1 冴え返るころ

女性がもっぱら写真に撮られる方から、撮る側にも回ったのはいつごろからだろうか。

いまでは、それなりにお年を召した女性が頑丈な三脚と、重そうなレンズをつけた大きな一眼レフを使って、写真スポットで撮影をする姿をよく見かける。

若い人はスマートフォンで写真を撮る。立春過ぎの秩父の氷柱の名所で、背筋を伸ばし、スマホではなく、コンパクト・デジタルカメラを高々と掲げて氷柱を撮影している、年配ではない女性の姿を見かけた。きりっとした良い姿勢だった。

そこで思い出したのが、ゲルダ・タローという名のスペイン内戦の報道写真家だった女性のこと。2013年に横浜美術館が開催したロバート・キャパとゲルダ・タローの写真展で彼女の作品を見たことがある。

2013年といえば、ちょうどこの年に、アンチ・ファシズムの象徴的な報道写真とされてきたローバート・キャパの出世作「崩れ落ちる兵士(Falling Soldier)は、前線での戦闘中の写真ではなく、演習場でのヤラセ写真だったという説が極めて有力になり、くわえて、その写真そのものが、実はキャパが撮影したものではなく、スペインでキャパと行動をともにし、恋人同士でもあったゲルダが1936年に撮影した作品だったという説がとなえられた。

ヤラセ写真説については、かねてからささやかれてきたが、2009年にバスク大学のホセ・マヌエル・ススペレギ教授が、撮影場所がコルドバ近郊の戦場ではなく、そこから50キロほど離れたエスペホという別の場所だったことを出版物の中で明らかにした。

これを受けてスペインの新聞が、撮影場所がエスペホであると報道、米紙ニューヨーク・タイムズも追いかけ記事を書いて話題を提供した。

2013年になって、沢木耕太郎が著書『キャパの十字架』(文芸春秋)とNHKの『沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚〜“戦場”写真 最大の謎に挑む〜』で、エスペホの演習地での撮影であることを確認、さらに撮影者がゲルダ・タローであったことを写真の分析から推理した。

『キャパの十字架』も面白い本だったし、NHKのドキュメンタリーも興味深く見た記憶がある。若干22歳の駆け出し報道写真家の青年が『崩れ落ちる兵士』によって、あっという間に世界的な報道写真家になってしまった。それ以来、キャパが背負わねばならなかった十字架とは何だったのか。「十字架」という言葉に沢木流の思い入れが込められている。時間が許せば『キャパの十字架』を読み、機会を見てNHKのドキュメンタリーをご覧になるとよい。

『崩れ落ちる兵士』が米紙ライフに掲載されたのが19767月、その直後にゲルダ・タローはスペインで取材中に死んでいる。



秩父の別の氷柱スポットではベテラン写真男子が防寒服に身をかためて撮影中だった。平和を写すカメラは何よりである。



2 ここに佐保姫

デジタルカメラのセンサーにゴミがしつこく貼り付いてしまった。秋葉原にあるカメラメーカーのサービスステーションでクリーニングをしてもらった。

その足をちょっとのばして、上野公園へ。

桜はまだだが、広場の噴水池の水ぬるむころ。



春の女神・佐保姫が現れて、噴水池のそばにぺたんと座り込み、水の面を見つめている。なにやら哲学している雰囲気である。



3 ディオゲネス風

アレクサンドロスが言った。

「余がアレクサンドロス大王である。何か望みのものがあれば申して見よ」

ディオゲネス答えて曰く。

「わしは犬のディオゲネスじゃ。あんたが立ちふさがっているので日蔭ができてしまった。そこをどいてもらえんかな」

この話はどこかで聞いた覚えはあるが、ディオゲネスの本など読んだこともない。山川偉也『哲学者ディオゲネス』(講談社学術文庫)によると、ディオゲネスの著作物は散逸し、この世から消え去っていて、彼が書いたものは何一つ残っていない。

