1 行くぜ、東北

1月下旬、東京では珍しい大雪が降った。南下した寒気団のすぐそばを南岸低気圧が通過したせいだ。雪の備えがない首都圏では交通網がずたずたになった。

そのあと、東北の日本海側や奥羽山脈沿いの中央部、北陸などを猛吹雪が襲った。東北新幹線、秋田新幹線、山形新幹線、在来線、私鉄で運休や遅延が続発した。「白魔」というやつである。筆者のPCのワードプロセッサーの辞書にはこの大時代的な言葉「白魔」という漢字はもはや入っていない。



吹雪が止んで一段落した126日、東京駅から東北新幹線に乗って、東北の雪を見に行った。岩手県・北上駅と秋田県・横手駅を結ぶJR北上線、秋田県・角館と鷹巣を結ぶ私鉄の秋田内陸縦貫鉄道、大館と盛岡を結ぶJR花輪線に乗って、沿線の雪に埋もれた風景を見た。

めったに雪が降らない地方に住んでいる者にとっては、雪景色は観光の対象で情緒あふれるものだが、豪雪地帯に住み続けている人にとっては、雪はやっかいものだろう。



東京あたりでは冬晴れの日が続く頃、雪国では曇天の日が多く、吹雪の日もあれば、1日中はらはらと雪が舞い続ける日もある。

屋根に積もった雪はまんず降ろさねばならないし、家の周りや道路の雪かきもしなければならない。鉄道は除雪車を出して雪に埋もれた線路を掘りださねばならない。



のんびり雪見列車を楽しもうという気分は、雪と格闘しながら冬に堪えている人々には申し訳ない気もするが、JRは「行くぜ、東北」のキャッチコピーで観光客を東北に誘う。観光客が使うお金が地元の経済になにがしかのうるおいを与えることもあるだろう。

東京駅から新幹線で岩手県・北上駅を目指した。



北上線

東北新幹線北上駅に停車する「やまびこ」は仙台から各駅停車となり、もっと速い列車の通過待ちをする。何本かの列車に追い越されて北上駅に着いたときは、定刻の3分遅れだった。北上線の列車へ乗り換える時間は6分間。それが半分の3分間になった。山手線とは違って、列車に一本乗り遅れると、次の列車まで長いながい待ちになる。



新幹線ホームから北上線ホームにたどり着いたら、ホームの時計は発車1分前を示していた。北上線は吹雪で、昨日まで全線運休や部分運休を繰り返していた。この日の朝、家を出る時にインターネットの運行情報を見たが、「遅延」のお知らせが出ていた。それが定刻発車である。雪国の鉄路はさすがに雪に強いし、吹雪さえやめば、立ち直りは早い。

北上線は定刻の発車になった。あやういところだった。新幹線がいますこし遅延していたら、北上駅で次の列車を3時間も待つはめになる所だった。

前日までの降雪で、北上駅構内は雪の中だった。駅を出て横手を目指して走るにつれて、雪はどんどん深くなる。うっすらと軌道が透けて見えるところもあれば、レールがすっかり雪に埋もれているところもある。



北上線は単線で、往復で20本ほどの列車と必要なときには除雪車も走るが、列車が走ったあとを降りやまぬ雪がすぐさま覆ってしまう。

東海道新幹線に乗って、早い、とても速い、後ろで誰かが鞭打っているような速さだ、と感想を述べたのは中国の故ケ小平だが、別の外国人は別の事に感銘を受けたそうだ。トンネル以外では、窓の外の眺めに必ず家がみえた、東京から大阪まで家が途切れることがなかった。そのことに驚いたそうだ。1970年代に米国のワシントンDCからニューヨーク市までアムトラックに乗ったことがあるが、建築物が途切れて、だだっ広い野原だけの風景もあった。



北上から横手までざっと60キロ、1時間ちょっと。雪中ところどころに人家が見えたが、窓外の風景に人の姿を見ることはなかった。



3 かまくらと焼きそば

「カマクラのなかには水神様を祀り蝋燭をともし、お供え物がそなえてある。カマクラの床に敷いた蓆の上にむき合って坐っている子供達の間には焜炉が据えてあり、ぐらぐら煮えかえる汁や甘酒などがかけてある……雪中の静かな祝祭だ。いささかクリスマスの趣きがある。空には冴えかえる満月。凍てついた雪が靴の下でさくさくと音をたてる」。ブルーノ・タウトは子どもたちに甘酒をすすめられ、1銭を水神様に供えた。193627日に横手を訪れたタウトは日記に、「これほど美しいものを私は曾て見たこともなければ、また予期もしていなかった」と書いた(ブルーノ・タウト『日本美の再発見』岩波新書)。

