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2006年9月号 

● 目次 ●

小泉語録「民営化だけが政治じゃない」の教訓

憲法の変え方@
憲法の変え方A
ギュンター・グラスもびっくり 日本の戦後レジーム
日本国際問題研究所の自己検閲

教育基本法をなぜ変えたがるのか
シニシズムのスパイラル生む劇場国家
「一部軍国主義者」という階級史観!?
新聞は人生後半のコンパニオン
強制ボランティア労働
やーめた
ものは言いようで腹が立つ
クーデター
続・クーデター
つまみぐい
安倍内閣支持率調査


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小泉語録「民営化だけが政治じゃない」の教訓

次期自民党総裁・日本国首相の座をほぼ手中にしたと前評判の高い安倍晋三氏は、郵政民営化問題で小泉路線に反対したことで自民党から離党を求められた人たちの復党を考えるべきだとの態度を、9月4日、明らかにした。9月4日夕から5日朝にかけてメディアが伝えた。

この安倍氏の考え方について、現首相の小泉純一郎氏は同日、記者団に対して、「それぞれ事情がある。その人の選挙区事情、そして個人の考え方。郵政民営化だけが政治じゃない」と反対組の復党に一定の理解を示した、という(2006年9月5日、朝日新聞朝刊)。

この小泉談話のあざとさには笑ってしまう。政治を職業にしている者特有の(でもないか)性癖、あるいは、政治的争点というものは、国家の意思決定に関わる人々によって意図的に作り出されるものである、という政治学講義のさいの補足説明材料になる。 たった1年前の2005年8月から9月にかけて、郵政民営化論議は日本の進路を決めるこのうえない政治的論争点であった、と有権者は思い込まされていた。

2005年8月8日、小泉首相は衆議院の郵政民営化解散を受けて、官邸で記者会見を行った。このとき小泉氏は、首相官邸ホームページによると、「約四百年前、ガリレオ・ガリレイは、天動説の中で地球は動くという地動説を発表して有罪判決を受けました。そのときガリレオは、それでも地球は動くと言ったそうです。  私は、今、国会で、郵政民営化は必要ないという結論を出されましたけれども、もう一度国民に聞いてみたいと思います。本当に郵便局の仕事は国家公務員でなければできないのかと。民間人ではやってはいけないのか。これができないで、どんな公務員削減ができるんでしょうか。どういう行政改革ができるんでしょうか」という剣幕だった。郵政民営化法案が衆議院で可決されたにもかかわらず、参議院で否決され廃案になったことを理由に、小泉内閣は衆院を解散したのであった。

日本国では、解散は内閣の専権事項ということになっている。これに疑義をとなえて訴訟した人もいる。これに対して、最高裁判所は解散は高度な政治的判断であり、司法の判断はなじまないとの立場を明らかにしている。 そういうわけで、内閣は解散権を行使できるのであるが、解散の理由がそれにふさわしい政治上の争点があること、それが解散のマナーになる。

1年前、郵政民営化法案がそれであると、小泉氏は有権者を説得したのである。説得が功を奏して自民党は総選挙で記録的な大勝をした。 その1年後に「それぞれ事情がある。その人の選挙区事情、そして個人の考え方。郵政民営化だけが政治じゃない」という発言が出たことで、ひとつの感慨が沸く。日本の政治はどうやら「騙される奴が悪い」という、香具師が広げる露店に似ているということである。

政治闘争は政策の妥当性をめぐって行われる、という仮定に立てば、9月4日の小泉談話は異様である。しかし、別の観点からするときわめて自然な談話であるように思える。 1年前の郵政民営化法案をめぐる自民党の内部対立は、小泉氏によってぶっ壊す対象にされた自民党守旧派と小泉新興勢力の権力闘争の最終段階であった。反小泉勢力は郵政民営化法案を使って小泉氏を権力の座から引きずりおろそうとした。一方で、郵政民営化法案を、時代を画す選択課題であるというふうに増幅させ、小泉氏は国民的人気を利用して、反小泉勢力を一気に叩き潰そうとした。総選挙で小泉氏のこの試みは成功した。以後、自民党内部から表立った小泉批判派が消えた。小泉後継についての発言権をはじめ、小泉氏の自民党支配の試みが達成されたのである。小泉氏の外交音痴ぶりに対する批判が、自民党内部で大きな声にならなかったのは、こうした理由による。

以上のような、観点からすると、1年たってほとぼりも冷めた、反省するなら復党を許し、次の選挙に備えようという態度は、いわゆる政治的判断として、それなりに合理的ではある。 (2006.9.5 花崎)



憲法の変え方@

自民党総裁選をまえに、全国10ヵ所で開かれていた自民党のブロック大会が5日終わった。そのブロック大会での安倍晋三、麻生太郎、谷垣禎一3候補の改憲問題に関する発言をまとめた朝日新聞9月6日朝刊は「安倍氏改憲前面に。麻生氏同調、谷垣氏は慎重」と見出しにした。

安倍氏は各ブロック大会冒頭で「新憲法制定を政治スケジュールにのせるリーダーシップを発揮する」と繰り返し、麻生氏も「日本人が作った日本人の憲法が必要だ」とした、という。

安倍氏は総裁選出馬表明にさいして、「美しい国、日本」という政策パンフレットを作った。そのパンフレットの冒頭で、政権の基本的方向として「新たな時代を切り開く日本に相応しい憲法の制定」を掲げている。どうやら安倍氏は右派ナショナリスト政治家として、憲法改正、自由と規律の保守主義路線、教育のあり方の変更を掲げて、「戦後レジーム」からの脱却を売りにしているようである。

安倍氏はそのように変更される日本を「美しい国」と川端康成もどきのキャッチフレーズにした。だが、安倍氏は4年前、早稲田大学での講演で、ICBMを持っても憲法上問題はない、戦術核兵器使用は違憲ではないと語った、とサンデー毎日にスッパ抜かれたことがあった(このエピソードは、最近BBCが自民党総裁有力候補、安倍晋三の紹介記事で使ったので、再び世界中に知れ渡ることになった)。戦前生まれの筆者には、このような粗雑な右派ナショナリストの改憲論者が「美しい日本」などと叫ぶのを聞くと、つい、本居宣長の「敷島のやまとごころを人とわば朝日ににおう山ざくら花」を連想させられる。さらにはこの歌をもとに、神風特攻隊の最初の4部隊が「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられた、などといういまわしい記憶もよみがえる。日本の政治文化には、このような美意識によって国家が献身と自己犠牲を強要する、グロテスクな伝統があるので、「美しい国、日本」などという政治家のキャッチフレーズには注意が必要だ。話がそれた。

安倍氏は改憲が「戦後レジーム」からの離脱の象徴になると理解しているようだ。安倍氏のいう「戦後レジーム」がいったい何を意味しているのか、いまひとつはっきりしない。@戦勝国アメリカが日本におしつけた米国製の日本国憲法によって、日本が独立国としての面目を失ってきたことに我慢できかねるという意味なのか。あるいは、A憲法第9条のせいで、安全保障をアメリカに頼りきり、その代償としてさまざまな分野でアメリカの言いなりにならざるをえなかった屈辱の過去の清算なのか。または、B戦後の日本を取り仕切り、「戦後レジーム」そのものであった自民党に代表される保守政治からの離脱を意味しているのか。おいおい、それは小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と叫んだのと同じ自己否定のポーズではないか。それとも、C日本国憲法に盛り込まれた、主権在民、三権分立、国家からの自由、人権、社会権などという「戦後レジーム」の柱になった近代西欧の諸概念が、日本民族を堕落させてしまったとでも言っているのだろうか。