後世の学者たちは、彼について書かれた様々な記録から、ディオゲネスの生涯と言行をかき集め、それを再構成してディオゲネスの思想を復元し紹介してきた。

ディオゲネスの思想の根底にあったものは、世界市民の思想の原型だ。「おまえはどこの国の者だ」と問われ、「世界市民だ」とディオゲネスが答えたという逸話が残っている。世界市民の思想はディオゲネスの弟子クラテスを経てゼノンに伝えられた。ゼノンの思想はマルクス・アウレリウスの思想の骨格となり、ルネッサンスを経てやがてルソーやカントの世界民主主義思想へと発展した。『哲学者ディオゲネス』にはそう書かれている。



上野公園の噴水池の縁で哲学するかわいらしい佐保姫のすぐそばに、頭陀袋ようのものを被って日向ぼっこするうしろ姿があった。なんとなくディオゲネスの名が浮かんできた。

真昼間ランタンに灯をともし町中をうろついているディオゲネスをいぶかって「何をしている」と人がたずねたところ「人間を探している」と彼が答えたという逸話が残っている。

神戸製鋼をはじめとする企業の検査データの改ざん、財務省の国会提出の行政記録の改ざん疑惑、安倍首相と首相夫人の森友・加計疑惑、国会審議でニタニタ笑っているだけの麻生財務大臣……。みんなして昼行燈提げて必死で人探しをしなければならないのが日本の現状である。



4 弓ひきしぼる

エミール=アントワーヌ・ブールデルの『弓をひくヘラクレス』。上野の国立西洋美術館の前庭に飾られているブロンズ像だ。全身これ筋肉の塊のようなヘラクレスが矢を放とうとする瞬間。矢の飛んで行きそうな方向を眺めると、なんだか永田町がありそうな方向だ。



今ではスポーツ用品のブランド名で知られている「ナイキ」は、ギリシャ神話の「ニケ」のことで勝利の女神。ニケとヘラクレスを足した「ナイキ・ハーキュリーズ」の名は、年配の方はご存じだろう。米国製の地対空ミサイルの名前だった。

米ソ冷戦の真っただ中、自衛隊が北海道・長沼町に日本の三菱重工がライセンス生産したナイキ・ミサイルの基地を建設しようとしたことで、反対派の住民が訴訟を起こした。いわゆる1969年の長沼ナイキ訴訟。

一審の札幌地方裁判所の福島裁判長が1973年に自衛隊は憲法9条に違反するとして、原告の住民の主張を認める判断をした。そののち、札幌高裁が憲法9条と自衛隊の問題は政治判断にゆだねられるべきであるとする統治行為論に逃げ込んだ。最高裁も高裁判決を支持した。

裁判が始まったのは米ソ冷戦、ベトナム戦争、沖縄返還をめぐって、市民運動が盛り上がっていた時期。一審の福島判決に歓声があがったが、違憲判決を出した福島判事は間もなく、判事としてのキャリアでいわゆる冷や飯を食わされ続けるはめになった。

返還前の沖縄米軍基地で、1959年に核搭載のナイキ・ハーキュリーズが誤発射される事故が起きていたというドキュメンタリーをNHKが昨年放送した。

誤発射は米軍那覇基地で起きた。核ミサイルは飛んで行き那覇の海に落ちたそうだ。

日本国政府は今、離島防衛に必要であるとして、長距離巡航ミサイルの導入を進めようとしている。射程距離が長いので敵基地攻撃能力がある。憲法9条は自衛権を否定していないし、自衛隊の装備は専守防衛の範囲内であるという従来の主張と、敵基地攻撃能力を持つ巡航ミサイルの導入の整合性を、さて、どのように説明すればよろしいか。こういう弁明はお役人の特技で、目下、良い知恵をききだしているところだろう。



