当がつく。

だが、なぜ「歯科」でなく、「Dental」 と表示されているのだろうか。南麻布のこのあたりはフランス大使館をはじめとして外国公館の多い場所だから、漢字よりアルファベットに親しみを感じる人が多いのだろう。

それにしてもソフトな看板である。

筆者もみなさま同様、歯科医院で治療を受けているときは、恐怖感からか、体の筋肉の硬直を感じる。

ただ見るだけで筋肉がこわばってくる歯科医院の看板のことを思い出した。

中国は新彊ウイグル自治区カシュガルの町でかつて見た看板である。見るからにウィーンと不吉な音をたてるドリルのうなりと、ガリガリという歯を削る音が聞こえてきそうである。

とはいえ、先の歯ブラシに乗った白衣の人と比べると、看板としてはこちらの方がきわめてわかりやすく実用的である。看板に書かれたウイグル・アラビア文字が読めなくても、「牙」や「dentiset」の意味が不明だとしても、これは歯科医院の看板である、と一目瞭然である。

港区南麻布にこの手の看板をだしたら、道行く人はどんな反応をするだろうか?



2 つつむ

住居表示に関する法律

第二条   市街地にある住所若しくは居所又は事務所、事業所その他これらに類する施設の所在する場所(以下「住居」という。)を表示するには、都道府県、郡、市(特別区を含む。以下同じ。)、区(地方自治法 (昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の二十 の区をいう。)及び町村の名称を冠するほか、次の各号のいずれかの方法によるものとする。

   街区方式 市町村内の町又は字の名称並びに当該町又は字の区域を道路、鉄道若しくは軌道の線路その他の恒久的な施設又は河川、水路等によつて区画した場合におけるその区画された地域(以下「街区」という。)につけられる符号(以下「街区符号」という。)及び当該街区内にある建物その他の工作物につけられる住居表示のための番号(以下「住居番号」という。)を用いて表示する方法をいう。

   道路方式 市町村内の道路の名称及び当該道路に接し、又は当該道路に通ずる通路を有する建物その他の工作物につけられる住居番号を用いて表示する方法をいう。



それとも――

ひところ流行ったラッピング・アートの流れをくむ冗談だろうか?

この手法で首相官邸をラッピングして「東京都千代田区永田町2丁目3−1」と大書すれば、けっこうなブラック・ジョークになる。



3 見上げたもんだよ①

昨年暮れに、いや、なに、大した用もないまま合羽橋道具街をうろついてきた。



「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」は映画『男はつらいよ』の寅さんの常套句だが、合羽橋道具街で見上げると、ビルの屋上に巨大なコックさんの像があった。

洋食器屋さんのマスコット(にしては大きすぎるが)として、このあたりではつとに有名な像らしい。高さ11メートルほど。奈良・東大寺の大仏の座高15メートルの3分の2ということなので、それなりに大きい。もっとも、白いコック帽で高さを稼いでいるところはあるけれど。

ビルの上の強大な像は見上げた人をドキッとさせる。思い出すのは、アメリカ映画の摩天楼のキングコングだ。

ところで、合羽橋道具街の屋上ジャンボコックは押し出しの効いた顔をしている。眉は太く濃く、ヒゲも立派だ。政治家向きの顔ではなかろうか。これまでの人生で、いつだったか、どこかであった人に似ている気がしたのだが、とうとう思い出せなかった。



4 見上げたもんだよ②



若いころアメリカ合衆国へ行って、なんだろうね、と気になったことの一つが、ドライブ・スルーのKFC店舗だった。なぜこの人たちは店内のテーブルで食べないで、自動車の中でフライ・ドチキンを食べるのだろう?と。それが今では日本でも、ドライブ・スルーの店舗があちこちにできている。

逆に、最近はKFC発祥の国アメリカ合衆国の人の多くが、日本人のKFC嗜好に関して、それってなんなんだろうね、と首をかしげている。

2014年の数字がまだ出ていないので、2013年の数字を引用すると、日本KFC1221-25日のクリスマス期間に66億円を売り上げたそうだ。おそらく米国人にしてみれば、クリスマスのお祝いにファストフードを食べる日本人の気がしれない、というわけなのだろう。日本でいえば、おせちにハンバーガーといったところだから。