憲法第9条は日本軍国主義に手を焼いたアメリカのおしつけだったにせよ、あの当時の日本にはもう戦争はコリゴリという疲労感と軍隊嫌悪感もあり、9条を抵抗なく受け入れた。朝鮮戦争を機にその9条を変質させたのも、またアメリカである。日本に警察予備隊をつくらせ、武器を与え、保安隊に改名、やがて自衛隊という名のれっきとした三軍をもつ軍事組織になった。すでに海外派兵も行っている。2年ほど前にはアーミテージという名の当時の米国務副長官が、憲法第9条が日米同盟の制約になっているとして、日本に改憲のための努力を求めた。

アメリカは世界の警察官=保安官を自認し、日本に現場へ出て保安官助手を務めるよう要求している。保安官に同行して、すんなりと現場出動できるように第9条を何とかしろよと求めている。このところ高まっている改憲論には、「戦後レジーム」の特徴の1つである対米追従のにおいも漂っている。

(2006.9.6 花崎泰雄)



憲法の変え方A

自民党総裁選出馬にあたっての安倍晋三氏のキャッチフレーズ「美しい国、日本」と比べると、麻生太郎氏のキャッチフレーズ「豊かさと安心を実感できる国」の方が、毒気は少ない。その麻生氏も現行憲法については「日本人が作った日本人の憲法が必要だ」と主張している。

このコラムの筆者は、現行の日本国憲法は全体としてよくできた憲法だと考えている。敗戦直後の日本人に憲法制定作業を任ねていたら、これだけ優れた憲法はできなかった(国会図書館の資料『日本国憲法の誕生』参照)。

現行憲法に瑕疵があるとすれば、それは、条文ではなく、憲法の構成にある。日本国憲法は、前文で主権在民、戦争放棄などの基本的考え方をうたっている。それに続いて第1章「天皇」が置かれている。日本と同じ立憲君主国オランダの憲法は、第1章を「基本権」にさき、国王については第2章「政府」の中の第1節で述べている。同じ立憲君主国のスペインでも、憲法の第1章は「基本権」であり、国王については第2章で規定されている。これらの西欧の立憲君主国の憲法は、君主に関わる事柄よりも国民の基本権についての記述を優先している。アジアの代表的な立憲君主国タイ国の憲法は、第1章で国王は元首であるが、主権は国民にある、などの国の基本原則をのべ、続く第2章で「国王」、第3章で「国民の権利と義務」に触れている。

日本国憲法の構成は、西欧の立憲君主国の手法より、アジアの立憲君主国のそれに近い。さらに、日本国憲法の構成は、大日本帝国憲法の構成に酷似している。大日本帝国憲法は第1章「天皇」、第2章「臣民権利義務」だった。

「日本人が作った日本人の憲法」という自主憲法制定の主張には情緒面で訴求力がある。したがって、危うさもある。「第2次大戦後に独立した国々の多くが、当初は、旧宗主国にならった憲法を制定したが、やがて、多かれ少なかれ一党的・独裁的な体制に移行した。それは自由主義と議会制を支えるに足るだけの経済が発展・成熟していなかったということによって説明されるが、同時に、個人を基盤とする社会観と異なる文化的風土によるものであった」(平凡社世界大百科事典「憲法」)。筆者はインドネシアを中心に東南アジア地域の政治風土をここ10数年観察しているが、1950年代のインドネシアの立憲民主主義の崩壊など、この説明がうまくあてはまると感じる。

自民党は自前の憲法制定作業を進めている。その議論の内容をちょっとだけ、ここでのぞいてみよう。憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム第9回会合(2004年3月11日)の危うい議論を自民党ホームページから拾い出してみると

●いまの日本国憲法を見ておりますと、あまりにも個人が優先しすぎで、公というものがないがしろになってきている。個人優先、家族を無視する、そして地域社会とか国家というものを考えないような日本人になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない(衆議院議員・森岡正宏)。

●現行憲法は、日本人の魂を否定するための憲法であったわけで、憲法を読んでいて1番感じることは、生きた憲法でない、無味乾燥、バーチャル憲法だと(衆議院議員・西川京子)。

●わが国の場合、最も大切なことは、記紀の時代から律令の時代、武家政治の時代、そして明治時代、マッカーサーの占領下においても、皇室が精神的な支柱になり、国民のシンボルとしてずっと国を支えてきたから、この国がある。そういう意味では皇室に関する規定が常に第1条であるべきだ。現行憲法第第1章以上にもっとしっかりと皇室の大切さを書いて、最後に憲法尊重義務をきちんと規定しておけば、絶対に将来ともほかの問題で我々が説得に困るということはないと思う(衆議院議員・大前繁雄)。

●この日本国憲法は、アメリカによって徹底的に神道を排除するという理屈でつくられた憲法。日本では情操教育の段階でいろいろ神道というものを使って情操教育がされていたにもかかわらず、それが取り払われたので、個人の自由とか個人の権利ばかりが主張されて、責任、義務がうまく整理できなくなってきている。それを呼び戻すには、神道を戻すのか、あるいはそれにふさわしいような日本固有の宗教みたいなものをもう1度考え直す必要があるのではないか(衆議院議員・奥野信亮)。

●戦後、日本民族弱体化政策、バラバラにして、2度と一致結束して立ち上がることがないようなことを主眼に置いた憲法の影響結果がいま表れているのではないか(衆議院議員・佐藤錬衆)。

この議事録には「欧米の社会は基本的に自立した個というのがはじめにあって、それが集合体で社会ができ、国ができ、あるいは契約も含めてそういうふうに成り立っている。それに比べて日本は、はじめにぼんやりと国があり、社会があり、そのなかで点線で囲まれた個人があるような気がする」(衆議院議員・鈴木淳司)という、なかなかうがった日本人論も開陳されていた。もしそうだとすれば、「個人を基盤とする社会観と異なる文化的風土による憲法変更」は意外に容易な作業になるかもしれない。

(2006.9.7 花崎)



ギュンター・グラスもびっくり 日本の戦後レジーム

「現代ドイツ文学の最高峰」と絶賛する人が多かった『ブリキの太鼓』の作者ギュンター・グラス氏が「ナチスの武装親衛隊に所属していた」と告白して、大きなニュースになったのは8月のことだ。グラス氏に対して、自主的にノーベル文学賞を返還するよう求める声が、ドイツで高まっているそうだ。一方、告白と同時に売り出した同氏の自伝の売れ行きは上々という。

元国連事務総長でオーストリア大統領だったクルト・ワルトハイム氏もナチスに関わっていた。ヒトラー・ユーゲントを経てナチス突撃隊員になった。しかし、この経歴にもかかわらず、1986年には大統領選挙で当選した。しかし、大統領であるにも関わらず、多くの国からペルソナ・ノン・グラータ扱いされた。ナチスに関係した人物の入国を拒否しているアメリカ合衆国は、ワルトハイム・オーストリア大統領を要注意人物のリストに加えた。

一方、東条内閣で商工大臣を務め、敗戦後A級戦犯容疑で逮捕された岸信介氏――安倍晋三氏が敬愛する母方の祖父――は、のちに日本国首相に返り咲き、米国訪問の際は上下両院で演説する栄誉を受けた。

アジアにおける冷戦の本格化を受けて、米国は日本を共産主義に対する防波堤にするため、戦犯として巣鴨プリズンにいた、使えそうな人物を不起訴として釈放した。アメリカは途上国でこのような手を良く使う(たとえば南ベトナム)。ハリウッド映画風にいうと「くそったれだが、おれたちのくそったれだ」というわけだ。岸信介氏は冷戦のおかげで巣鴨プリズンから解放されたA級戦犯容疑者の1人だった。1948年のことである。

岸氏は1953年に衆議院議員に当選し、自由党と民主党の保守合同に一役かって、1955年には自由民主党の初代幹事長に就任した。この年、分裂していた社会党が合同した。戦後政治史を象徴する55年体制の始まりである。1960年には新しい日米安全保障条約強行採決し、反米・反安保・反岸の闘争に見舞われた。安保闘争に対して自衛隊の治安出動を計画したが、赤城宗徳防衛庁長官に拒否された。日米安保条約が自然成立した後、首相をやめた。