5 滑って行くか

よちよち歩きで、ともすれば突然バタリと倒れていたような幼児が、数年もたつと遊歩道をローラースケートですいすいと走っている。子どもの運動能力には脱帽だ。ひところ流行った一輪車も、子どもはあっという間に乗りこなした。



筆者の場合、ウィンタースポーツはからっきしダメで(といって他シーズンのスポーツができるわけでもなく)、初めてアイススケートのシューズを履いて氷の上に立ったとき、すぐさま尻餅をついた。以来、アイススケートはやっていない。

立派なスキーの板を抱えて小さな市民スキー場へいったら、小学生くらいの子どもが手製のような素朴な板で直滑降をこなしていた。それを見て、気後れしてしまった。スキーを履くのをやめて、滑らないまま山を下りた。

あるとき、カメラマンと3人でプロスキーヤーの取材に行った。カメラマン2人はかついでいたスキーを履いてゲレンデを下った。筆者は彼らの後を追って、ゲレンデの脇の雪にまみれながら歩いて下山した。

昨年夏、オスロ-に行った。市電に乗ってホルメンコーレンのジャンプ台を見に行った。ジャンプ台の周辺の坂道を車輪のついたスキーをはいて選手たちがロード・トレーニングに励んでいた。選手ともなればオリンピックに行きたいだろうし、オリンピックに出るには、夏には「ローラースキー」をはいてアスファルトの上を走らねばならない。



練習の成果あって、先のピョンチャン・オリンピックでは、ノルウェー選手団は金14、銀14、同1139個のメダルを獲得、国別で1位になった。ごくろうさん。



6 走ってきたか

昔は、といってもずいぶん前の昔であるが、人は用あって走った。

紀元前490年、とある人がマラトンの戦場からアテネまでを走り続けたのは、マラトンでの戦いで、ギリシャ軍がペルシャ軍に勝ったことをアテネ市民に報告するためだった。この勝利の速報を伝えるために走った人、今でいえば伝令は報告を済ませたのち、過労で死んだといわれている。

人間が走って情報を伝える方法は昔からあった。今では裁判所の内部から人が走り出て、門前で待機している支持者に「全面勝訴」だとか、「不当判決」といった速報パネルを示す風景にその名残をとどめている。裁判がテレビやインターネットで中継できるようになれば、判決を走って伝える姿もなくなるだろう。

日本の飛脚は走ったり、馬に乗ったりして情報を運んだ。江戸時代になると、江戸、京都、大阪を中心に全国に飛脚問屋のネットワークが形成されて物流を担い、情報を運んだ。飛脚問屋の大手「京屋弥兵衛」は東海道に79、中山道に76、奥州街道に85の取次店をもっていた(巻島隆『江戸の飛脚――人と馬による情報通信史』(教育評論社、2015年)。飛脚は馬を走らせ、あるいは自分の足で、定められた区間を走り、次の走者に荷物を渡した。「京屋」は飛脚の代名詞のような存在だったらしく、

  急便りのぼる京やの飛脚にも走り出してたのむ封状

という江戸狂歌が残っている。プロのランナーの走り飛脚をおーい待ってくれと追いかけて、これも頼むと封書を差し出している光景だ。

飛脚による物流にヒントを得てスポーツになったのが、駅伝競走だ。上野の不忍池の遊歩道に駅伝発祥の碑がある。日本最初の駅伝は京都―東京間だった。



南米ペルーのかつてのインカ帝国も物流と情報の伝達のために、険しいアンデス山中に現在インカ・トレイルとよばれている道を切り開いた。その山道を人が走って情報と物の流通を担った。日本の飛脚は馬を使ったが、インカ帝国にはスペイン人が馬を連れて攻め込むまで、馬がいなかった。人間の足だけが頼りだった。

