1 熱気――夜の立法院周辺

20143月下旬、陽明山の花、新装なった士林夜市、故宮博物院の展示物を見ようと台北へ行ったのだが、最も見ごたえのある台北の熱いスポットは、夜の立法院(国会)周辺だった。

台湾の馬英九・国民党政権が中国との間で進めているサービス貿易協定に反対して、学生が318日、立法院に突入して議場を占拠、これを支援する人々が立法院を取り巻く周囲の道路に座り込みを始めた。



中山南路に面した立法院の正門前広場にはテント村ができていた。議場の中には学生がいて、建物の正門には、これ以上の人が議場に入らないようにと、警官が整列して警備している。その警官の前で、入れ代わり立ち代わり演説が行われていた。

よく見ると、演説をする人も、テントの中の聴衆も年配者が多い。ここは、サービス貿易協定に反対する野党・民主進歩党の党員・支持者、協定で影響を受ける業界団体の人々・市民に割り振られた占拠場所だった。



立法院の北側の道路・青島東路、南側の済南路一段は、学生を中心にした若い人々が路上に座り込んでいる。その若者たちに向かって演説をぶつひとがあちこちにいる。



座り込んだ若者たちが手にしているのはひまわりの花だ。ひまわりの花が学生の抗議運動の象徴になっている。どこか2011年の米国・ウォール街選挙運動(オキュパイ・ウォールストリート)を連想させる。

長期間にわたる学生・市民の座り込みを支えるために、医師たちが医療サービス所を現場に開設、抗議参加者のための飲料水、食料、資料などの補給所、そして移動トイレも設置されていた。



立法院正門前には「台湾独立」の幟が立ち並んでいた。占拠は単なるサービス貿易協定反対だけではなく、底流には大きな政治的変革への期待があるように見えた。



そういうわけで、56日の台北滞在は、朝一番の立法院見学、昼間の故宮博物院と陽明山、夜の夜市めぐりと立法院見学という次第になった。

東京に帰ってきたのは329日の夜だった。翌30日には台北で10万人のデモがあった。

抗議する側も警備する側も、その行動は抑制的で、台湾の民主化の定着がよく表れていた。



2 デモと警備

中国とのサービス貿易協定に反対して立法院の占拠を続けている学生たちの呼びかけに応えて、330日の総統府周辺デモには警察の推計で11万人、デモ主催者の発表で数十万人が参加したと、台湾や海外のメディアが伝えた。

参加者の多くが黒いシャツを着ていたという。サービス貿易協定の中身がきちんと議論されないままのブラックボックス(黒箱)状態である(日本で論議されているTPPと似たような状況)ことを非難するブラック・シャツである。

デモ参加者は「サービス貿易協定に反対し、台湾を救おう」と書いた黄色いリボンをつけ、「デモクラシーを守れ、協定を撤回しろ」と叫んだ。彼らは手に手にヒマワリの花を持っていた。Sunflower Student Movement(太陽花学連)と呼ばれる由縁の花である。

デモを企画した側の、いわゆる主催者側の発表では参加者数は50万人に達したということである。この大規模な貿易協定反対側のデモに対抗して、賛成派の国民党よりのデモも行われた。「立法院占拠は民主主義に反する」と叫んだが、参加者は数千人規模だったそうである。

この協定反対派のデモは、多くの市民が協定(あるいはその決め方)に反対しているということを馬英九・国民党政権に対して示した。



30日のデモの中心になった総統府周辺をその数日前に歩いてみた。総統府周辺には台北国軍英雄館、国軍倶楽部、国軍歴史文物館といった軍関係のビルがあって、軍関係者が鉄柵を設けて周辺道路を閉鎖していた。



「この道路を通って総統府の建物へ行きたいのですが」
「この道路は通れません」
「でも、さっきこの入口を出入りしている人を見ましたよ」
「あの人たちは、ここで仕事をしている人です。それに、総統府は現在、見学を中止しています。それでも総統府に行きたいのなら、あっちの方の道から迂回してください」

軍人さんと私、互いに慣れない英語でのやりとりだ。

総統府の正面まで来ると、重慶南路一段の広い道路は遮断されていた。

車は通行止めだが歩行者は入れる。総統府の周囲には20メートル間隔で、白シャツの人が(おそらく警官なのだろう)が警戒に立っていた。



その側で総統府の写真をとろうとしたら、その白シャツの人が言った。

「ここで写真を撮ってはだめです。写真は道路の向こう側から撮ってください」

白シャツはひろい重慶南路一段の向こう側の歩道を指差した。

「?……」

総統府のすぐそばの歩道は警察の厳重警備地域なので写真撮影はダメ。広い重慶南路を隔てたて凱達格蘭大道と接するあちらの歩道は厳重警戒地域外なのでOKということなのだろうか?