ところで共同通信が伝えたところでは、「米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。 同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。同省の担当者は『日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて』と共同通信に言明した」(共同通信2006年8月19日)。さらに共同通信の記事は「またCIAは59年以降『左派穏健勢力』を社会党から分断し、『より親米で責任ある野党』の出現を目指した『別の秘密計画』を展開。民主社会党(後の民社党)が誕生する60年には、計7万5000ドルの資金援助を行い、秘密工作が打ち切られる64年まで同額程度の支援が続けられた」と続く。

日本の「戦後レジーム」を作り上げた政党が米CIAから資金提供を受けていたという話は、すでにニューヨーク・タイムズ(1994年10月9日)が書き、1995年にはアリゾナ大学のMichael Schaller教授(歴史学)が論文 “America's Favorite War Criminal: Kishi Nobusuke and the Transformation of U.S.-Japan Relations”でふれていた。

Schaller 教授は

● Evidence in a variety of open and still classified U.S. government documents strongly indicates that early in 1958, President Dwight D. Eisenhower, making what he and his aides earlier called a ‘big bet,’ authorized the CIA to provide secret campaign funds to Japanese Prime Minister Kishi Nobusuke--formerly an accused war criminal--and selected members of the Liberal Democratic Party.

● With the aim of both strengthening Kishi's grip on the LDP and stemming Socialist gains in the upcoming Diet election, the CIA utilized nominally "private" Americans to deliver money to Kishi's circle within the LDP. This allowed both donor and recipient to deny any official foreign involvement. Additional money reportedly went to so-called moderate elements within the JSP, with the aim of securing political intelligence, boosting their numbers, and encouraging ideological warfare within the party. While the exact amount of secret funding remains uncertain, sums as high as $10 million may have been spent annually between 1958 and 1960.

と、CIA資金が岸信介氏に渡ったと書いている。

以上、日本の「戦後レジーム」の暗部のほんの一面を紹介した。

(2006.9.7 花崎泰雄)



日本国際問題研究所の自己検閲

自称「日本を代表する国際問題シンクタンク」日本国際問題研究所がホームページで公開した論文 “How Japan Imagines China and Sees Itself” (英文、筆者は玉本偉・日本国際問題研究所英文編集長)を産経新聞がコラムで批判したところ、同研究所の佐藤行雄理事長が非を認め、ホームページの該当の個所commentaryを閲覧停止にした(2006年9月8日朝日新聞朝刊)

ホームページの該当部分が閲覧停止になっているので、論文の正確な内容は直接に把握できないが、朝日新聞の要約によると次のようである。「日中関係悪化の背景として『タカ派ナショナリズム』の高まりを指摘したうえで、小泉首相の靖国参拝を『靖国カルト』(崇拝)と表現し、『日本の政治的見解は海外で理解されない』などとしている」。ちなみに、commentaryの一部を復元し、さらに関連資料を加えて公開しているサイトもある(ただし、サイトの作成者は不明)。

国際問題研究所批判のコラムの筆者は、産経新聞のワシントン駐在記者・古森義久氏。その批判の内容は「元国連大使の外務官僚だった佐藤行雄氏を理事長とする日本国際問題研究所は日本政府の補助金で運営される公的機関である。その対外発信は日本の政府や与党、さらには国民多数派の公式見解とみなされがちである。この英文コメンタリーの論文は『筆者自身の見解』とされてはいるが、佐藤理事長は対外発信の意図を「日本自身や国際問題への日本の思考」を広く知らせることだと述べている……現在の日本の外交や安保の根本を否定するような極端な意見の持ち主に日本の対外発信を任せる理由はなんなのか。この一稿の結びを佐藤理事長への公開質問状としたい」というものだ。

現段階でこの事件についてよく理解できないのは、なぜ佐藤行雄理事長が産経新聞コラムの主張をやすやすと受け入れて、commentary を閲覧停止にするという自己検閲を決断したのかという点である。おそらく、この自己検閲のせいで、研究機関としての日本国際問題研究所の海外における信用は、ひどく傷つけられたはずだ。

確かに日本国際問題研究所はその収入約7億円のうち68パーセントを国庫に頼っている(2005年度予算ベース)。しかし、同研究所は自らを “ an academically independent institution”と規定し、そのような条件で外務省から財団法人としての許可を受けている。

さらに、commentaryはその創刊にあたって、 “The views expressed in JIIA Commentary are the authors’ own and should not be attributed to JIIA Commentary or The Japan Institute of International Affairs.” と断っている。

また、玉本氏は論文 “How Japan Imagines China and Sees Itself” の末尾に An earlier version of this essay appeared in the winter 2006 issue of the World Policy Journal. The views expressed in this piece are the author's responsibility and should not be attributed to JIIA Commentary or The Japan Institute of International Affairs.と書き添えている。

産経新聞コラムの古森氏の結論は、「現在の日本の外交や安保の根本を否定するような極端な意見の持ち主に日本の対外発信を任せる理由はなんなのか」、つまりなぜ玉本氏のような反政府的人物を英文編集長にしているのか、という点にある。この「むすび」でコラムの真意が見えてくる。

佐藤氏は外交官出身で、それなりにディベートの修羅場をくぐり、自身と外務省と日本の私益、省益、国益を守ってきたはずだ。そうした経験に裏打ちされた、それなりにスマートな処理の仕方はあったろう。まずは、@何の権限があって財団法人の人事に介入するような発言をなさるのか、と憤慨してみせるA無視するBお断りにあるように私見であり、研究所の見解ではない、と突っぱねるC反論お寄せください。大歓迎です。commentary を舞台にしてのディベートも興味深いですね、と笑顔で応対する――まで、さまざまなオプションがあったはずだ。

朝日新聞によると、佐藤理事長は「『靖国カルト』など不適切な言葉遣いがあった。内容ではなく表現の問題だ」と語ったという。

玉本氏は論文の中で、 “hawkish nationalists are seeking to revive the cult of Yasukuni” という表現を使っている。このコンテクストにおける cultはOxford English Dictionary によると、 “devotion or homage to a particular person or thing, now esp. as paid by a body of professed adherents or admirers.” である。研究社の英和辞典によると Shakespeareian cult (シェークスピア熱)などの用例がある。社会学辞典によると、cult of personality は個人崇拝で、cult of the dead は死者崇拝である。 “cult of Yasukuni” 「靖国崇拝」がなぜ不適切な言葉遣いなのか、筆者は理解できない。

佐藤理事長は「外部の識者による編集委員会を立ち上げ、論文精査の態勢を整えて掲載を再開したい」といっているそうだ。だが、第一にやらなければならないことは、外部の識者による、佐藤理事長が行った自己検閲の是非の判定である。

日本国際問題研究所は日本政府の補助金で運営される公的機関であるから、海外に向かって、日本政府や与党の外交姿勢を批判するような見解を公にすべきではないという、古森氏の論旨を受け入れたのはまずかった。この手の論調は「日本の国立大学はその収入の48パーセントを国庫からの運営費交付金に頼っている(2005年度決算ベース)。にも関わらず国立大学教員が学問の自由と称して、政府批判をやるのはけしからん」という方向に発展しかねない。

(2006.9.8 花崎)



教育基本法をなぜ変えたがるのか

自民党総裁(したがって日本国首相)の座まで最短距離にある安倍晋三氏は、9月3日、盛岡市で開かれた自民党東北ブロック大会で、総裁選後に召集される臨時国会では、継続審議となっている教育基本法改正案の成立に最優先課題として取り組む考えを明らかにした。改憲と現行教育基本法の変更が、彼にとっては「戦後レジーム」からの脱却の象徴なのである。