政治家は権力者としてのイメージ確保のために走る。歴代米国大統領はジョギングが好きだ。ブッシュ(子)元大統領はジョギング中に体調不良をひきおこして病院に運ばれたことがった。クリントン元大統領は来日の際もシークレット・サービスに囲まれて公道をジョギングした。早朝からジョギングにつきあわされたシークレット・サービスは大変だったことだろう。トランプ大統領がジョギングをしたというニュースはまだ聞いていない。彼の朝はツイートで忙しい。

紀元前の話になるが、エジプトのラムセス2世は祭礼ごとに、自分がファラオにふさわしいことを証明するために民衆の前で走ってみせた。ラムセス2世は90歳を過ぎてもなお走って民衆に偉大な力を示さねばならなかった(トル・ゴタス『なぜひとは走るのか』(筑摩書房、2011年)。

人はそれぞれの必要に迫られて走るのである。



7 賢人の風

椿の花に囲まれ、頭上に桜花をいただき、賢人思索の体。いい雰囲気である。

紀元前6世紀ごろのギリシアに7賢人とよばれた人々がいた。タレス、ソロン、キロン、ピッタコス、ビアス、ペリアンドロス、クレオブロス。

ギリシアに伝わる昔話によると、漁夫がエーゲの海底から黄金の鼎を引き揚げた。デルフォイにお伺いをたてると、「最高の賢人に捧げよ」との神託があった。

そこで黄金の鼎は最初にタレスに渡された。タレスは、これはあなたにこそふさわしいと、鼎を恭しくビアスに渡した。こういうふうにして、鼎は7賢人の手を一巡したのち最後にデルフォイのアポロン神に奉納された、という。

そう遠くない昔、日本に竹下派7奉行とよばれた人々がいた。小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎、羽田孜、渡部恒三、 奥田敬和、小沢一郎。首相の鼎に手が届いた人もいれば届かなかった人もいる。ギリシアの7賢人の1人、ソロンはアテナイの詩人にして政治家。秀でた政治家としてその名が西洋諸国に語り継がれて、米国では立法府の議員を「ソロン」と呼んだりすることがある。それに比べれば、政治権力の追求のレースが3度の飯より好きだった日本の竹下派7奉行は、身近なだけにちょっと俗っぽい。

中国では、紀元3世紀ごろ竹林の7賢と呼ばれた文人たちがいた。阮籍、含康、山濤、王戎、向秀、阮咸、劉伶。酒が好きで、竹林に集まっては酒盛りをし、談論風発。文筆、音楽、老荘の哲学に秀でた人々だった。

洒脱で高踏的、脱俗の人々と伝えられているが、俗界に強い関心を持っていたとする説もある。

社会的な混乱の時代、体制に順応する道をとらないインテリは、といって主義主張を唱えて社会に乗り出してゆくだけの気力もなく、強い社会的不満や関心を持ちつつ、保身のために隠者の道を選んだ。「隠者がもし完全な世捨て人であるならば、彼らの事跡が今日まで伝わることはないはずである……不満足であるために隠れ住むという人は、実は逆に最も世情に関心をいだいている人なのである」(王瑤(石川忠久他訳)『中国の文人―『竹林の七賢』とその時代』大修館書店、1991年)。

魏王朝から晋王朝に代わろうとする波乱の時代、政治への不満と憂鬱を心に秘めて、竹林で酒を飲んでいた。7賢の1人、含康はその政治的言動を権力側にとがめられて死刑となった。

俗世間から完全離脱できる人になるのもまた難しい業である。



8 別れ告げるか

冬の間にぎわっていた公園の池だが、水中に頭を突っ込んで逆立ち状になりシッポを振る姿を最後に、冬の鳥の群れは姿を消した。また、秋の終わりごろに、という別れの挨拶であろう。



どこに向かって飛び去ったのだろうか。




9 賑わうフリマ

フリマとはフリーマーケットの略語だ。フリーマーケットには発音の少々の違いで二つのマーケットに分れる。一つはflea marketで「蚤の市」のこと。いま一つはfree market で「自由市場」。Free market economy (自由市場経済)など経済学上のお堅い用語だ。