厳冬期の横手は、雪は深く、人影はまばらで、静まり返っている。今年は21516日の2日間、市内のあちこちで、400年以上続く伝統的な小正月の雪の行事がある。かの有名な「かまくら」である。この時ばかりは横手の街は活気に満ちあふれる。祭の会場に近い宿泊施設は予約でいっぱいになる。岩手県の北上に宿をとり、北上線でやって来る人もいるくらいだ、とお土産屋さんは言う。

横手駅の観光案内所に寄って市内の観光地図をもらった。そのとき、係のひとが、秋田ふるさと村にかまくらのサンプルがいくつか作ってあると教えてくれた。

ホテルに荷物を置いてタクシーで市街地のはずれにある秋田ふるさと村に行った。イベント会場、お土産屋さんなどが一堂に会した施設で、県立近代美術館ともつながっている。横手の文化観光施設だ。

秋田ふるさと村の中庭のような所に、かまくらが3基ならんでつくられていた。原寸大である。雪洞の中には水神さまを祀る祭壇も固めた雪を削って設けられている。

あいかわらず雪が降りつづいている。人けのない夕方のかまくらはただの雪洞にすぎない。かまくらが暖いのは、中に子どもがいて、あかりが灯され、よってたんせ、おがんでたんせ、と声が聞こえてくるからだ。

冬の横手の――といっても、こちらは冬に限らず通年のモノだが――いま一つの名物が焼きそばだ。満留邦子『焼きそば』(成美堂出版)によると、日本3大焼きそばの1つだそうだ。じゃあ、あとの2つはどこの焼きそばか、と聞かれても困る。満留さんの本には書いてない。まあ、人によって、いろいろ、ということにしておこう。

ごく標準的なつくりの日本の焼きそばで、中濃ソースとウースターソースをベースにしたソースでからめ、その上にフライド・エッグ(片目焼き)をのせ、福神漬けを添えてある。店によってソースの甘辛に違いがある。年に1回「横手焼きそば四天王」を選ぶ大会が開かれ、観光行事としてメディアがこれを報じる。横手市にとって大事な観光資源である。

秋田ふるさと村には、2店の横手焼きそばの店が出店していた。写真がその2店がつくった傑作焼きそば。片目焼きは黄身の部分が半熟程度になるよう調理されていて、とろけ出た黄身をそばにからめて食する。

横手焼きそばを食べた後、腹ごなしに秋田県立近代美術館へ行った。秋田ふるさと村と県立近代美術館は建物がつながっていて、雪に降られることなく移動できる。

美術館もがらんとしていた。その美術館の通路の窓から、あたりの冬枯れの雑木林が見えた。色彩を失ってモノクロームになった風景。生の水墨画だった。これを見たくて雪国にやって来たのだ。





4 秋田内陸縦貫鉄道

奥羽線の横手駅へ行くと、案の定、下り列車が20分近く遅れているとのアナウンスがあった。どか雪は山形県内でひどかったようで、山形県を通る列車の多くが止まったり、大幅な遅延をしていた。数日前は山形新幹線も山形県内で運休した。雪の後遺症がまだ続いているらしい。

  

横手から奥羽線の各駅停車で大曲にゆき、そこから秋田新幹線に乗りついで角館へ行く。角館から秋田内陸縦貫鉄道に乗り換え鷹巣へ行く。そこから奥羽線で大館へ。それがこの日の旅程だった。

大曲で乗りかえる予定だった秋田新幹線の便には間に合わなくなり、横手駅で次の列車の指定席券にとりかえてもらった。

秋田新幹線の上り列車は予定時刻に大曲駅を出発した。しかし、途中で待避線に入って、下り列車をやり過ごすのに時間がかかった。秋田新幹線の大曲―盛岡間は、列車は田沢湖線を走っている。田沢湖線は単線なので、対向列車とすれ違うさい、どちらかが待避線に入らねばならない。