ともあれ、30日の大規模デモが事故もなく終わってよかった。

23日夜の学生・市民による行政院突入と警察による排除のさいの衝突で、学生・市民・警官ら100人以上がけがをし、学生ら数十人が逮捕された。

これまでのところ、けが人が出たのはこの行政院突入事件のさいだけである。





3 黒箱

台湾立法院の議場を占拠している学生たちの様子は、ニコニコ生放送Ustream
24時間流し続けている。

この2つのチャンネルが流している映像は、議場内に据え付けられた同一のカメラで写しているものである。台湾から帰って以来、朝一番にこの議場占拠実況中継をのぞくことにしている。



46日の日曜日、馬英九総統とそりの合わない王金平・立法院院長(議長)が占拠されている議場にあらわれ、「両岸(台中)協議監督条例」が立法化されるまでは、紛争の争点である両岸サービス貿易協定の審議を行わないと、学生たちに約束した。7日付の朝日新聞は「学生の要求の核心を満たすもので、議場撤退につながる可能性もあるが、与党国民党は反発している」と伝えた。「監督条例」は、学生たちの議会占拠・包囲による抵抗に譲歩して、馬英九・国民党政権が提案していた。



紛争の原因であるサービス貿易協定は、台湾が中国と2010年に締結した「経済協力枠組み協定(ECFA)」に基づいた、台中両国でサービス貿易の制限を解除してそれぞれの市場を開放、貿易の自由化を進めることを目的にしている。

この法案を十分な審議抜きで議会を通そうとした政権側の態度を「黒箱(ブラックボックス)」と非難して、318日学生たちが議会を占拠する対抗行動に出た。

324日に台湾政府外交部が出した「両岸サービス貿易協議に関する争議の要点」には、学生と馬政権の対立点が簡潔に示されている。

@学生らが要求している「両岸サービス貿易協議の撤回」と「立法院での両岸協議監督条例の通過」を対話の前提条件とすることは、受け入れられない。

A台湾は民主主義・法治国家である。「両岸サービス貿易協議」の争議は立法院の与野党会派の審議手続きに対する見解の違いが原因であることから、争議を解決する重要な鍵は、速やかに国会の運営を取り戻すことである。



B「両岸サービス貿易協議」はブラックボックスなどではない。「両岸サービス貿易協議」は20136月末に調印した後、これまで立法院は20回の公聴会を開き、経済部および行政院大陸委員会などの関連省庁は110回余りの説明会を開催し、関連省庁からも立法院に3回報告を行っている。

C「両岸サービス貿易協議」は両岸間の「不平等条約」などではない。「両岸サービス貿易協議」における中国大陸が台湾に開放する項目は80項目であり、台湾が中国大陸に開放する項目は64項目に過ぎず、なおかつその多くは以前より実質的に開放されていたものである。

D「両岸サービス貿易協議」は中国大陸からの労働者を解禁するものではなく、現行の中国大陸からの移民管理規制政策に変化はない。「両岸サービス貿易協議」は、国民に12,000もの就業機会を創出し、台湾の国内総生産および産業競争力を向上させ、台湾の自由化、国際化に寄与するものである。全体的に見て、マイナス面よりプラス面のほうが多い。



E「両岸サービス貿易協議」が通過・発効しない場合には、3つの大きな影響がある。1)台湾のサービス業が中国大陸市場に進出する機先を制することができなくなる。2)台湾が環太平洋パートナーシップ協定(TPP)や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの地域経済統合に参加するタイムスケジュールに遅れが出る。(3)「両岸経済協力枠組み協議」(ECFA)の枠組みの下で進めている「物品貿易協議」、「係争解決協議」などの交渉に影響が出て、台湾の対外貿易の発展が不利となる。

F「両岸サービス貿易協議」反対派が抗議する内容が事実と異なる点は次の通り。中国大陸資本が投資する事業の投資金額が20万米ドル以上であれば、2人まで経営管理者の来台を申請することができる。投資金額が50万米ドルずつ増加するごとに来台人数を1人増やすことができ、最大で7人までとする。投資金額が330万米ドルを超える場合は、投資家本人のみが台湾で責任者となることしか認められない。1人の投資で45人の来台申請ができるという事実はなく、完全なデマであり、社会をミスリードするものである。