日曜日のフリーマーケットは前者の蚤の市の方のフリマが楽しい。パリの蚤の市やマドリッドのそれは観光スポットになっている。以前、マドリッドの蚤の市、El Rastro をのぞいてみたことがある。すりが跳梁跋扈すると聞いたので、財布はホテルにおいて、小銭だけをもって出かけた。したがって、何も買わなかった。お金を持っていないと買おうという意欲がそもそもわいてこない。



筆者が住んでいる団地の近くの公園の広場で、ときどきフリーマーケットが開かれている。衣類がおもで、手芸品なども売っている。

かつて住んでいた町で清掃工場が定期的にリサイクル市を開いていた。粗大ごみとして持ちこまれた洋服ダンスなど家具や、洗濯機などの電気製品の程度の良いものを補修して体育館のような大きな建物で安く販売していた。

リサイクル市初日はテレビ局が取材に来るようなにぎわいだった。安く買う喜びはいいけれど、なかには、まもなく二度目の粗大ごみになって清掃工場に舞い戻る物もあったことだろう。

ふと思うのだが、物を買うという行為は生理的な快感を呼び起こす。以前、築地のマグロ初競りで1億ウン千万円の値がついたことがあった。競り合う興奮が快感につながるのだろう。



10 暫時小休止

サガワ・カケ・キム・ムン・トランプ・ヤナセ・アベ・アキエ・カゴイケ・フクダにアソウ……くさい芝居のテレビを消して、弁当持って屋外へ。さあ、さあ、大連休の始まりだ。



用あって市谷まで出かけた。帰り道、JR市ヶ谷駅すぐそばの釣り堀をのぞいてみた。普段よりも子どもの姿が多かった。金魚なのか緋鯉の稚魚なのかよくわからないが、ミニ釣り堀もこどもでいっぱいだった。

  


連休の中休みという語法は撞着だが、連休のおどり場、つまりはカレンダーの赤い数字の連なりのなかにポツポツと現れる黒い数字の日である。団地の陸橋をこどもたちが連なって歩いて行く。行き先は公園だろう。連休の合間の登校日を使っての遠足かな?



大連休も55日となれば、遠出の人たちが家路を急ぐころだ。ニュースは飛行機や新幹線、高速道路の混雑が伝える。高速道路の渋滞40キロ超の中で身動きできない状態というのは、どんな感じなのだろうか。満員電車が立ち往生、車内にカンズメ数時間、それに似たストレスを感じることだろう。それとも、連休・お盆・歳末・新年と慣れっこになっているのかな。いずれにせよ、行きはよいよい帰りはこわい。





11 動き加速も

連休が終わった。

野党が国会審議にもどった。中韓日の首脳会談も行われた。

近いうちに韓国大統領が訪米してトランプ大統領と会談する。そのあとは、米朝首脳会談である。



朝鮮戦争で国連多国籍軍に参加したのは16カ国。指揮をとったのは米国である。形は国連軍だが、実質は米軍が中心で、残る15か国の軍が支援したかたちだ。

さて、韓国も北朝鮮も1991年に国連に加盟している。また、いまでは北朝鮮と国交を持つ国は、持たないくによりはるかに多い。国連多国籍軍に参加して北朝鮮(と支援する中国人民解放軍)と戦った16カ国のうち、米国とフランスを除く14ヵ国が、形だけのものも含めて、北朝鮮と外交関係を開いている。

そういうわけで、北朝鮮としては国連軍を率いて休戦協定を結んだ米国と、平和条約を結び、米朝国交を樹立できれば、米国に追随して北朝鮮敵視政策をとっている国との関係も改善される。そのあかつきにはおしもおされぬ国際社会の一員の地位を獲得でき、独立国家としての存続が保障される。

