1 跳躍

ここは日本の南の海辺。昼間は長袖のシャツだけでしのげる温かさだった。プールの底から急上昇し、水面を割って空中に躍り出たイルカの躍動感には春の雰囲気があった。

イルカが様々な芸を披露するイルカ・ショーのファンは多いが、動物保護の観点から、こうしたショーを取りやめる施設が現れている。

それはさておき、私がなにゆえ南の海辺にやってきて、イルカの芸をぼんやりと眺めているのかといえば、日本でCovid-19感染者が急減し、新型のオミクロン株が急拡散するまでに少々の間があるように思えたからだ。

そこで、2年ぶりに飛行機に乗って沖縄に行ってきた。テレビでよく紹介される沖縄の水族館を見に行った。館内の巨大水槽で泳ぐジンベイザメを見て、館外に出るとイルカ・ショーの案内板があった。

イルカのプールの向こうは東シナ海で、青い海に形のよい島が浮かんでいる。立派な背景の中で跳躍するイルカはなかなかに勇壮であった。



2 軽石漂流

朝起きてカーテンを開け、海を眺めると、白い波と赤潮のような茶色っぽい筋が浮かんでいるのが見えた。窓を開けてベランダから海を見つめると「赤潮っぽい」ものが浮かんでいる。



そうか、これが例の漂流軽石か。

もとはといえば、8月に東京の小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」が噴火し、吐き出された軽石が南硫黄島近くの福徳岡ノ場から西に向かって千キロ以上も漂流して、沖縄や奄美大島に海岸に漂着しているというニュースを新聞やテレビが伝えていた。

ホテルの人に尋ねると、この辺りは沖縄本島では指折りの風光明媚なビーチが多い所なので、観光や漁業などへの影響を心配した行政が、ボランティア募ってビーチの清掃を続けている、という話だった。

海底火山の噴煙は高さ16000メートに及んだと言われている。噴火で新しい島が生まれたそうだ。福徳岡ノ場辺りでは過去に何回も噴火が繰り返され、島が現れてはまもなく海中に没するという成り行きを繰り返してきた。

伊良湖岬の椰子の実は藤村の詩のおかげで、語り継がれる物語になったが、海底火山から流れ着いた大量の軽石群だといささか詩情に欠けるようである。



3 海兵隊飛行場

沖縄国際大学で教授をしている知人をキャンパスに尋ねた。

沖縄国際大学のキャンパスは宜野湾市の米軍普天間基地に隣接している。基地には普天間米海兵隊の飛行場があって、2004年の夏には海兵隊のヘリコプターが沖縄国際大学のキャンパスに墜落して、大学はもとより日本中が大きな衝撃を受けた。

大学の敷地は丘の上にあって、5階建ての法学部の建物の上階からから見ると、手の届きそうなところに米軍の滑走路があり、その周辺に悪名高いV-22オスプレイが並んで駐機していた。



普天間基地と嘉手納基地はよく知られた米軍基地である。普天間基地は基地の周りを市街地が取り囲み、大変危険な基地である。そこで名護市辺野古にある米軍のキャンプ・シュワブ近くの海を埋め立てて、飛行場を移転させる作業が続けられているが、沖縄からの報道でご存じのように、計画の進行ははかばかしくない。

嘉手納基地は1972年の沖縄返還前は米軍のアジア戦略の要だった。嘉手納からベトナム爆撃のB52が飛び立っていた。基地の弾薬庫には核弾頭が貯蔵されているといわれていた。1968年の事である。離陸に失敗したB52が弾薬庫の近くで爆発した。

1972年の沖縄返還にあたっては、「核抜き、本土並み」が焦点になった。「核抜き」については「持たず、造らず、持ち込まず」が3原則とされたが、佐藤栄作氏がノーベル平和賞を受賞したあとで、「持ち込み」についてはこれを容認する日米間の密約があったらしいことが、外交文書や当時の外交官の証言などで明らかになった。政府は、核の日本への持ち込みについては米国から事前に協議の申し入れがある事になっているが、これまで米国から協議の申し入れはなかった。したがって核が日本に持ち込まれたことはない。そういう理屈で密約を否定し続けた。

ドイツのショルツ政権は核兵器禁止条約締結国会議にオブザーバー参加することを表明している。一方で、NATOのメンバーであるドイツには米ソ冷戦時代の名残のような、アメリカ提供の核弾頭がいくつかドイツ内の米軍基地に貯蔵されている。

さて、沖縄に過重な負担を強いている米軍基地だが、中国が台湾に強硬姿勢を見せ、米国が中国への警戒心をあらわにしている現在は、沖縄にとってはつらい冬である。日本政府は核兵器禁止条約締結国会議にオブザーバー参加することには意味がないとの姿勢をとっている。



4 珊瑚礁



那覇に向かう飛行機からサンゴ礁に囲まれた島が見えた。何という名の島か、上空から見てわかるほどこのあたりの地理に詳しくはない。

なるほど、サンゴの海は美しい。このエメラルド・グリーンは、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館展示のエメラルドより鮮やかである。