しかし、まあ、多くの日本人に言わせれば、クリスマスはKFCで間に合う程度の日でしかない、ということであろう。

KFCは世界百ヵ国以上に14千店舗を持つ世界企業である。ハンバーガーのマクドナルドもそうだが、大した勢いで進出先の食文化と味の好みを変えてしまう。

インドネシアには伝統的な地元のフライド・チキンである「アヤム・ゴレン」があるのだが、KFCに押され気味である。とくに若い層がKFCを好む。インドネシアの新聞にはときおり、駆逐されるアヤム・ゴレンを嘆く記事が載る。

とはいうものの、よくしたもので、ジャカルタのKFCの店では、フライドチキンにインドネシアの伝統的なペパー・ソース「サンバル」をたっぷりと付け、お皿に盛った白いご飯(ナシ)と一緒に食べることができる。フライド・ポテトと一緒に食べるより、米飯の方がうまいと感じるインドネシア人がまだ多数派なのだろう。

だったら伝統的なアヤム・ゴレンでご飯を食べればいいのに、とつい思ってしまう。



5 見上げたもんだよ③

浅草・伝法院通りを歩いていて、商店の屋根の上にこんなものを見かけた。



正確には、看板というよりは屋根の上の置物というべきものだろう。沖縄の屋根飾りシーサーが魔除けであるように、屋根の上の鼠小僧は商売繁盛のお守りかも知れない。

伝法院通りには、このほかにも歌舞伎でおなじみの白波五人男の人形などが通りの商店を飾っている。よく知られたことなどで、いまさら紹介するまでもないのだが……。


6 見上げたもんだよ④



伝法院通りから再び浅草・合羽橋道具通りに帰って別のビルの屋上をながめると、そこにも大きな人形が飾ってあった。

合羽橋のシンボルである河童を可愛らしくアイドル風にデフォルメしたように見えるという人や、いあ、あれはかわり招き猫である、と見る人など、人によって見え方が違う。

どう見えるかについて議論するのもむなしいし、この様に見よと決めるのもまた味気ない。

あなたに見えたとおりのモノなのです。



7 すいすいカッパ



かっぱ橋道具街の歩道を歩いていると、商店の軒から可愛らしいカッパの人形がつき出していることに気づく。

ちょうど水泳の平泳ぎのように両腕を前方に突き出して手を合わせている。

道具屋街を歩いていてカメラをぶら下げた外国人観光客を見かけることが多い。東京の観光スポットになっているようである。

かつて、かっぱ橋道具街の商店で売られているレストランのウィンドウ用の料理サンプルがニューヨークの近代美術館に収められることなり、話題になった。

ニューヨークではplastic food と名称で知られている。銀座ライオンのショウ・ウィンドウの料理サンプルの、その精巧な出来栄えは感動ものである。




8 巨大昆虫

カッパ橋道具街の通りのビルの壁に、巨大なカブトムシがへばりついていた。

きっと冗談なのだろうが、グレゴール・ザムザを一夜のうちに巨大な虫に変えてしまったカフカの小説『変身』を思い起こさせる。



ザムザはいかなる理由で虫になってしまったのか。虫になったとすれば、何の虫だったのか。いまだに文学史上の謎である。

それはゴキブリだっただという人もいれば、『ロリータ』で有名なナボコフのように、カブトムシだと想像する人もいる。

調理器具などを扱っている道具街なので、ゴキブリと連想はつながりやすいが、ビルの壁に巨大なゴキブリがへばりつくとなると、リアルに過ぎる。カブトムシなら衝撃の度合いは緩和される。

巨大なカブトムシを壁に生じさせた人の意図も、カフカの意図と同じようによくわからない。

道具屋街の散歩にはカフカに行き当たるなど思わぬ冗談があって楽しい。



9 劇場

巨大なカブトムシがへばりついた合羽橋道具屋街の建物の近くに「かんばん劇場」と看板を掲げた建物があった。

かんばん劇場とは何か? 