北朝鮮は以前からそうした目標を掲げてきた。

米国のトランプ大統領とその政権が、北朝鮮との関わりについてどんな展望を持っているのかは、よくわからない。トランプ大統領がどのような算段あって、米朝首脳会談を受けて立ったのか、詳しい報道はない。その米朝会談のスケジュールが煮詰まろうとしている段階で、「イラン核合意」の枠組みから米国が離脱した。この決定の背後にある米大統領のヨミについての報道もこれというものがまだでていない。

行きつく先の心あたりはおぼろだが、とにかく世間が再び動き出した気配がある。



12 傘持て舞える

512日の土曜日、まずまずの天気だったので代々木公園まで出かけた。公園の野外音楽堂周辺でこの時期恒例の「タイ・フェスティバル」を見物に行った。

それがまあ、「いものこを洗う」ようなこみようとはこのことだといわんばかりの大混雑で、会場に着くなりゲンナリしてしまった。

タイの雰囲気を味わって、ついでにタイフードの屋台でパッタイでも食べようかなと思っていたのだが、屋台の前には長い行列ができていた。

こんな人ごみを楽しむには若者の体力が必要だ。

うんざりすると、タイフードの屋台が寺院の縁日に集まる屋台業者の店のように見えてきた。



これはもう帰るにしかず。会場をでるとき、小さな人垣の向こうから音楽が聞こえてきた。人垣の裂け目からのぞくと、黒い民族衣装の女性2人が赤い傘を手に、コンクリートの舗道の上をはだしで舞っていた。

出口近くにタイ航空が店を出していた。お金があったらバンコクへ飛びたいなあ。バンコクへ行けたら、道端の屋台で本場のタイフードをたべたいなあ。


13 すっきりとたち

埼玉県にある国立森林公園へ新緑を見に行った。ときどきは自動車を走らせないとバッテリーがあがってしまうからだ。

ウィークデーなので人が少なく、園内の遊歩道には人影がまばらだった。広い園内を巡回するトレーラーバスの乗客も少ない。広大な自然庭園を独り占めしたような楽しさだった。



公園のゲート前で珍しい乗り物を見た。電動式の立ち乗り2輪車である。いまから10数年前、アメリカのブッシュ(子)大統領が日本に来たさい、当時の小泉首相への手土産としてもってきた。小泉首相が嬉しそうに――そう見せないとブッシュ大統領に悪いと思ったのかもしれない――首相官邸の敷地でこの2輪車に乗っている姿がテレビや新聞で報じられた。

この乗りものは一時期ブームになり、海外の観光地で使われたが、日本では人気が続かなかった。公道を走ることが認められなかったせいもある。

電動アシスト自転車は、主としてペダルを踏んで人力で走る軽車両という解釈で、公道での利用が認められている。歩道での走行も認められている。ペダルのない原動機付自転車は車道を走れるが、歩道は走れない。それに自転車と違って運転免許が必要だ。

電動式立ち乗り2輪車は電気のみを動力とするので当然、歩道では使えない。自動車として車道を走るのに必要な装備がない。ライト、方向指示器、バックミラー、ナンバープレートなど。くわえて、どんな免許でのれるのかという規定も道路交通法にない。

