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2006年8月号 


小泉氏の8・15

日本国首相・小泉純一郎氏は、@日本が東京裁判の判決を受け入れることを条件にしたサンフランシスコ条約に調印することで国際社会に復帰したという過去の事実を認め、AA級戦犯は戦争犯罪人であると断定し、BそのA級戦犯が靖国神社に合祀されていることを承知の上で2006年8月15日、同神社に参拝し、「A級戦犯にお参りしているわけではない。平和を祈念するために行ったのだ」と説明した。

政治学の教科書風な言い方をすれば、政治的生活にあっては個人的良心あるいは権利の主張と国家の利益や安全との矛盾が避けられない。この問題について一般的な解決策はなく、「われわれにできることは、ある特定の時と状況に応じて……相対的優先順位を研究することである」(バーナード・クリック『現代政治学入門』新評論、1990年、41-42ページ)。

通常、1国の首相ともなれば、個人的良心よりも国家の利益を優先する、であろう。それが成熟した(あるいは冷徹な)政治家とよばれる人種の職業的常識であり、覚悟であり、倫理である。したがって、相対的優先順位について「適切に判断する」がモットーの小泉氏は、中国や韓国の手前、「心の問題」であると韜晦しながらも、日本国首相の8・15靖国参拝という政治的行為が日本国の利益と安全に寄与すると判断したのだ。

では、その寄与とは何であろうか? 韓国と中国は反日という名のナショナリズムをテコにして、国力を伸張させ、日本に追いつき追い越そうとしている。そう認識する層が日本にある。では、日本も反韓・反中ナショナリズムをかきたて、アジアにおける日本優位を維持するエネルギーを日本国内からしぼりだし、肉薄する中韓に対抗しよう、というわけだ。アンブローズ・ビアスは愛国者のことを「政治家のカモ」と定義した。小泉氏には自らのネオ・リベラリズム治世5年間がそのような「政治家のカモ」を大量に発生させたという認識があり、政権5年間の締めくくりとして8・15靖国参拝に踏み切ったのだろう。

ところで、小泉首相の8・15靖国参拝は、マス・メディアの報道を見るかぎり、日本国内では大いに話題になった。しかし、中韓はそれほど騒がず、新たな摩擦は起きていない。「それみたことか」と、小泉氏は自身の強気の鼻っ柱外交感覚にご満悦だろう。が、別の見方をすれば、2006年9月には小泉氏は自民党総裁の任期切れを迎え、自動的に日本国首相の座を降りることになっているから、8月15日には政治的にはすでにレイム・ダックになっていた。そういう人を相手にムキになって外交的措置をとったところで、政府高官の気散じにはなっても、自国の一般的利益にはならないと韓中の首脳が判断したとも解釈できる。

東北アジアで日本、韓国、中国が利己的なナショナリズムむき出しの摩擦を拡大すれば、迷惑するのは東南アジアなど他のアジア諸国だろう。米国政府も公式には「靖国参拝は日本の国内問題」としながらも、米国務省の日本担当官僚たちは、苛立ちを隠せなかった。「ブッシュが行くなといっても、私は(靖国神社へ)行く」という小泉語録の背景には、そうした伏線があった。

(2001.8.22 花)