かつて論壇を賑わせたクリフォード・ギアツの『ヌガラ 19世紀バリの劇場国家』であるとか、オールド日本人男性をしびれさせた尾崎士郎『人生劇場』であるとか、ちょっと前の日本的前衛現象である唐十郎『状況劇場』であるとか、いまでは記憶している人が少なくなった金嬉老の劇場型犯罪・寸又峡事件であるとか、その手の仕掛けのある劇場なのだろうか。

どうぞ、お入りください。中に入ってごゆっくりとご覧ください。



10 各種既製品



合羽橋道具屋街を歩いていて、看板にも既製品があることを知った。さまざまな業種の看板があり、店名を書き加えるだけで一丁上がりといった看板である。それだけのことなので、この後に続く物語は、何もない。



11 菓子司



この写真は昨年の初冬の夕方、本郷通りで撮った。初冬とはいえ陽が傾くころになれば、寒さが身にしみる。そんなとき、やわらかな暖色系のあかりが目にとまると、なぜかほっとする感じがする。気のせいで体が温まるような気分にもなる。

立派な木の看板といい風にゆれるのれんといい、老舗らしい感じがあふれている。店内に客の姿がなく、店員さんがひとり働く姿が見える。

ちょっと入ってみようかな。

こういってはお店にきのどくなのだが、人がいない方が、老舗の店内のほのかに暖かい空気がより感じられるような風景になるのである。

本郷通りの無愛想な雑然ぶりとは対照的なしっとりとした店の雰囲気である。調べてみると、京都に本店がある和菓子屋で、東京都内にいくつか支店をもっているという。なるほど、と納得。



12 コロッケ

駅前通りの市場にはたいていコロッケの名店がある。日本ではコロッケはひき肉がほんの少々入っただけの簡便ジャガイモ料理だが、明治維新のころ西洋から入ってきたクロケットはれっきとした一品である。

クロケットはこまかく刻んだ肉にタマネキ・シャンピニオン・トリュフを加えてあげたものである。同じように明治のはじめ西洋から入ってきたカットレットとトンカツがよく似ているが中身はだいぶ違うのと同じである。

コロッケは『西洋料理指南』(明治5年 1872年)に「馬鈴(ジヤガタライモ)ヲ以テ俗ニ云ガンモドキノ如キモノヲ製スル法アリ。大ナル馬鈴十個ヲ研()リ,生牛肉半斤ヲ細末ニシテ之ニ交ゼ,我ガ菓子ノ唐饅頭様ニ容(カタチヅ)クリ,小麦粉(ウドンコ)ヲ着セ第一衣トナシ鶏卵黄(タマゴノキミ)ヲ着セテ第二衣トナシ焙麦粉(パンコ)ヲ着セテ第三衣トナシテ牛脂(ウシノアブラ)ヲ以テ煮ルナリ」とある(平凡社・世界大百科事典)。



本郷通りから菊坂に入り、しばらく歩くと「菊坂コロッケ」の店があった。知る人ぞ知る、東京のコロッケの名店の一つである。



13 学年末

歳をとってからの10年ほど大学に勤めて教員をやっていた。2月、3月になると気が重い日が続いた。試験の採点をし、コピー・アンド・ペーストでレポートを作ってきた学生を呼んでお説教をし、これでは単位はやれないと宣告したものである。学生が4年生だった場合は、そのあと心配になって、この単位がないと卒業に差し支えがでるのかどうか聞いた。

幸いにして追試で救済するような経験はしなかったが、卒業判定の教授会では、単位を与えそこなった学生のことが気になった。



本郷通りには東京大学があり、大学が近くあるので「落第横丁通り」という看板も出ている。

しかし、「横丁+通り」とは冗語ではないか。なるほど落第の所以であろう。



14 両国あたり

さすが両国である。風景は幕下クラスだが、看板には「横綱横丁」とあった。

相撲を日本の国技だという人がいる。カナダにはカナダ国民スポーツ法(National Sports of Canada Act)があって、アイスホッケーを冬のカナダ国技に指定している。この法律は1994年につくられた。

相撲は、それが日本の国技であると人々が言っているだけで、カナダのように法律で指定されているわけではない。君が世の歌も、日の丸の旗も、それが日本の国旗だ、国歌だと人が言っていただけだったが、1999年に国旗および国歌に関する法律できた。

国技館では千秋楽に「君が世」を演奏する。もし相撲が将来、法律で国技に指定されたらどうなるか。千秋楽で国歌に指定されている「君が世」の演奏のさい、会場で起立しなかった相撲見物の客はおとがめをうけるかもしれない。

相撲は変わったスポーツで、ほとんどの場合、横綱が優勝する。日本生まれの日本人はここ10年以上も横綱になっていない。モンゴル出身の横綱ばかりが優勝して、「君が世」を聞いている。

スモウ・グランド・チャンピオンの横綱は、yokozunaの綴りでオクスフォード英語辞典に収録されている。発音は[jəʊkəˈzuːnə]だ。


相撲も柔道の後を追って、徐々にではあるが国際競技に近づいている。千秋楽には優勝者の出身国の国歌を演奏してはどうだろうか?