角館で駅周辺をぶらつこうと思って、1時間ほどの余裕をもってスケジュールを立てたのだが、奥羽線の遅れ、秋田新幹線の遅れで、乗り換え時間が5分を切ることになった。

荷物をもって角館駅のプラットホームを足早に歩いていると、JR駅に隣接した内陸縦貫鉄道角館駅の駅員さんが手をふって「乗りますか」と言った。「乗りまーす」と叫ぶと、JRと内陸鉄道を仕切っているフェンスをあけてくれた。裏口入場である。



鷹巣行きの列車は予想外に混み合っていた。途中、松葉駅で田沢湖に行く団体さんが下車し、車内はゆったりとしてきた。

列車には車掌業務と観光案内と車内販売を兼務する女性が乗っていて、間もなく前方左側に赤いはしが見えまーす、墨絵のような風景の中に赤がひときわ映えて良い写真がとれます、と案内してくれる。

今日もまた墨絵の世界が広がる。



5 犬と鶏

大館は秋田犬・ハチ公の故郷であり、比内地鶏の産地である。

まずは秋田犬から。

JR奥羽線大館駅すぐそばに小さな建物があり、「秋田犬ふれあい処」と看板が出ている。大館駅の観光案内の人が教えてくれた。秋田犬は大館の看板のひとつで、さまざまな観光パンフレットに秋田犬が登場する。ここで2匹の秋田犬が交代で来客を待っていて、一緒に遊んでくれる。

この日の午後の当番犬は名前を「あこ」といった。18か月のメス。秋田犬は大型犬で立派な体格をしている。飼い主の女性に似たのか、「あこ」はおだやかな性格に見えた。

秋田犬は国際ブランドで、2012年には日本の野田首相がプーチン大統領に秋田犬の子犬を贈ったことがある。プーチン大統領はその子犬を「ゆめ」と名付けた。大きくなった「ゆめ」を連れてプーチン大統領が記者会見に臨んだら、「ゆめ」が取材陣に向って吠え、威嚇した、という話を新聞だったか雑誌だったかで読んだ記憶がある。飼い犬は飼い主に似るのだろうか。プーチン大統領は犬好きで、かつてメルケル首相との会談にも犬を伴い、犬嫌いのメルケル首相を辟易させた、という新聞記事もあった。

土曜日の午後だというのに、大館の街はなんだかがらんとしていた。町一番の商店街にも人の姿が見えない。ぶらぶら町歩きを続けていたら、雪に埋もれた墓地が見えてきた。雪が積もった黒御影石の墓石の下で、仏たちが静かに眠っている。寒々しくもいい風景だ。



日暮れとともに、おなかがすいてきた。秋田犬と並ぶ大館の特産が比内地鶏である。比内鶏は戦前から天然記念物に指定されている。天然記念物を食ってはいけないという法律はないが、個体数が少ないので食肉としては流通していない。

「これはうまい」と食っているのは「比内地鶏」である。比内鶏の遺伝子を持った鶏だ。秋田県のサイトにこんな説明があった。

「比内地鶏は、薩摩地鶏、名古屋コーチンと並ぶ日本三大美味鶏の一つとして全国に知られている。比内鶏は古くから秋田県の県北周辺で飼育されている。肉の味に優れ、脂肪が比較的少なく、ヤマドリに似て淡白で美味なことから、藩政時代は年貢として納めていたほどである。比内鶏は、純粋な日本地鶏でもあり、学術的に価値が高く、昭和17年、国の天然記念物に指定されたことから、比内鶏を育種選抜して作出した『秋田比内鶏』の雄とロード種の雌を交配して生まれた鶏を『比内地鶏』として食肉用に生産、特に秋田の味覚を代表する『きりたんぽ鍋』に欠かせない材料である」


10年ほどまえに「比内地鶏」の名をかたって廃鶏の肉を売っていた食肉業者が摘発されたことがある。このスキャンダルと景気低迷もあって比内地鶏の売れ行きが落ちた。

そこで秋田県が比内地鶏の認証制度を設けた。メスはふ化から150日以上、オスは100日以上の飼育期間を守り、ふ化から28日以降は平飼いまたは放し飼いで、1平方メートル当たり5羽以下の密度も義務付けた。さらに、出荷前の肉のDNA検査も始めているそうだ。