政府の教育基本法の変更については、さまざまな批判が出た。ここでは、2006年5月18日に東京弁護士会が出した吉岡桂輔会長声明の骨子を紹介するにとどめる。会長声明は「法案は、教育の理念を変容させ、国家が、教育の名のもとに、ひとりひとりの子どもや大人の内心に踏み込み、一定の価値観を強制し、教育の管理統制を推し進めることを可能にする」としている。特に、「10条を変更することにより、『教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われなければならない』という理念を消失させている。そして、法案16条、17条に、教育が『法律の定めるところにより行なわれるべきもの』とし、政府が「教育振興基本計画」を定めるものとしている。これは、旭川学テ最高裁大法廷判決が述べる、国による「教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準」の設定の範囲を超えて、国家が法律により教育に介入し、統制することができる根拠を設けるものとなっている。教育が国家により管理統制されることの危険は、戦前の軍国主義教育の苦い経験により明らかである」と反対した。

法案を審議した5月24日の衆院・教育基本法に関する特別委員会で、志位和夫委員(共産)が、「現行基本法の第10条には、『教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである』と明記しています。ところが、政府の改定案は、「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除しております。だれが考えても当たり前のこの文言をどうして削除されたんですか、お答えください」と質問した。

これに対して小坂憲次文部科学大臣は「これは、最高裁の判決に基づきまして、不当な支配に服することなくということが法律の規定に基づいて行われるものである場合には、これは国の権能の範囲内であるということが認められ、それを踏まえた上で削除をさせていただいたものでございます」と答弁した。

志位委員が「要するに、今の答弁は、法律さえ決めれば国が教育内容に介入できる、無制限に介入できるようにすることが十条を変える趣旨だという答弁だったと思います。その根拠として、今大臣は1976年の最高裁大法廷の学力テスト判決を引用されました。この判決では、憲法と教育の関係についてこのように述べております。『教育内容に対する国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される』こう述べているんですよ。ですから、国が、法律さえつくれば教育内容に無制限に介入できるかのような立場というのは、憲法が保障する教育の自由にも反するし、最高裁の判決にも背反するということを指摘しておきたいと思います」とたたみかけた。

東南アジアの某国で、ある時期、憲法が「結社、言論の自由等は法律によって定める」と規定していたことから、労働組合の結成禁止、新聞発行の許可制など、政府はやりたい放題に国民の基本的権利を抑圧した。

「国家とはつまるところ政府のことであり、国家の意思と社会の意思とは同じものではない」という意味のことを、ハロルド・ラスキが『政治学大綱』の中で言っている(いまではラスキを読む人は少なくなったが)。では、政府の意思を「社会の意思」に変えるさせるには、どうすればいいか。市民の賛同をえればよい。そうした賛同を得やすくするひとつの方法は、政府がそのイデオロギーを教育・メディアを通じて浸透させ、国民を誘導して、支配の正統性を確立することである。

さらに、フーコー風に言えば、法によって統治する権力から、規範を通して被統治者を自発的に政府に従わせる「黙示的権力」を浸透させるには、その訓練を義務教育の年頃の子ども時代に始めるのが最適だ。

筆者が子ども時代、教育委員は公選制だった。教育委員は1956年に任命制に変更された。埼玉県では、新しい歴史教科書を作る会元副会長の高橋史郎氏が知事によって教育委員に任命されている。さらには教育委員そのものを廃止しようとする動きもある。

以上のように、日本では教育環境の先祖帰りのような動きがある。一方、歴史教科書をめぐって日本と角つき合わせてきた中国の上海では、この秋の新学期からこれまでの中国の殻を破った新しい世界史の教科書が高校で使われることになったそうである。その歴史教科書は、戦争、王朝、共産主義革命の記述を控え、経済、技術、社会習慣、グローバル化の記述が多く盛り込まれているそうだ。社会主義については1つの章で簡単に述べただけである。毛沢東の名がでるのはたった1度だけ。教科書の編者の1人は、フェルナン・ブローデルのアイディアを取り入れてつくった、と語ったという。

(2006.9.9 花崎泰雄)



シニシズムのスパイラル生む劇場国家

9月10日の朝日新聞に次のような記事が掲載されていた。自民党総裁選の告示を受け、朝日新聞社が8-9日に全国世論調査(電話)を行った。54パーセントの人が次の首相には安倍氏がふさわしい、と回答したという。

回答者は一般市民で、その圧倒的多数が非自民党員だから、調査は人気調査に過ぎない。だが、出てきた数字は面白い。

安倍氏の政権公約について「内容を知っている」と答えた人は全回答者の11パーセントに過ぎなかった。次の首相には安倍氏が相応しいと回答した人では10パーセントにすぎなかった。安倍氏の人気の理由は「人柄やイメージ」が44パーセント。イメージ先行の人気だという。

2005年の衆議院選挙での自民党圧勝の背景にも似たような状況があった。選挙回顧の雑誌論文などでは、小泉構造改革の中身は知らないが、刺客やくのいちを揃えた小泉劇場は笑えるし、なんとなく小泉さんも構造改革もよろしいのではないでしょうか、という層が自民支持になだれこんだ、と解説していた。

テレビ(別名tube あるいは idiot box)は選挙報道を娯楽番組にしてしまい、自民党もそれを承知のうえで集票目的でテレビに協力した。総選挙がそのようなエンターテインメントであってはならない考える層は、メディアと政治家の双方にたいするシニシズムを深めた。政治とメディアの不倫の関係が進んでいるアメリカ合衆国では、政治家とメディアに対する有権者の冷笑的態度が目立つ。それをメディア学者が、ノイマンの「沈黙の螺旋」(spiral of silence)をもじって「シニシズムの螺旋」(spiral of cynicism)と命名した。

安倍氏の政治団体は政治資金収入を大幅に伸ばし、自民党の派閥は雪崩をうって安倍支持に回った。マスメディアはマスメディアで「大勢が明らかなのに、連日、津波のような自民党総裁選挙報道。マスコミ自身がマインドコントロールの自縄自縛に陥らないよう、重大な『戒め』が必要だ」(9月8日朝日新聞夕刊コラム・素粒子)という有様。

警視総監から参議院議員になった秦野章氏が1970年代の政治を「昭和元禄田舎芝居」と茶化したことがあった。クリフォード・ギアツの『ヌガラ―19世紀バリの劇場国家』は、「国家のためにパフォーマンスを行うのではない。王を興行主、僧侶を演出家、民衆を脇役や観客にしたパフォーマンスを行うために国家があった」と、面白い説を唱えていた。1980年代、日本でも話題になった本だ。それに似たことが21世紀の日本で始まろうとしているのだろうか。

(2006.9.11 花崎泰雄)



「一部軍国主義者」という階級史観!?

日本記者クラブが主催した9月11日の自民党総裁候補討論会で、谷垣禎一氏が、1972年の日中国交正常化の際、中国側が日本の戦争指導者と一般国民の責任を分けて考えることで賠償請求を放棄したとの歴史的経緯を指摘したことに対して、安倍晋三氏は「文書は残っていない。国交正常化は交わした文書がすべてだ。日本国民を二つの層に分けることは中国側の理解かもしれないが、日本側は皆が理解していることではない」応じた。また、安倍氏は「個々の歴史の事実などの分析は歴史家に任せるべきだ」と、歴史というものに対する自らの認識の仕方を披露した(9月12日毎日新聞朝刊)。また、「日本国民を二つの層に分けることは、階級史観風ではないか、という議論もある」という自らの史観を披瀝した(朝日新聞9月12日朝刊)。

階級史観、はてな!?