学生たちを馬政権批判へと突き動かしているの、以上のようなわかりやすい争点だけではない。台湾経済はかつての勢いを失い、対中国関係で形勢が逆転している。中国はいまや経済・軍事の双方で深刻な影を台湾に落とすまでになっている。中国の巨大化と、東アジアにおける米国外交の弱体化、この二つの状況が進む中での台湾の不安感と焦燥感である。この不安感と焦燥感は日本及び日本人の多くが感じているものと同質だ。このことは次回以降に、また。



4 新国共合作批判

立法院本会議場を占拠している学生たちが4月7日夕に記者会見して、10日午後6時に議場から退去すると発表した。王金平・立法院院長の「両岸(台中)協議監督条例」が立法化されるまでは、紛争の争点である両岸サービス貿易協定の審議を行わないという約束側を評価した。学生たちは行動を共にした様々なグループと協議したうえで退去を決め、占拠運動のリーダーの1人、陳為廷氏が記者会見して語った。



Taipei Times (48日付)によると、記者会見で陳氏は次のように語った。

「憲法が約束する国民主権を、若い世代が現実の生活体験として体現することができた。これからは、両岸協定の監督条例の立法化、そののちのサービス貿易協定の審議の実現を進める。監督条例には市民の参加、人権擁護、透明性と政府のアカウンタビリティ、が盛り込まれること。このことはすでに議会に提案している」



「学生たちのサンフラワー運動は当初の要求を達成しただけではない。馬英九政権は2008年以降、権力を濫用し、恣意的な決定を行い、法の支配の原則を逸脱し、人権を抑圧し、民主主義を交代させてきた。こうした馬政権の誤りを学生と市民が阻止し、政権がすでに正当性を失っていることを証明した」



陳氏はまた次のような興味深い見解も表明した。

「今回の運動を通じて、現在の台中交渉が中国国民党(KMT)と中国共産党による、隠密裏のアンダー・ザ・テーブル方式で行われていることが暴露された。台中の政治エリートと企業資本だけが利益をかき集め、一方で、一般大衆の権利と利益は犠牲にされている」

若い世代には、国民党政権の中国接近が、新・国共合作のように見えるのである。

「この先、密室協議は許されない。いかなる政権であれ、台湾を売るような破廉恥な行動をとってはならない。ほかならぬわれわれ台湾人こそが、この島のあるじなのである。われわれの意思は明確だ。 台湾人は中国の風下には立たぬ」



李登輝・元総統は議会を占拠した学生を「台湾の希望の証」とほめていた。その理念に基づいて、身を以て公共政策に抗議する学生がいる国は、将来を託す人がいる国だということであろう。



5 クリミアの恐怖

立法院を占拠していた学生たちが予定通り410日、立法院から撤収した。馬英九・国民党政権の対中政策に対する鮮やかでみごとな抗議であった。立法院を取り巻いていた台湾独立や馬政権批判の幟やプラカードも姿を消した。



いま台湾で政権を担当している国民党は党の綱領に中国との統一を目標として掲げている。だが、それは長期的な目標であり、中・短期的には現状維持の政策をとっている。最大野党の民進党は、逆に、党綱領で台湾の独立を掲げているが、これも建前であって、現実的な路線としては現状維持を選択している。

台湾は中国の不可分の領土とする中国の「一つの中国」につけこまれる事態を回避しながら、現実的な両岸関係(現状維持路線)を貫いているのだ。

さきごろのクリミアのロシア編入が台湾の人々の将来展望に暗い影を落とした。対中政策で前のめりになった馬政権を批判的した学生たちの議会選挙が市民に好意的に受け止められたのも、こうした背景があったからだ。



かつては台湾の人々の間に「中国人」か「台湾人」か、というアイデンティティーの問題があった。

台北の本屋さんで買った『講英文、説台湾』(Talk about Taiwan In English)という本に、こんな例文が載っていた。

「台湾有四個主要族群」(Taiwan has four main ethinic groups.) 「他們是原住民、客家人、福建人、外省人」(They are aborigines, the Hakka, the Fujianese and the Mainlanders.)