だが、世界中のサンゴ礁でサンゴが死滅する白化現象が進んでいる。海水温の上昇が原因ともいわれているが、正確なところはまだよくわからない。

沖縄周辺でも白化現象が進行している。





5 第6の波 

いずれ来る――。だれもがそう思って暗い気持ちになっていたところへ、年越しまもなくの15日、沖縄でcovid-191日の感染者が600人を超えた。東京を軽く凌駕し、日本で最多の1日感染者数である。沖縄県の要請を受けて政府は「まん延防止等重点措置」を沖縄県に適用する方針だ。

昨年1215日のこと。沖縄県の発表によると、成田空港の検疫所で新型コロナウイルスの陽性が確認された沖縄駐留の米軍関係者が沖縄行きの飛行機に乗り、沖縄県内の米軍基地に戻っていた。いやな感じの漂うニュースだった。

その後まもなく沖縄本島にあるキャンプ・ハンセンでコロナのクラスターが発生した。日本の防疫当局はこれに対して対策のとりようがない。感染した兵士のPCR検査もできない。できるのは基地で働く日本人従業員だけである。



米兵をはじめ米軍関係者は米国から日本の米軍基地に直行する場合は、PCR検査を受けていなかった。基地の敷地内は米国とおなじで、したがって、基地にはパスポートを持っていない兵士が少なからずいる。ベトナム戦争に嫌気がさした日本の米軍基地の兵士を国外に逃避させる活動をベ平連などが行っていた1968年ごろ、活動家たちはパスポートを持たない米兵をどうやって外国に送り出すか苦労したそうである。

一方、米軍がNATOのメンバーとして駐留しているドイツやイタリアでは、米国との地位協定でNATO軍(米軍)基地にはドイツやイタリアの国内法が適用される。適用が除外されるのは外交施設である大使館など在外公館だけである。基地へ立ち入る権利がイタリア、ドイツ政府に認められている。(2018年日弁連調査)

こういう外交格差は沖縄の人びとのみならず、健全な常識を持った一般の日本の有権者をいらだたせる。



6 浜辺

沖縄に滞在したのは昨年12月のなかごろのこと。帰宅するとすぐ沖縄でコロナの感染が急拡大した。米国の海兵隊の兵士らが日本入国前に感染の検査をしていなかったことがわかった。その後、コロナは米軍岩国地区周辺の山口県や広島県でも広がった。そうこうするうちに、オミクロン株による感染拡大が日本中に広がり、感染者急増の棒グラフが人々をおびえさせた。とはいうものの、人は街にあふれ、テレビの街頭インタビューで通行人は「こわいですねえ」と紋切り型の感想を述べた。

感染急拡大前の沖縄はコロナ小康状態だった。観光客は少なかったが、本土から修学旅行でやってきた高校生が目についた。滞在していたリゾート・ホテルも修学旅行の生徒たちの宿になっていた。普通に泊まれば結構値の張るホテルなのだ。親御さんにとってはちょっとした負担だったろう。那覇空港も高校生の団体で込み合っていた。



それはさておき、天気の良い日はホテルの敷地を散歩した。整備された遊歩道があり、ビーチもあった。泳ぐ人はいなかったが、夏の風景がそのまま残っていた。

こうしたビーチを観光業者は「プライベート・ビーチ」と宣伝しているが、実は沖縄にはプライベート・ビーチは存在しない。沖縄県は1990年に「海浜を自由に使用するための条例」を定めている。@公共の福祉に反さない限りだれでも自由に海浜に立ち入り利用できるAビーチの関係者に入場料を請求する権利はない、ことなどを定めている。



7 青い海、白い船




2022年、年明けの名護市長選で現職の渡具知武豊氏が再選された。新聞は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設が大きな争点だ、と書いていた。

自民党はこの夏の参議院議員選挙での勝利に弾みがついたと喜んでいる。

米軍飛行場の辺野古移転に反対を唱えた新顔の岸本洋平の敗北で、移転反対を唱えている玉城デニー陣営には危機感が走った。

2022年の名護市長選挙は飛行場移転先の大浦湾の軟弱地盤が明らかになってから初めての選挙だった。

琉球新報。沖縄タイムス・共同通信の合同世論調査では、辺野古移設について「反対」「どちらかといえば反対」の合計が62.1%、「容認」「どちらかといえば容認」の合計33.2%だった。

敗れた岸本氏は「移転」に明確に反対した。渡具知氏は国と県の争いであるという態度を崩さず、自らの考えを明確に示さなかった。

今回の名護市長選挙では、新基地建設問題が票に直結しなかった。新型コロナウイルス対策、コロナ下の経済振興・医療・福祉・高齢者対策などに有権者は関心を示した。基地移転問題より、日常の暮らしに関心が集まったのだろうと、沖縄のジャーナリズムは見ている。再選された渡具知市長の下での4年間に、政府は地域振興費を名護市につぎ込み、市民はその恩恵に喜び、市長は移転についての見解を明らかにしないで、政府からの資金が絶えないようにした。そういう市長が堅実であると名護市の有権者は判断したのだろう。

写真と文: 花崎泰雄

                  
                  ――おわり――