それはさておき、「日本国民を二つの層に分けることは中国側の理解かもしれないが、日本側は皆が理解していることではない」という安倍発言は、正確ではない。

確かに、中国は日中国交再開の条件作りとして、日本の一部軍国主義者と一般国民を分ける政治判断を日中国交回復の数年前におこなっていたようだ。「日中間には戦争の跡始末ができていないが,毛主席は日本の過去の侵略戦争は軍国主義者がやったことであり,これは過ぎ去った問題である。われわれは友好的に往来すべきであるといっている」(1970年4月19日、日中覚書貿易会談に関する周恩来発言メモから)。

そのような中国側の政治判断の意味を、少なくとも日本の政治家は了解しており、さらに日本の政治家は日本の一般国民も同じ気持ちであると中国に伝えてきたようである。

2005年11月、中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会の招待で公式訪中した角田義一参議院副議長らの一行は、中国側との会談で、「日中関係の基本は日中共同声明など三つの文書にすべて盛り込まれており、日本側も誠意をもって対応してきた。かつて周恩来総理は日中共同声明を発するに際し、先の戦争は日本の一部軍国主義者が起こしたものであり、中国人民は筆舌に尽くしがたい苦痛を被ったが、日本人民もまた犠牲者であるとの観点から、対日賠償放棄に関し十年の歳月をかけ中国国内の説得に当たられたことを、我々は忘れてはならない」「日中関係の基本理念は、日中共同声明、日中平和友好条約及び日中共同宣言の三つの文書に集約され、これらに尽きていること、我が国の歴代の総理大臣は、節目ごとに先の戦争に対する真摯な反省とおわびを表明してきたが、これは日本国民の気持ちでもあり……」と発言した(同議員団報告書)。

こうした歴史の積み重ねがあるにもかかわらず、「文書は残っていない。国交正常化は交わした文書がすべてだ」という安倍氏の発言は、いたずらに刺激的でありdiplomaticではない。ちと力みすぎ、無理があったようだ。

(2006.9.12 花崎泰雄)



新聞は人生後半のコンパニオン

9月11日の夕刊から朝日新聞の文字が大きくなった。正しくは、1行11字はこれまでと変わらないが、文字の左右の部分の肉付きが少しだけ太くなって、読みやすくなった(と朝日新聞はいう)。

筆者が若者のころ、新聞は1行が15字としたものだった。それがいまでは1行が11字になった。それだけ活字が大きくなったのである。新聞用紙のサイズは変わらないままだから、文字が大きくなった分だけ、当然のことながら、1ページに収容できる記事の文字数が減った。質はさておき、情報量は約3分の2にやせ細ったわけである。

記事量を削って文字を大きくするのは、窮余の策である。それだけの犠牲を払ってでも、新聞は年配者に配慮しなければならない。なぜなら、新聞閲読のために一番時間を割いてくれているのが60歳代の年配者だからである。

新聞の閲読時間は年齢と正比例して長くなる。日本新聞協会の2003年調査によると、平日の朝刊を読むために使った時間は、15-19歳26.2分、20歳代17.8分、30歳代21.5分、40歳代24.6分、50歳代30.3分、60歳代37.5分。各世代平均では26.2分であった。

アメリカ合衆国の調査でも、年配者ほど新聞閲読率が高いという調査が出ている(Scarborough Research)。2003年のアメリカ人の閲読率調査では、18-24歳40%、25-34歳41%、35-44歳50%、45-54歳59%、55-64歳64%、65歳以上71%。

そのアメリカでは、1920年代に1世帯あたり1.3紙の新聞を購読していたが、2001年には0.54紙まで落ち込んでいる(Philip Meyer, The Vanishing Newspaper, Columbia and London, University of Missouri Press, 2004)。米国ほど劇的ではないが、日本でも傾向は同じだ。1993年の日本では1世帯1.22紙を購読していたが、2005年には1.04まで落ちた(日本新聞協会調査)。いずれ1世帯1紙を割るだろう。

新聞離れの原因のひとつに上げられるテレビも、実は、若者の視聴時間が短くなっている。2005年のNHK国民生活時間調査によると、日本人は1日平均3時間39分テレビに接触している。これは60歳以上の男女の接触率が高く(70歳以上の男女では5時間)、平均値をおしあげる要因になっている。30歳未満の男性と10代の女性では、テレビ視聴時間は2時間30分である。

若者にはテレビや新聞などと付き合うよりも、もっと楽しい時間があるのだろう。

それに、新聞もテレビもつまらなくなった。つまらなくなった理由は、日本の社会から華やかな選択の対立軸が消えてしまったからだ。かつては「右と左」「保守と革新」「資本主義と社会主義」などのイデオロギーの対立軸があったが、ベトナム戦争終結ごろから冷戦の消滅にかけてそれらの対立軸が次々と消えてしまった。

今日では、対立軸が「郵政民営化に賛成か反対か」「増税か、福祉削減か」「右か、もっと右か」などという選択に変わってしまった。

「論ずる時代、異議申し立ての時代の衰退が歴史の所産であり、社会状況の反映」(上丸洋一「『論ずる』ことの再生を求めて」筑紫哲也、佐野眞一他編『ジャーナリズムの条件3 メディアの権力性』岩波書店、2005年)ということであれば、新聞の行き着く先は見えている。

“The basis of our governments being the opinion of the people, the very first object should be to keep that right; and were it left to me to decide whether we should have a government without newspapers or newspapers without a government, I should not hesitate a moment to prefer the latter. But I should mean that every man should receive those papers and be capable of reading them.” (Thomas Jefferson, 1787) は、もはや遠い昔話になった。

1972年6月12日正午過ぎ、当時の佐藤栄作首相(くすしくも、首相有力候補安倍晋三氏の大叔父にあたる)が首相記者会見室で「テレビカメラはどこだ。NHKはどこにいる……新聞記者の諸君とは話さない」と叫んだようなスペクタクルもなくなった。

合理的選択理論を政治学に持ち込んだアンソニー・ダウンズ教授が言うには、大衆民主主義の下では、自分の1票の意味が非常に軽く感じられるので、合理的な有権者は政治に関心を持たなくなる、そうである。

政治や政府への関心が薄くなればなるほど、新聞は必要なくなる。さあこの先、どうしたものだろう?

新聞産業は、遅まきながら、新聞のagenda setting 機能の拡充や、delayed reward news について考えてみますか。それとも、各家庭に新聞を売りこむさい、天眼鏡でもくばりますか(Oxford English Dictionary はいまではコンピューターで使える。以前は、縮刷版があった。辞書の箱を開けると、スポットライトつきの天眼鏡=magnifierが出てきた)。

(2006.9.14 Y.H.)



強制ボランティア労働

日本の国立大学の入学時期は現在4月だが、それを欧米の主流である9月に変える。3月の高校卒業後から9月の大学入学まで間に、入学予定者に「ボランティア活動をやってもらうことも考える必要がある」と奉仕活動の義務化を、安倍晋三氏が9月14日自民党本部で開かれた公開討論会で表明した(朝日新聞9月14日夕刊)。

森・元首相の私的諮問機関だった教育改革国民会議が2000年に提唱した「小・中学校では2週間、高校では1か月間、共同生活などによる奉仕活動を行う。将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討する」というアイディアの踏襲である。

学校での奉仕活動の義務化はすでに始まっている。一例をあげると、東京都は都立高校で奉仕の授業1単位をいくつかの研究校でテスト的に始めた。2007年度から全都立高校で必修科目にする。

「ボランティア」という言葉は英語volunteer のカタカナ表記で、強制や義務ではなく自発的に行為することである。したがって、安倍氏が言った「ボランティア活動」の義務化は論理的に矛盾している。volunteer という語はもともと「志願兵」という意味で、徴兵される兵と対比された。同時に、volunteerには通常の兵には支払われる代償なしで兵役に従事するという含意があった。17世紀ごろに使用例が多い(Oxford English Dictionary)。義務化されたvolunteershipはconscription (徴兵)と同じである。