15 満艦飾 その①

芥川龍之介が『侏儒の言葉』で言っている。英雄らしい身振りを好み、機械的訓練や動物的勇気を重んじ、喇叭に鼓舞されれば、戦う理由も問わず欣然と敵に当り、殺戮する。軍人は小児に近く、軍人の誇りとするものは小児の玩具ににている――緋縅の鎧、鍬形の兜。そして勲章。「わたしには実際不思議である。なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう」

明治の山縣有朋の写真を見ると、上着が勲章で埋まっている。上記の芥川の感想はそうした日本の軍人を見てのものだろう。現在では、北朝鮮人民軍の将軍たちがそうだ。写真を見ると、軍服の上に所狭しと勲章を張り付けている。



以上は、写真の商店にピントを合わせ、シャッターを押したときの感想である。



16 満艦飾 その②

けばけばしく乱雑な街並みは東アジアの都市にしばしば見受けられる。



この東京の料理店のファサードを見ての感想はさまざまだろう。



こちらはソウルの料理店。



こちらは台湾・新北市の街路。

こういう風景になれた日本人がヨーロッパの古い都市を訪れて、その街並みの美しいことに感嘆するように、そうしたヨーロッパの古都から来た旅行者は東アジアの大都市の風景を「キッチュ」なものとして受けとめるのである。



17 満艦飾 その③



満艦飾を並べればやがて退屈する。このくらいにしておこう。



18 空白

なかみがいっぱいの壷よりも、なーんにも入っていない壷の方がいい。空っぽであれば、これからいろんなものを入れることができる。むかし読んだヒンドゥー教の案内書にそんなことが書いてあった。

歳をとって少しは世間の事を知ったが、何も知らなかった昔がなつかしい。あのころは、きっかけさえあれば、さまざまな事が苦も無く頭の中に入ってきた。



写真の、空白の広告塔は渋谷駅の近くで見かけた。昨年のことだ。なんだろうね、と思っているうちに、電飾広告板になった。空白のボードの方がメッセージの詰まった看板広告よりも想像を刺激する。



19 路上にて

ヨーロッパの街では、広場や歩道の一部を使ってカフェが営業している。空の下のテーブルでお茶を飲んだり、軽い食事をしたりするのは楽しい。

あれはスペインのどこかの街の事だった。観光客の女性がバッグを歩道側の椅子に背にかけているのを見たウエイターが店側の方にかけ替えるよう注意していた。歩道だからいろんな人が歩く。人を見たら泥棒と思え――この金言がぴったりくる街もあるのだ。

東京都が「東京シャンゼリゼプロジェクト」と銘打って、東京の公共空間をヨーロッパ風に飾ろうという計画を進めている。東京の空間はパリの空間とは大いに異質であるから、シャンゼリゼと銘打っても所詮はシャンゼリゼになりえない。東南アジアの街の至る所にある屋台通りとシャンゼリゼの中間程度の景観になる事だろう。



それはさておき、道路で営業をするには、道路の占用許可を得なければならない。路上カフェが開けるよう、東京都が占用許可の条件を緩和する措置を講じている。その第1号が、去年オープンした虎門ヒルズの近くにある、と新聞で読んだことがあったが、まだ行ってはいない。



20 ポン・ヌフ

前回の東京都が提唱している「東京シャンゼリゼ」計画で思い出したことがあり、JR新橋駅前まで行ってきた。同駅の銀座口近くに立ち食いそば屋があって、その店名がパリ最古の橋であるポン・ヌフであることを思い出したからだ。



ポン・ヌフとはフランス語で「新しい橋」を意味する。新橋駅前なのでポン・ヌフと洒落てみたようである。ま、お遊びである。店構えは写真でご覧のとおり。

一方、渋谷には「スペイン坂」がある。ローマの名所の一つである「スペイン広場」「スペイン階段」から名前を拝借したらしい。

ローマの「スペイン広場」の名前の由来は、そこにスペイン大使館があったからだ。渋谷のスペイン坂はたんなる裏通りの短い坂道である。





21横ばい

「景気は、個人消費などに弱さがみられるが、緩やかな回復基調が続いている。個人消費は、消費者マインドに弱さがみられるなかで、底堅い動きとなっている」と、20152月の月例経済報告はいう。

上記のパラフレーズ――景気は、緩やかな回復基調が続いているが、個人消費などに弱さがみられる。個人消費は、底堅い動きとなっているが、消費者マインドに弱さがみられる。