先住民、客家人、福建人の子孫の台湾人を、内省人と呼ぶが、内省人が台湾の人口の85パーセントを占める。蒋介石率いる国民党軍が国共内戦に敗北して台湾に逃げ込んだのは1949年から1950年にかけてのことである。いまでは、国民党の党員の7割以上が内省人であると言われる。



台湾智庫(Taiwan Thinktank)という民進党系のシンクタンクが公表している “Taiwanese Attitudes towards Cross-Strait Relations: Findings from the Polls” (2013/8/20)に世論調査に基づく面白いデータが載っていた。

●台湾と中国は一つの国か? 二つの異なる国か?
    2つの異なる国      80%
   1つの国         12%

●あなたのアイデンティティーは?
    台湾人          78%
   中国人          7%

●台湾の領域は?
    現状に限定        82%
    中国本土を含む      10%

●選択する対中関係
    永久に現状維持      35%
    当面は現状維持      32%
    独立           21%
    統一           9%

●台湾に対する中国の影響に憂慮するか
    非常に憂慮する      39%
    多少は憂慮する      24%
    あまり憂慮しない    23%
    まったく憂慮しない    10%

●中国は信用できるか
    信用できる        23%
     信用できない       62%

台湾人は巨大する中国のすぐそばで生きている。台湾の将来が香港のようになるのはいやで、できればシンガポールのようになりたいと望んでいるようだ。だが当面は、中国に飲み込まれるような事態を避けつつ、将来の中国の変化を待つしかないこともよくわかっている。



学生たちの議会占拠は、外省人である馬英九総統の対中姿勢の先に、台湾に対する中国の影響力の強まりを感じたからだ。中国の影響力の強まりが、蒋介石―蒋経国―李登輝―陳水扁と移り来た時代の流れの中で、抵抗し、獲得し、築き上げてきた台湾の民主政治をやがてそこなうことにつながるのでないかという市民の危惧を呼び起こし、台湾民主主義の祭典のような大イベントになった。



6 請軽声細語



台北の故宮博物院は4年ぶりだった。館内はこれまでになく込み合い、騒然としていた。大型観光バスが中国からの観光客を次々に運び込み、1階の団体客専用入口は、旗を持ったガイドの指示で列をつくった団体で埋まっていた。

故宮博物院で最もポピュラーな「翠玉白菜」と「肉形石」の周りは人の渦だ。順番を待つ人の列が展示室の外にはみ出て、列は廊下を過ぎ、階段まで続いていた。上野動物園に初めてパンダがやって来たころ、国立西洋美術館にミロのヴィーナスがやって来たころにも似たにぎわいである。



団体の旅行客だから、ところかまわず元気よくお連れ同士が叫びあうような声高の会話をする。すると館内のあちこちに立っている博物館の職員が大声のグループに近づき、手に持った白いプラスチックの団扇のようなものをさっと差し出す。

団扇ようのものには「請軽声細声」と印刷されている。裏の面には撮影禁止の絵文字。これを差し出されるとさすがに大声はやむ。だが別のグループが別の場所でまた大声を出す。

故宮博物院には大改装以前から時々やってきているが、縁日のような故宮を見るのは今回が初めてである。



2013年には285万人の中国人が旅行で台湾にやって来ている。2010年から中国人が日本人を抜いて台湾を訪れる観光客のトップを占めている。

日本人の海外団体旅行は先ごろ引退したB747の就航のころから本格化した。西洋式の便器やバスタブの使い方、食事の仕方、公共の場での立ち居振る舞いなど、日本人の赤ゲットぶりが揶揄の対象になった。

いま、その役を引き受けているのが中国人だ。

エジプトのルクソール神殿で中国のこどもが落書きをしたのをきっかけに、世界のメディアが中国人旅行者の不作法ぶりを好んで報道するようになった。

台湾でも高雄空港のロビーで中国人が子どもに排便させた(床に新聞紙を敷いたそうだが)とか、台湾にやって来た中国人旅行者が飛行機の座席下の救命胴衣をはぎ取ってリュックに詰めて持ち帰ろうとしたとか、話題になった。救命胴衣の記事を紹介したインターネット情報は、中国の国家旅行局が発行したガイドブック『文明旅游出行指南』が、「飛行機の救命胴衣を持ち帰ってはいけない」(絶対不能帯走机上的救生衣)と警告していることを紹介している。ということは、珍しい事ではないのだろう。

一方で、中国人旅行者は買い物に連れまわされ散財、スリその他の犯罪者からも格好の標的にされ、ホテルによってはその食事の仕方などから、一般客と別の部屋で食事をさせられるなど、小金持だが二流の旅行者、二級市民の扱いを受けることも多い。

中国人の海外旅行者は2013年に9700万人に達し、10兆円以上のお金を消費した。旅行関連業界にとっては中国人旅行者は walking walletである。アジア・ヨーロッパへ来る観光客の75パーセントが中国人だ。

中国人旅行者で潤っている業界はさておき、台湾の一般の市民は急膨張した中国人旅行者をどう見ているのだろうか。台湾の中国との微妙な関係からすれば、中国人旅行者の急増が、やがて台湾が中国人に乗っ取られるのではなかろうかという台湾人の不安感を呼び起こすこともありうるだろう。