日本国憲法はその18条で、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」と、国民に強制労働をさせることを禁じている。ベトナムでは、国民を徴用し1年のうち10日間、国家への労働奉仕を義務づける法律が、1999年に成立したそうである。日本の学校での奉仕活動の義務化が強制労働ではないという理由づけは、それが教育カリキュラムの一環という解釈である。

さて、国立大学入学予定者の奉仕活動の義務化に関わる安倍発言だが、奉仕活動を義務づけられる入学予定者は、4月から8月にかけて、実は、高校生でもなく大学生でもない。したがって、教育カリキュラムとしての奉仕活動を義務づける根拠はどこにもない。この時期の国立大学入学予定者は一般国民となんら変わらない。したがって、自由主義者・安倍氏の“ボランティア奉仕活動”の義務化の発想は、1999年の社会主義共和国ベトナムのそれと通底している。

ところで、日本におけるボランティア活動の現状だが、総務省統計局の2001年社会生活基本調査によると、2000年10月から2001年10月の1年間に何らかのボランティア活動を行った人は3263万人で、10歳以上の人口の約30パーセントだったそうだ。その5年前の1996年調査に比べて、443万人、3.6ポイントの上昇になった。さらに、10歳代前半から20歳代前半で大幅に上昇したという。

(2006.9.16 花崎泰雄)



やーめた

竹中平蔵氏が閣僚を辞めるついでに、国会議員も辞めると宣言した。竹中氏は2001年から小泉首相の下で閣僚を務めてきた。それ以前は大学の教員だった。

厚生労働省のデータによると、大学新卒就職者の3割以上が3年以内に離職している。竹中氏は2004年7月の参議院議員選挙で初当選したから、新人議員足かけ3年目の離職である。

竹中氏のホームページをのぞくと、議員辞職の挨拶が載っていた。閣僚辞職は小泉内閣総辞職によるのもので説明の要はないが、議員辞職について同氏は要旨次のように説明している。

「政治の世界における私の役割は小泉総理を支えることであった。小泉内閣の終焉をもって、政治の世界における私の役割は終わった」

政治家を志す人々は、普通、「大臣」という呼び名ほしさに国家議員になる。当選すると、自民党の派閥に入って“雑巾がけ”にはげみ、大臣のいすを狙う。竹中氏の場合は逆で、竹中氏は当初、閣僚であったが国家議員ではなかった。閣僚としての重みをつけるために国会議員になった。

幸か不幸か、竹中氏は参議院選挙で比例代表区に立候補し、「竹中平蔵」と記名された票を72万集めてトップ当選した。それだけの人気があった。

有権者には「小泉総理が退任されるこの時期に参議院議員の職を辞することについて、ご理解を頂ければと思います。今後は民間人の立場から、引き続き新政権及び日本のために貢献していきたいと考えております」とホームページで挨拶した。

しかし、竹中氏を支持した有権者は、ちょっと納得いかないだろう。民間人として新政権や日本のために貢献するというのであれば、国家議員でいたほうがもっと貢献できるはずだからだ。

察するところ、竹中氏の議員辞職の理由は、ポスト小泉の時代に、こんなところに議員として長居しても、もはや自分らしい仕事は望めず、自己実現もできない、という、新卒就職離職者と同じ心境なのだろう。

さて、72万人の“支持者(保護者)”がすんなり辞職を了解するのだろうか?

(2006.9.17 花崎泰雄)



ものは言いようで腹が立つ

9月19日の話題は、なんといってもハンガリーの首都ブダペストの首相退陣要求デモだ。ハンガリーでは、ジュルチャーニ・フェレンツ首相の社会党が2006年4月の総選挙で大勝し、連立を組んだ自由民主連盟と引き続き政権を担当している。

そのジュルチャーニ首相が、総選挙後の社会党の非公開の会議で、「朝昼晩とウソのつきぱなしだった」「諸君は政府が行った施策で誇るにたるものをあげることができるか、できまい……もし国民にわれわれが成し遂げた仕事の説明をしなければならない場合、なんと言えばいいのだ」「われわれはこの国を治めているのだ、そういう風に私は見せかけてきた。そのために私はほとんど死にそうだ」などと、卑猥な言葉も交えながらしゃべったテープがラジオで流された。(ジュルチャーニ首相の発言の抜粋はBBCの英訳で読むことができる

現地時間9月18日のブダペストのデモは整然としたものだったが、やがてデモ隊の一部が国営テレビにデモ隊の声明を放送するよう求めて、要求が入れられなかったことからテレビ局を襲撃、警官隊と衝突した。

荒れる欧州である。

この春にはフランスで、政府が若者の失業救済策として、企業が26歳未満の若者を雇用した場合には、試用期間の2年間に限り、一方的に解雇できることを認める新雇用促進策を進めようとしたところ、学生と労組が大規模抗議デモで対抗し、とうとう法案をつぶしてしまった。

日本では、就職超氷河期の時代でも、学生はおとなしく正規雇用をあきらめて、パートや派遣の仕事に回った。くわえて、昨今の日本は平和な高齢国家でもある。

2006年6月22日の2006年代16回経済財政諮問会議で、小泉純一郎首相が「歳出削減をどんどん切り詰めていけば(歳出削減をどんどん進めていけば、の意であろう)、やめてほしいという声が出てくる。増税をしてもいいから必要な施策をやってくれという状況になってくるまで、歳出を徹底的にカットしないといけない」と発言している。見せしめ、あるいは兵糧攻めとしての厳しい歳出削減をやればやるほど、将来、増税をすんなりと国民に呑ませやすくなる、と聞こえる。議事録に残すのもはばかられるような物言いだが、代議士3代目らしい、誰はばかることもない無神経ぶりだ。小泉氏は公約に掲げた国債30兆円枠を守ることができなかったとき「この程度の公約を守れなかったことは大したことではない」と国会答弁したことがある。

歳出削減は底辺の高齢者の暮らしを脅かしている。にもかかわらず、日本はいまのところ諸外国の政権担当者がうらやむほどの、統治しやすい国柄なのである。

(2006.9.19 花崎泰雄)



クーデター

軍隊は国家権力に挑戦する勢力をおさえこむためにつかわれる国家の暴力装置でもある。インドネシアではスハルト時代の軍隊がそうした役目を果たした。中国の人民解放軍が1989年、共産党政権を守るために、天安門広場で人民に対して発砲し、公式の発表だけでも数百人という死者を出したのもその例で、これなどは軍隊の用途の非常にわかりやすい例である。日本では1960年、日米安全保障条約に反対するデモ隊に、当時の岸信介首相(安倍晋三・自民党新総裁の母方の祖父)が、自衛隊をさし向けようとしたが、当時の防衛庁長官がこれを拒否したため、治安出動が未遂に終わった例がある。

軍隊は武力を持った、厳しい階級制度と高度な作業効率を維持している組織である。場合によっては、軍隊が独自の政治信条を持ち、政府の意に反して独自の行動をとることがある。戦前の日本の関東軍がその一例である。ミャンマー(ビルマ)では、軍が総選挙で大勝した政党を押しのけて、権力の中枢にいすわり続けている。

軍隊というのは市民にとってなかなか油断のできない存在である。軍隊を文民統制するには、文民の側に不断の注意と相当な力量が必要になるということを、きっちり覚えておく必要がある。

9月19日夜から20日未明にかけて、タイで15年ぶりのクーデターが起きた。1932年の立憲革命以来、18回目のクーデターである。タイのクーデターはたいていの場合、無血クーデターである。1932年の革命以降、タイでは軍政が主流となり、したがって、陸軍司令官が首相になり、その首相に代わって次の陸軍司令官が首相になるためには、クーデターを必要とした。クーデターの成否を決めるのは国王の判定で、国王が難色を示したためクーデターになりそこなった例もある。したがって、今回のクーデターを指揮したソンティ陸軍司令官も国王に会いに行った。