「企業収益は、全体としてはおおむね横ばいとなっているが、大企業製造業では改善の動きもみられる。企業の業況判断は、おおむね横ばいとなっている」

上記のパラフレーズ――企業収益は、大企業製造業では改善の動きもみられるが、全体としてはおおむね横ばいとなっている。企業の業況判断は、おおむね横ばいとなっている。



「消費者物価は、横ばいとなっている。先行きについては、雇用・所得環境の改善傾向が続くなかで、原油価格下落の影響や各種政策の効果もあって、緩やかに回復していくことが期待される。ただし、消費者マインドの弱さや海外景気の下振れなど、我が国の景気を下押しするリスクに留意する必要がある」と、20152月の月例経済報告は続ける。

株高・円安の二人三脚だけで、一般の消費意欲はよみがえるだろうか? 500円――いわゆるワン・コイン・ステーキは、現在の為替相場だと4米ドルちょっとである。



22 目黒のサンマ

目黒のサンマなど落語の中の事だろうとばかり思っていた。だが、実際には看板になっていた。虚構がやがて現実になる。松山・道後温泉の共同浴場が「坊ちゃん風呂」と愛称で呼ばれるのは、この代表例だ。



温泉と違ってサンマは旬のある食べ物だから、シーズンオフのこの時期、わざわざ目黒まででかけてサンマを食べてみようという物好きは少ないだろう。

サンマの塩焼きも好きだが、筆者が一番好きなのは、目黒のサンマほど名は売れていないが、伊豆・伊東のサンマの丸干し。カチンカチンに干してあるサンマの丸干しを炙って、むしって食べる。



23 月島のもんじゃ



目黒のサンマとならぶ東京の名物が、月島のもんじゃだ。

築地に仕事場があった勤め人時代、ときどき散歩がてらに月島・佃あたりに散歩に出た。路地の空間文化が注目されていたころだった。

あちこちの路地を抜けて、玄関先に盆栽や花壇を並べている家がどれだけあるか、数えてみたこともある。ついでに月島でもんじゃを食べた。生焼けのお好み焼きを食べているようで、うまいものだったという記憶は残っていなかった。

築地での仕事をやめて幾星霜。数年前、もんじゃの焼きかたを習う必要にせまられ、月島のもんじゃ通りに出かけた。

月島・佃あたりは、島に高層ビルが立ち並び、島全体が巨大なサボテンの盆栽のような風景になっていた。



路地も中途半端に再開発され、大通りの入り口にはもんじゃ案内所ができていた。入れ込みようはサンマの目黒を上回る印象である。



24 佃煮

米飯の良き友である佃煮は、江戸時代に佃島の漁民が売れ残った小魚を醤油で煮詰めた保存食が起源である――これが定説になっている。

炊き立てのご飯のうえにアミの佃煮をたっぷりとのせて食べる。これはうまいのであるが、最近ではめったに食べない。それに、第一、米飯の回数が減ってきている。さらに、街中に出ると、牛丼より少々値のはるフォアグラ丼が流行している。ソテーしたフォアグラにバルサミコ風味のタレをかけて食べる。

そのような非伝統的食生活が支配的になっているので、デパートやスーパーマーケットへ出かけても、佃煮の売り場に足を止めることはまずない。



しかし、写真のような風情の佃煮屋さんを町中でながめれば、ついつい気をそそられてしまうのは、過去の食生活の刷り込みが消えていないからだろう。



25 移動体広告

大型車両を改装したこの手の動く広告が東京の繁華街をのろのろ走り回っている。電車に乗れば、これ買え、あれ食え、あそこへ行けと、おしつけがましい広告があふれている。東京は町中が広告の掲示スペースだ。



公共交通機関の広告は明治に始まっている。1872年(明治5年)に新橋-横浜間に鉄道が開通したが、その6年後には車内広告が始まっている。「鎮嘔丹」という乗り物酔防止薬だった。これが鉄道広告の第1号。

先日の新聞によると、JR山手線で2016年から運行する新型車両には、車内広告が、紙から液晶パネルになるという。中吊広告もなくなる。

目的の一つが、2020年のオリンピックでやって来る人々に、東京の都市景観をアピールすることだ。

いずれ、この手のトラックやバスを改装した移動体広告にも規制の網がかぶせられることになるだろう。

(写真と文: 花崎泰雄)