したがって、ブッシュ・コイズミの電動立ち乗り2輪車紹介以来、この乗り物は遊園地や公道走行実験に指定された道路でしか使えなかった。

森林公園には園内にサイクリング道路が整備されていて、そこを走ることができる。



14 ルピナス畑



国立森林公園ではちょうどルピナスが最盛期だった。ルピナスはマメ科の植物で、北米原産。別名ノボリフジ。

ピナスの畑に木製の人形が置かれていて、ちょうどアニメーション映画の童話の世界のような演出だ。



15 自転車で行くか

小生、20歳のころ自動車の運転免許を取って以来、自転車には一度も乗ったことがない。小さな子どものころは大人用の自転車にいわゆる三角乗りをして遊んだ。



自転車のことなどすっかり忘れていたが、このところいやでも自転車の存在に気づかされる。自転車で歩道を走ってもよいという特例ができて以来のことである。

いまでは歩道は自転車のためにあるような感じだ。歩く人が自転車の人に歩道を譲っている。モータリゼーションの時代到来前の北京の自転車ラッシュを思い出させる。

昔、インドの町で大人が自転車に3人乗りをしているのを見てあきれた。いまの日本では、大人が自転車の前後に幼児2人を乗せて走る。自転車の3人乗りが特例として認められたからだ。

もし自転車がぶつかって来て、歩いている人だけではなく、自転車も転倒したら2人の幼児はどうなるか? 歩いている方が心配して歩道の端に退いて幼児を乗せた3人乗りの自転車に歩道を譲ることになる。

それに、幼児2人と大人が乗った荷重60キロを超える自転車がぶつかってきたら歩いている人も無傷というわけにはいかないだろう。前後に幼児用の座席を付けた自転車は、昔の荷物運び専用の頑丈な重荷用自転車に似てくる。

歩道を歩く人が用心深く配慮するにしたがって、自転車に乗って歩道を走る人の方は大胆になってくる。歩く人の邪魔にならないように歩道の端を走るという心得を忘れて、歩道の真ん中、王道をゆく心意気だ。

先日のこと。後ろでリンリンと自転車のベルが聞こえた。振り向くと自転車のオジさん。

「おいおい、歩いている人にそこどけ、そこどけってことかい」
「いや、そうじゃないんだ。後ろに自転車がいるよとお知らせしただけだ」



16 紫陽花の季節

紫陽花は日本古来の花で梅雨時の花である。

日本産のガクアジサイが中国に渡り、中国からイギリスにわたった。ヤマアジサイはフランスで品種改良されてヨーロッパに広がり、やがて西洋アジサイに変身して日本に還流した。園芸種として観光庭園を彩っているのは主としてこの西洋アジサイである。



シーボルトが愛人の「お滝」さんの名をとって、アジサイにつけた名前(『日本植物誌』)「ハイドランジア・オタクサ=Hydrangea otaksa」は有名であるが、それ以前に「ハイドランジア・マクロフィラ=Hydrangea macrophylla 」という学名がすでにつけられていたので、学名とは認めらなかった。オタクサの名は、長崎の外国人医師と円山の遊女の恋愛物語の飾りとして今日まで残った。日本ではハイドランジア・オタクサのほうがよく流通している。

アジサイの季節が終ると、次は蓮の花の季節になり、やたら日差しが強く、湿度が高くなり、日本の夏の不快さが骨身にしみる頃となる。



17 そのときを待つ



水辺へ行くと大きな望遠レンズをつけたカメラを三脚据えて、忍耐強くそのときを待つ人たちの姿を見かける。

広々とした海岸や、山の中の川っぷちならまだしも、都会の真ん中の庭園の水辺でこれをやられるとときにイラッとすることもある。

というのも、名だたる日本庭園にはたいてい池があって、池のほとりにベンチが置いてある。池を眺めながらおくつろぎくさい、という親切である。

重装備のカメラを据える人たちはそうしたベンチのある水辺にカメラを据え、写真を撮る人はカメラのとなりのベンチに座って、辛抱づよくその時をまつ。

水辺の写真家たちが待っているのは、鳥である。カワセミであることが多い。鳥が舞降りたり飛び立つたりする姿が一番よく撮影できるポイントは、庭園によって決まっている。それを心得た常連の写真家たちは群れあつまる。

そういうわけで、水辺の都会の庭園の水辺の一等地のベンチは写真家に占拠されることになる。一般の来訪者が庭園を散歩して、池のほとりで一休みしようとしても、ベンチに空きがない。