タイでは1980年代に国王の信用厚かった元軍人のプレム首相が民政への道を固めた。1991年のクーデタータイは再び軍政に戻った。政権を握ったスチンダ首相に対して、バンコク知事だったこれも元軍人のチャムロン氏が市民の支援を受けて1992年、王宮前で軍と対決、結果としてスチンダ首相の退陣につながった。

それ以降、タイは以前よりも民主的な憲法を定め、都市中間層が民主化を支えるだけの実力をつけたので、兵舎に押し戻した軍隊が2度と政治の前面に出ることはあるまい、という見通しを語る人が多くなった。

タクシン氏の金権体質、デリカシーに欠ける政治手法、一族の脱税、選挙をめぐる混乱などで、バンコクなど都市住民の間でタクシン氏に対する反感が強まり、辞職要求の大衆行動などが行われていた。おそらく軍はそうした市民の反タクシン感情に乗じて、クーデターに踏み切ったのだろう。

さて、タイの民主化を支えてきたといわれる都市中間層が、15年ぶりの今回の軍クーデターに対して、これからどのような反応を示すことになるのか。それによって、民主化の担い手と目されたタイの都市中間層の本質を知ることができる。

(2006.9.20 花崎泰雄)



続・クーデター

プミポン国王、プレム枢密院議長、プレム派の軍首脳、民主党などの野党、首都バンコクの企業人、一部マスメディア、知識人、中間層、労働組合、NGO活動家、チャムロン・元バンコク知事が率いる人民民主同盟(PAD)が、クーデターで失脚したタクシン元首相と政争のはてに、15年前に禁じ手となってタイ歴史宝物殿におさめられたはずの伝家の宝刀・陸軍クーデターを呼び戻した――今回のタイのクーデターは、今のところ、そのように見える。

プミポン国王はクーデターの首謀者ソンティ陸軍司令官が民主改革評議会を率い、暫定首相を選ぶことを認めた。

プレム枢密院議長はタクシン元首相と厳しい対立関係にあった。プレム氏は陸軍司令官から首相になった人で、軍内にプレム派の人脈を持つ。タクシン氏は軍内にタクシン派の人脈を作ろうと画策した。

一族の金儲けを理由にタクシン政権非難が拡大すると、タクシン首相は下院を解散し、2006年4月総選挙に踏み切った。この総選挙を野党3党がボイコットした。しかし、タクシン氏は、日本の政治家が好きな言葉どおり「粛々と」選挙を進めた。当然のことながら、タイ愛国党が圧勝、事実上、野党のいない議会になった。プミポン国王がこれに疑義を表明したので、憲法裁判所が総選挙無効の判断を示し、やり直し選挙が予定されていた。

首都バンコクの企業人、知識人、都市中間層が今回のクーデターにどのような態度をとっているか。彼らの意見を代弁するバンコクの英語新聞 Nation は9月20日付の社説で次のように書いた。「タクシンは地方大衆の間で絶大な人気があり、やり直し選挙をしても再び権力の座につくだろう……多くの人々にとって、反タクシンの軍クーデターは必要悪だったといえる」。調査データが不明なので、その正確さについては不明ながら、バンコクのある大学が9月20日に行った世論調査では、軍のクーデターを支持する人が84パーセントにのぼったという。

タクシン氏の私党といってもよいタイ愛国党は、全政党が参加した2005年の総選挙で、定数500の下院の議席中377議席を獲得した。タイ愛国党人気の理由は、地方へのばら撒き政治にある。ばら撒き政治というと聞こえが悪いが、開発の恩恵から取り残された地方から見ると、富の配分方式の変更による都市部と地方の格差是正のための経済政策ということになる。

タクシン氏の地方重視の強引な利権型政治手法は、都市中間層の不満を呼び起こし、タクシン批判を強めた。タクシン氏は都市からのこの批判に対して、より地方を固めることで対抗しようとした。こうしたことから、豊かな都市と貧しい地方の対立という政治的亀裂線がタイに生じた。そのことに懸念を抱いたのがプミポン国王とその側近のプレム枢密院議長であるといわれていた。国王がタクシン首相を2度も叱ったのはそうした背景があった、という話は、さまざまメディアで語られた。

今回のクーデターは国王、枢密院議長の胸の中を推し量って軍部が決行に踏み切ったという推測も十分な根拠がある。また、都市住民は、1992年にはクーデターの黒幕だったスチンダ氏に首相辞任を要求して立ち上がったチャムロン氏を支えた。しかし、今度はタクシン氏を権力の座から追い落とすためにクーデターを決行しても、タクシン氏の地方の底上げ策によって地方に対する優位が揺らぎ始めた都市中間層が本気で反クーデターへ動くことはなかろう、という読みも軍部にはあったろう。

(2006.9.21 花崎泰雄)



つまみぐい

「米紙、安倍氏に苦言 『過去を美化』歴史認識を懸念」という記事が、9月26日の朝日新聞夕刊に載っていた。読み比べて非常に面白かったので、朝日新聞の記事と、米紙―ワシントン・ポストの社説の、それぞれ全文を引用する。
               
@<ワシントン=小田村義之> 米ワシントン・ポスト紙は25日、日本の歴史認識の問題について「新しい首相は歴史に誠実でなければならない」と題する社説を掲載した。新首相となる自民党の安倍晋三総裁に対し、「現在の政策は、過去への率直な誠実さに裏打ちされていなければならないことを認識する必要がある」として、その歴史認識に苦言を呈した。
 社説は、小泉首相の靖国神社参拝が「中国など隣国の反日感情を無用に刺激した」と指摘。安倍氏について、東京裁判の正当性に疑問を呈している、戦後50年の村山首相談話(95年)を踏襲していない――ことを例に挙げ、「安倍氏は過去を美化することでは小泉首相を上回る」と懸念を示した。
 そのうえで「安倍氏は日本のプライドを主張することに政治的な利点を見いだしている」とも言及した。
 日本が南京大虐殺などの過去に誤りがないと公言すれば、近隣諸国との緊張が生じ、「地域の安全保障をむしばむだろう」としている。

A<Washington Post, Monday, September 25, 2006> In its long march from military catastrophe to heavyweight status, postwar Japan has oscillated between two kinds of error. Its left wing has been honest about the past but irresponsible about the present: It has shown remorse for atrocities committed by Japanese troops in East Asia in the 1930s and 1940s but has been reluctant to see Japan emerge from its pacifist shell and contribute to international security. Meanwhile, the right has made the opposite mistake: It has pushed for Japan to take more responsibility for defense but has glossed over Japan's war guilt. Since becoming prime minister in 2001, Junichiro Koizumi has tended to make the right-wing mistake. His newly chosen successor, Shinzo Abe, threatens to do the same -- but more dramatically.
 Mr. Koizumi came to power after a period in which demonstrators called for the removal of American troops from Japanese soil and the value of an alliance forged during the Cold War was widely questioned. He acted decisively to reinforce U.S.-Japanese ties, participating in the Bush administration's missile defense program, sending noncombat troops to Iraq despite Japan's pacifist constitution and taking a tougher line on North Korea than Japan had ventured previously. This pro-American instinct was Mr. Koizumi's good side. But the prime minister also insisted on visiting the Yasukuni shrine commemorating Japan's war dead, including its war criminals, and during his tenure some government-approved textbooks whitewashed Japan's war record. This unnecessarily inflamed anti-Japanese sentiment in China and other neighboring countries.
 Mr. Abe promises an extreme version of this formula. He seems likely to dilute Japan's pacifism further: As he correctly says, it is wrong that a Japanese warship cannot come to the aid of a U.S. one attacked by a third country. He will be tougher on North Korea, too, having built his public career on denouncing Pyongyang's dictator. But Mr. Abe has also gone further than Mr. Koizumi in glossing over the past. He has questioned the legitimacy of the Tokyo trials that condemned Japan's wartime leaders. He has not endorsed the apology that Japan's government issued on the 50th anniversary of its surrender.
 Mr. Abe sees political advantage in asserting Japan's pride. His grandfather was part of Japan's wartime leadership, so there may be a personal angle to his view of history. But he needs to recognize that forthright policies in the present must be underpinned by forthright honesty about the past. If Japan admits past errors, it will gain acceptance as the responsible democracy that it is, and its muscular foreign policy will be treated as legitimate. But if it professes to see nothing wrong in its own record -- including episodes such as the massacre of at least 100,000 Chinese in Nanjing -- its efforts to assert itself on security and diplomatic questions will raise tensions with neighbors, undermining regional security rather than contributing to it.