新聞報道などによれば、2020年には年間2億人の中国人が観光旅行で世界中に出かけると予想されている。そのころには、台湾にやって来る中国人は年間500万人を超えるだろう。台湾は人口2300万、日本の九州よりちょっと小さい程度の島なのだ。



7 士林夜市

ドイツを中心にしたヨーロッパのクリスマス・マーケットは冬の風物詩で、日本からも観光客がそれを目当てに出かける。





亜熱帯の台北では、夜市は通年開業で、なかでも士林夜市は台湾観光の目玉の一つになっている。数年前、改修工事が終わり、新しい施設に移った。夜市というと、小屋がけの商店・食べ物屋の集合体というイメージがあるが、新装なった士林夜市はエレベーター、エスカレーター完備である。



呼び物の「美食区」は新しいビルの地下に集まった。エアコン完備、冷気開放。シンガポールのフード・コートに似た雰囲気になった。もっとも、シンガポールのフード・コートの方が士林美食街よりもっと整然としている。別の言い方をすれば、士林美食区のほうが、シンガポールのフード・コートよりも野趣が強く、食欲という原初的欲求を満足させる場所として、力感に富んでいる。



ともあれ、講釈はこのくらいにして、以下、士林夜市美食区の食べ物のあれこれをご覧あれ。

 

 

 

 

 



8 蘆洲廟口夜市

たまたま台北で知り合った台湾人のカップルが、彼らが住んでいる新北市のアパートの近くにある夜市へ案内してくれた。男性は五つ星のホテル勤務で、女性は日本の大学を卒業している。彼らが住んでいるのは新北市。以前は台北県という名だったが、数年前に直轄市になり新北市と改名した。

のぞいてみた夜市は「蘆洲廟口夜市」。台北市の中心部からMRT10数分の三民高中という駅の近くにあった。



100年ほど続いている夜市だそうで、古いに囲まれた道路の両側に店が並んでいる。士林夜市ほどのこみようではないが、相当な賑わいだ。雑貨から玩具、食べ物、商うものは士林夜市とかわらない。違うのは人込みをぬってバイクが走っていることだ。



夜市のなかにお寺があった。寺の名は「湧蓮寺」。たまたまお寺建立の記念日だったので、境内に舞台がつくられ、中国歌劇をやっていた。

案内してくれたカップルは一緒に暮らしているが法的に結婚しているわけではないと言った。二人とも働いているが、給料はそれほどでもなく、子どもを生み育てる経済的な余裕はないということだった。



どこまでが本音かよくはわからないが、台湾の2013年の合計特殊出生率は1.07で、日本の1.41(2012)より低い。日本以上に、子どもを生み育てるという楽しみを満喫しにくい社会なのだろうか。



9 花の陽明山


何か花が咲いているだろう、とあてにして登った陽明山だったが、当て外れだった。3月下旬ともなれば、桜はすでに終わり、ツツジもシーズン末期だった。







バスで陽明山に登り、終点のバスセンターで降りた。近くであぶらをうっていたタクシーの運転手さんに、昼飯を食って温泉に入れるところがあると聞いて来たが、そこへ連れて行ってくれないか、と身振り手振りで頼んだ。



陽明山の麓の北投は有名な温泉地だ。陽明山の山中にも温泉が湧く。道端の小さな滝が滑り落ちる岩の上に、湯の花が固まっている。



連れて行ってくれたところが六窟温泉というところ。地元のお客さんばかりだ。従業員の1人が英語を解するので話はスムーズに進んだ。以前、ふもとの北投温泉で働いていたそうだ。



そういうわけで、テーブルに出て来たランチの鍋がこれ。

風呂は日本式の共同ゆぶね(男性だけ)と個室風呂がある。温泉は白濁系だ。ずいぶん昔、北投温泉の入り口にある共同温泉(日本の温泉街にある外湯のようなもの)へ入ったことがある。お湯につかると温度のせいか腕が痒くなった。掻いていると「掻いてはダメです。ばい菌がはいるから」と隣の人に日本語で注意された。

そのことを思い出して、共同ゆぶねに入るのは止めた。





温泉レストランで教えられたとおり、細い山道を登って有名な花時計がある公園に向かった。その途中、蒋介石と宋美齢が住んでいたことがある草山行館のそばを通った。現在では芸術作品などの展示場に使われているそうだ。パッと眺望がひらけて、台北の街がよく見える。



ここから花時計まで、あと少しの登りだ。

                                写真と文:花崎泰雄