そうした水辺の写真家のそばで、辛抱強くその時を一緒に待つ人の姿も見られる。ちょうど水辺で糸を垂れる釣り人を囲んで、釣り人とともにその時を待つ雰囲気である。



18 法被干したり



ジトジトと嫌な時期に入りましたね。ジャカルタに住む友人から、肺にカビが生えてしばらく入院していたとのメールをもらいました。

ジャカルタは高温多湿の都市で、筆者もしばらく住んだことがあります。日本に帰ってカメラを修理に出したら「あなた、カメラを水の中に落としましたか」と尋ねられました。それほどひどいカビの生えようだったそうです。

だから肺にもカビが生えようものだ、と落ち着いていてはいけません。これからの数ヵ月は日本もジャカルタやバンコクに劣らない高温多湿の瘴癘の地になります。

肺真菌症にご注意。晴れ間を見ては、身のまわりの物を干しましょう。


(写真と文: 花崎泰雄)



19 なんだかんだと


夏が来た。

つの文書がある。

<その1>

平成二十八年三月二十三日提出
 質問第二〇四号
内閣法制局長官による核兵器使用に係る発言に関する質問主意書
提出者  鈴木貴子

 内閣法制局長官による核兵器使用に係る発言に関する質問主意書

 本年三月十八日参議院予算委員会に於ける、内閣法制局長官の「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」との発言を踏まえ、以下質問する。

一 先の内閣法制局長官の発言は、日本政府による核兵器の使用は憲法上禁止されていない、即ち日本政府による核兵器の使用は憲法上認められているとの見解か確認を求める。

二 過去の質問主意書に対する答弁書及び委員会に於ける政府答弁により、日本政府による核兵器の保有は憲法上禁止されていない、即ち日本政府による核兵器の保有は憲法上認められているとの見解を示されているが、改めて確認を求める。

 三 日本国憲法第九十八条に「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」とあるが、核兵器不拡散条約の締結国である日本政府として、日本国憲法と日本国が締結した核兵器不拡散条約、どちらが優位に立つか説明を求める。


 右質問する。



<その2>

衆議院議員鈴木貴子君提出内閣法制局長官による核兵器使用に係る発言に関する質問に対する答弁書
平成二十八年四月一日受領
 答弁第二〇四号
   内閣衆質一九〇第二〇四号
   平成二十八年四月一日

内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生太郎

        衆議院議長 大島理森 殿

衆議院議員鈴木貴子君提出内閣法制局長官による核兵器使用に係る発言に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 衆議院議員鈴木貴子君提出内閣法制局長官による核兵器使用に係る発言に関する質問に対する答弁書

 一及び二について

 我が国は、いわゆる非核三原則により、憲法上は保有することを禁ぜられていないものを含めて政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している。また、原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)において、原子力利用は平和の目的に限り行う旨が規定され、さらに、我が国は、核兵器の不拡散に関する条約(昭和五十一年条約第六号)上の非核兵器国として、核兵器等の受領、製造等を行わない義務を負っており、我が国は一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。

  その上で、従来から、政府は、憲法第九条と核兵器との関係についての純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではないが、他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものであり、このことは核兵器の使用についても妥当すると解しているところであり、平成二十八年三月十八日の参議院予算委員会における横畠内閣法制局長官の答弁もこの趣旨を述べたものである。

三について

 一及び二についてで述べたとおり、純法理的な問題として、憲法第九条は、一切の核兵器の保有及び使用をおよそ禁止しているわけではないと解されるが、その保有及び使用を義務付けているというものでないことは当然であるから、核兵器を保有及び使用しないこととする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていないのであり、現に我が国は、そうした政策的選択の下に、非核三原則を堅持し、更に原子力基本法及び核兵器の不拡散に関する条約により一切の核兵器を保有し得ないこととしているところであって、憲法と核兵器の不拡散に関する条約との間に、お尋ねのような効力の優劣関係を論ずるべき抵触の問題は存在しない。