ワシントン・ポスト紙の社説を要約すると、次のようになる。

日本の左派は歴史認識において正直であるが、現在の安全保障問題に関して無責任である。日本の右派はその逆で、防衛には熱心だが、日本の戦争犯罪を美化した。A小泉氏の親米路線は評価できるが、靖国問題などで中国をはじめとする近隣諸国の反日感情に火をつけた。B安倍氏はさらにすすんで、日本の平和主義をより希薄化させようとしているようだ。米国の戦艦が第三国から攻撃を受けたさい、これに対して日本の戦艦が救援出動できないというのは間違っている、という安倍氏の発言は正しい。C日本が過去の誤りを認めれば、日本は責任ある民主主義国であるという事実が確認され、日本の力みなぎる外交(原文はmuscular foreign policy)が正当なものとみなされるようになるだろう。

朝日新聞には書かれていなかったが、ワシントン・ポスト紙は、日本が憲法の制約を取り払い日米安全保障条約を双務的なものにして、米軍に寄り添って軍事行動することを主張している。そのために、日本の力感あふれる外交姿勢が正当なものとして近隣諸国に受け入れられるよう、安倍新政権は過去の過ちを率直に認めてはどうか、という論調なのである。

この朝日新聞記事の筆者は、ワシントン・ポスト紙が「日本が南京大虐殺などの過去に誤りがないと公言すれば、近隣諸国との緊張が生じ、『地域の安全保障をむしばむだろう』としている」と書いた、と朝日新聞の記事に書いた。歴史認識そのものが地域の安全保障を蝕む、という理解である。しかし、ワシントン・ポスト紙社説が書いたのは、 “--- its efforts to assert itself on security and diplomatic questions will raise tensions with neighbors, undermining regional security rather than contributing to it.”ということである。つまり、自民党右派の復古趣味は、日本が平和主義の殻を脱ぎ捨て国際的な(このコラム筆者の推測では、おそらく米国一辺倒の)外交・安全保障政策を打ち出すさいの妨げになる、という論理である。

このようなアメリカ側の論理に満ちたワシントン・ポスト紙社説から、適当な部分だけを抜き出して、上記の朝日新聞記事を書いた記者の器用な筆先に感心(寒心)する。

日本の敗戦後、米国は日本憲法に非武装・不戦という理念のタガをはめた。アジアにおける冷戦の拡大などをきっかけに、なるほど、このタガは緩められてきたが、なお、日本の近隣諸国はこのタガに何らかの安全保障上の象徴的意味があると理解している。日本が米国の軍事力の傘の下にとどまり、自らの軍事力を東アジアの国際関係に反映しない、という理解を、戦後の東アジアは共有してきた。このタガを取り外し、「戦争は政治の終焉」から「戦争は政治の延長」へと、名実ともに日本が考え方を変えたことを近隣諸国に伝えるとき、その反応は、「靖国問題」があろうがなかろうが、きわめて厳しいものになろう。

(2006.9.27 花崎泰雄)



安倍内閣支持率調査

安倍内閣の発足を受けて新聞・通信社が内閣支持などについて世論調査を行い、それぞれ9月28日の朝刊で報じた。

それによると安倍内閣の支持率は高いほうから、日経新聞調査で71パーセント。同新聞
の調査記録によると、政権発足時の支持率としては2001年4月の小泉内閣の80パーセントに次いで歴代第2位だという。続いて、読売新聞調査の70.3パーセント。読売新聞調査の記録では、小泉内閣の87.1パーセント、細川内閣の71.9パーセントに次いで第3位。共同通信調査によると、安倍内閣の支持率は65.0パーセントだった。朝日新聞調査だと、安倍内閣支持率は63パーセントで、同紙の記録では戦後第3位の高支持率だという。


発足時の内閣支持率調査は、内閣期待度調査であり、閣僚、特に内閣総理大臣に対する好感度調査であるから、いわゆるご祝儀相場となる傾向が強い。通常、具体的な政策に手をつけるに従って、あるいは失点がなくても、時の経過によって支持率は落ちてゆく。小泉氏は支持率低下がはじまるとドラマをつくり、支持率中だるみにテコを入れた。

さて、朝日新聞の世論調査の記事からは、いたるところで不協和音のようなものが聞こえてくる。安倍内閣の支持率は63パーセントだが、安倍内閣を支持すると回答した人に、支持の理由を聞いたところ、「政策の面から」が28パーセント、「なんとなく」が27パーセント、「首相が安倍さんだから」が24パーセントだったという。政界プリンスとしての安倍氏の血筋や拉致被害者問題での強い姿勢にひかれての支持が、支持する人々の理由の半数に達した。こうした理由での内閣支持は、もちろん、きっかけひとつで「なんとなく支持しない」「首相が安倍さんだから支持しない」に転んでゆく。

ところで、安倍政権で一番力を入れてほしい政策は、年金・福祉改革が43パーセント、景気・雇用対策17パーセント、財政再建15パーセント。安倍首相が一番力をこめている憲法改正は2パーセント、教育改革は11パーセントにとどまった。

継続審議の教育基本法改正案は、安倍首相が臨時国会の最優先課題にあげている。だが、改正については、「今の国会で成立を目指すべきだ」という回答が21パーセントだった。一方、「今の国会にこだわらず、議論を続けるべきだ」という回答が安倍内閣支持率より高い66パーセントに達した。中国や韓国とのギクシャクした外交関係の原因となった、いわゆる歴史認識に関して、安倍首相が自らの認識を示していないことを「評価する」と回答した人が24パーセントで、「評価しない」が過半数の52パーセントだった。安倍内閣のもとで景気は「よくなる」との見方は29パーセント、「そうは思わない」が48パーセントだった、という。

朝日新聞はまた、回答者に「強力な内閣だと思うか」と質問した。これに対して回答者の34パーセントが「頼りない」と答えたという。「強力な内閣だと思う」は23パーセントだった。頼りないと思うのはなぜか、強力だと思うのはなぜか、という質問を同調査では行っていないので理由は不明だ。なんとなくそういう風に見える、あるいはメディアがそのような調子で報道していたから、ということなのであろうか。

最後に、朝日新聞は来年夏の参議院選挙で自民、民主のどちらに勝ってほしいか、と聞いている。答えは、自民47パーセント、民主36パーセント。この調査で得られた政党支持率は自民党39パーセント、民主党14パーセントを考えると、参院選での民主党への期待が意外なほど高い。これは安倍・自公連立内閣への牽制であるともよめる。

以上の世論調査結果を前にして感じるのは、安倍内閣に対する回答者の個別問題での好感度・期待度は決して上々とはいいがたいことである。にもかかわらず、結論としての内閣支持率が非常に高い値をマークしているのが不思議である。回答者の思考の論理回路が乱れているからだろうか。あるいは、朝日新聞の調査では、質問の順序が、まず冒頭でいきなり内閣への支持を問い、それから徐々に各論に入る方式になっているからだろうか。もし、各論から入り、最後に締めくくりとして内閣への支持を聞く形にすると、すこし違う数字が出るかもしれない。

ただ、どちらの質問順が妥当であるのかの判断は、調査を行う側の「世論」観によって異なるだろう。

(2006.9.28 花崎泰雄)