泊まったホテルから雪道を歩いてすぐのところに比内地鶏専門の焼鳥屋があった。そこで晩ごはんに親子丼を食べた。東京にも比内地鶏を出す店はあるが、本場で食べると気分が違う。プラド美術館展と銘うって日本国内を巡回している展覧会でベラスケスを見るのと、マドリッドへ行ってプラド美術館でベラスケスを見るのとでは、その味わいも異なろうというものだ。



6 花輪線

今日もまた雪見列車に乗る。

大館から十和田湖の南を抜け、八幡平の北側を通ったのち、八幡平の山々を回り込むようにして南下、好摩駅でかつての東北本線、現在のいわて銀河鉄道に乗り入れて盛岡に至る。その距離およそ100キロ。



泊まったホテルからは花輪線の始発駅である大館駅よりも、ひとつ盛岡よりの東大館駅が近かったので、そちらから列車に乗った。小さな駅だったが、待合室はあった。無人駅ではなく、制服をきた駅員さんがいた。見かけたのは1人だが。盛岡行きの列車が入ってくる少しまえ、駅員さんはプラットホームへわたる通路の雪かきをしてくれた。そののち、改札を始めた。雪見列車が通る駅は無人駅が多く、そこではこのようなサービスはない。

東大館駅で列車に乗ったのはほんの数人。列車から降りてくる客はいなかった。それはそうだ。始発の大館駅の次が東大館駅なのだから。ホテルからタクシーで東大館駅に来たとき、駅舎の前にタクシーが1台、客待ちをしていた。誰を待っていたのだろうか。

改札口を出ると、その隣にハチ公の像があった。お出迎え、お見送り役なのだろう。大館駅のプラットホームには「ハチ公神社」なるものが飾られていた。駅前にはハチ公像があった。像は2代目だとかで、初代は1935年(昭和10年)に造られたが、戦時中に兵器にするための材料として政府が取り上げた。2代目は1989年に造られた。

列車は盛岡まで3時間、雪の中をゆっくりと走る。雪見列車も3日目となると、車窓風景もすっかりおなじみのモノになる。それはそうだろう。堆積した白い雪しかない風景なのだから。とはいうものの、花輪線沿線は北上線、秋田内陸鉄道に比べて雪の量が少ないような感じだ。なんだか眠くなってくる。

盛岡が近くなるにしたがって、あたりの風景が少しばかり明るい感じになってきたことに気がついた。薄日がさしてきたのだ。盛岡は奥羽山脈の東側にあり、太平洋側の気候が優勢で、寒いけれども雪は少ない。

この先混み合ってまいりますので、お座席のお荷物を網棚に移してくださいと車内アナウンスがあった。列車から岩手県の名峰・岩手山が見えてきた。やがて列車はほぼ満席状態になって盛岡駅に到着した。今日は日曜日。盛岡に買い物にでも来た人たちだろう。





7 凍る盛岡


駆け足ながらローカル鉄道を乗り継いで雪国の風景を眺めてきた。雪見の終点盛岡市内には少しだけ雪が残っていた。



宿泊したホテルのすぐ近くにある盛岡城跡公園に隣接する桜山神社へ行った。雪はわずかだが、冷え込みは厳しい。手水舎もよく凍っている。城跡公園に登ってみようと思ったが、人気もないし、寒いので、すぐ近くの横丁にあるじゃじゃ麺の店へ行った。盛岡に来るとここでじゃじゃ麺を食べるのをならわしにしている。

 

じゃじゃ麺は、南部わんこそば、盛岡冷麺とともに、盛岡三大麺の1つ。ゆでたうどんに肉みそをかけて食べる。盛岡三大麺の中では一番庶民的な麺である。

盛岡には味わい深い麺がもう1つあって、「石鳥谷蕎麦」という。何十年も前のことだ。仕事で遅くなった深夜、盛岡の路上の屋台で食べたことがある。つなぎを使っていないせいか、やたらに黒っぽく、ぼそぼそして麺が切れやすい。汁そばに「ゴンパチ」と呼ぶ唐辛子入りの大根おろしをのせて食べる。足元から寒気がジーンと這いあがってくる。寒さに足踏みしながら食べる屋台の石鳥谷蕎麦もオツなものであった。

さて、東京に帰る日の朝、ここ数日間見なれた秋田のどんよりとした雪雲の空とは違った、青く晴わたった空がホテルの窓から見えた。



写真と文: 花崎泰雄